元々は「プラサート ムアン プラオ」と呼ばれていましたが後に「プラサート サドック コック トム」と呼ばれるようになりました。クメール語で「葦(カヤツリグサ)の茂る大きな湿原」という意味で、かってはカオヤイ山系から流れくる豊富な水と肥沃な土地だったのでしょう。近くには7世紀のプレアンコール時代に建設されたプラサート カオ ノイなど87ヶ所の遺跡がある場所です。グーグルマップを見ると国境を隔てたカンボジア側にもたくさんのヒンドゥー寺院の表示があります。
前回は主祠塔の基壇造りでしたが、5ヶ月後の2005年12月11日訪問時の状態です。
基壇はほぼ完成し、併行して主祠塔の下部を組んでいました。
* * * * *
従事しているのはカンボジアの作業者のようです。
次の訪問は1年9ヶ月後の2007年9月1日です。
主祠塔はまだ半分ぐらいの高さまでしか積み上がっていません。回廊内の敷石整備や回廊壁の修復が分散して行なわれていました。
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この時期だと午後の気温は40℃近くまで上がっていますが、みんな元気に作業を進めています。
一番下の人物が回廊修復の責任者のようです。それぞれの部位に責任者がいるようで、いつも指示をしている人物が異なりますが、皆親切に修復の状態を説明してくれます。
回廊に外側にたくさんのデヴァダ(女神像)の足だけ残った石材が並べてあります。身体部は遺跡泥棒が持ち去ったようです。
回廊を飾った女神像でしょうか、結局この残欠は再組されることなく処理されています。
7回目の訪問、2008年11月15日です。
主祠塔はほぼ完成で、回廊の修復が行なわれていました。東塔門以外の楼門はまだ手つかずです。
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最後が長らく参道脇に設置されていた「サドックコックトム遺跡の復活を記念して」の顕彰碑です。
当初は簡素なものが建っていましたが、いつの間にか写真のような大理石の立派なものになっていました。
-以下続きます。
前回は主祠塔の基壇造りでしたが、5ヶ月後の2005年12月11日訪問時の状態です。
基壇はほぼ完成し、併行して主祠塔の下部を組んでいました。
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従事しているのはカンボジアの作業者のようです。
次の訪問は1年9ヶ月後の2007年9月1日です。
主祠塔はまだ半分ぐらいの高さまでしか積み上がっていません。回廊内の敷石整備や回廊壁の修復が分散して行なわれていました。
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この時期だと午後の気温は40℃近くまで上がっていますが、みんな元気に作業を進めています。
一番下の人物が回廊修復の責任者のようです。それぞれの部位に責任者がいるようで、いつも指示をしている人物が異なりますが、皆親切に修復の状態を説明してくれます。
回廊に外側にたくさんのデヴァダ(女神像)の足だけ残った石材が並べてあります。身体部は遺跡泥棒が持ち去ったようです。
回廊を飾った女神像でしょうか、結局この残欠は再組されることなく処理されています。
7回目の訪問、2008年11月15日です。
主祠塔はほぼ完成で、回廊の修復が行なわれていました。東塔門以外の楼門はまだ手つかずです。
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最後が長らく参道脇に設置されていた「サドックコックトム遺跡の復活を記念して」の顕彰碑です。
当初は簡素なものが建っていましたが、いつの間にか写真のような大理石の立派なものになっていました。
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