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展示品は、本に掲載した陶磁器を中心に構成されています。
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ヨム川のコ・チェックの鉄分の多い陶土で細身に成形されています。頚と底縁周囲にライ・ウーと呼ばれるワラビ状のひもが貼り付けてあります。
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胴部に陰刻された波文、肩から頚下までの印花文はクメール陶やバン・バーンプン窯からの技術移入がうかがえます。
高さ31.5cm、胴径21.6cmとなっています。この大きさで現存するのは、出土品で骨壺として用いられたものが多いようです。
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サンカローク窯研究保存センターには、よく似た壺が2点展示されています。
高さ35.5cm、胴径25.8cmで14世紀から15世紀の生産としていますが、私見では13世紀まで遡ってもよいかと考えます。
(酷似した2点は2013年9月25日にアップした「サンカロークの古窯址 (1)」に掲載しています。また、タオ・61の無釉陶器は10世紀から11世紀に始まったと考えます。)
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モン陶の生産時期は当初、9世紀から10世紀と考えられていましたが、その後のコ・ノーイ窯発掘品の科学調査が13世紀を示したことにより、生産開始時期が10世紀から11世紀に改められています。
さらに、近年は難破船の調査も進み、様々な積み荷から難破時期が絞り込まれ、陶磁器の製作年代が解明されています。モン陶は、パタヤ南方沖のラン・クウィアンの琉球船やベトナム中部のソーン・ドックの積荷に含まれており、ラン・クウィアンの難破船は発見された4834枚の中国銭から、明朝初期の海禁令が施行された1380年から1400年とみられています。
どちらの難破船にも高台付のサンカンペーン青磁が含まれています。また、積まれたベトナム陶器からは、鉄分の少ない半磁器に白化粧を施し、コバルトを用いた青花が、すでに生産されていたことが分かります。
1325年以前は積荷の陶磁器は中国製品が100%でしたが、ラン・クウィアンやソーン・ドックではタイ、ベトナム陶磁器が50%から70%となり、1430年頃には中国製陶磁器は30%、1400年末にはわずか5%ほどになり、海禁令による時代背景を証明しています。
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背景にはモンゴルの侵入で崩壊した南宋から、窯業従事者を含む難民の移住による窯業技術の伝播。カオ・シーラーンの良質な陶土発見などが考えられています。
いづれも15世紀の青磁です。
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1380年から1440年には輸出陶器が大量に生産されます。
本品は16世紀のスコータイ窯の鉄絵蓋物です。直径19.5cm、高さ22.5cmです。透明釉が薄く、鉄絵が赤く発色しています。
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