の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ワット・ノン・ブア (2)

2016年01月17日 | ナーン
ワット・ノン・ブアの壁画は、釈迦の誕生から入滅までの様々な出来事を描いた仏伝図と仏陀の前世の物語、本生譚(ジャータカ)が描かれています。
北側壁の左隅から始まり、出入り口の壁、さらに南側の壁に進み、本尊横の隅までの大半を占める壁面は、ラーンナーやラーン・チャーンで語られる「パンヤサ・ジャータカ」の第11番目の物語「チャンターカート・ジャータカ」です。
この物語が描かれた壁画は「ワット・ノン・ブア」しかありません。

北側の壁は3.5m、南は3mの高さまでレンガが積まれ、表面には厚さ8mmの漆喰が塗られて、床上1.5mより上部に壁画は描かれています。
1862年にタイ・ルーの人々によって建てられた寺院の壁画は、1867年から1887年まで20年かかってラオ・プアンのタイ・ルー絵師「ナーン・ブアパーン」ら3グループによって描かれました。絵には、当時のタイ・ルーの生活様式がよく反映されていると言われています。

「チャンターカート・ジャータカ」の物語を調べましたが、まだ解っていません。とりあえず、書籍「チェタカーン・ファー・ムアン・ナーン(ナーンの壁画)」に掲載されている絵の解説を参考までに併記します。





北側の壁画は剥離が激しく、非常に分かりにくくなっています。



毒蛇に噛まれた、カシ王国の王女スチャンドンサが抱き上げられています。
彼女の友人は混乱と悲しみで泣いています。後ろには涙を拭う女性もいます。
バンコクの絵師が表現する泣く姿とは異なると解説されています。
***

東側、出入り口壁面の絵です。



最上段には横たわる仏陀と弦楽器ヴィーナを奏でるインドラ神が描かれています。



伝統的なラーンナーの衣装を描写しています。
女性は「サバイ」と呼ばれる肩掛けを対角に肩に回しています。男性の上着は詰襟、長袖、五つボタンの「ラーチャ・パ・テン」、「チョンカベーン」と呼ぶ腰巻の裾を股をくぐらし、背中で結んだスタイルで腰のベルトに短剣を挿しています。
男性の服装は当時のバンコクの影響を受けていますが、全体的にはナーンの正しい特徴を示しています。
絵は、ブラフマー(梵天)が「チャンタラ・クマーラ」に運命について説いているところです。



「テヴァティーサンカ」と「チャンターカート」はカシ国の養父「ウカサター-セティー」と彼の兄弟「スリヤガター」を訪ねるために、三本マストの帆船で大海へ航海に出ます。しかし、船は嵐に会い難破してしまいます。

大海を行く船は左に描かれていますが、絵師は海や船を見たことがなく、海の景色、帆走する船と乗組員などがすべて不自然である指摘されています。

難破船から脱出した「テヴァティーサンカ」です。

「テヴァティーサンカ」は出家して尼僧となり、「チャンターカート」が捜し出してくれるのを待っています。
彼女は別れた男性に逢える予感で、赤い布を頭に巻き楽し気に歩いています。

絵師は彼女の希望と快活さを強調するために、細心の注意を払って、彼女の表情や歩く姿勢、はためく衣装を描写しています。

彼女は「チャンターカート」のうわさを耳にすると赤い布を頭に巻き外出します。画面は再開した「チャンターカート」と「テヴァティーサンカ」はお互い抱きしめ合い、喜びで涙する場面です。
絵師が全精力を駆使して描きこんでいます。

右下の画面です。

「ウタマターニ」がアムパマ・ナコーンへ旅立つ光景だと解説されています。
人力車は入念に装飾され、乗る人のため傘が設置されています。

行列の後に続く若い侍女たちは、ラーンナーの美しい衣装を纏っています。

閉じられた窓の横には髪を結う若い娘の大判画面で、ワット・プーミンと同じ技法で描かれています。他の窓にもいろんな形態の大判の女性が描かれていますが、どれも損傷が激しくなっています。
ナーン谷にあるノン・ブアは、壁画が浸る洪水になることもあるようで、壁画全体の傷みが激しいです。

■書籍の解説をそのまま記載しただけで、物語の全体が全く分からず消化不良になっています。
分かり次第追加します。


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