の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ナーンの第2日目 (1)

2013年10月17日 | ナーン

■ナーンの2日目です。
ナーンはバンコクから668kmにあって、四方を高い山に幾重にも囲まれた小さな町です。
13世紀にはナーンの北60kmのムアン・プアにカーオ王国が成立。一時パヤオ王国のガムムアン王に占領されますが、パーノーン王が領土を奪回、1323年に即位してナーンに遷都しました。
世襲した息子のカーンムアン王は1354年にスコータイのワット・ルアン・アパイ(マンゴー寺)の建立に貢献し、スコータイ王リタイから七つの仏舎利と金銀の仏像を授かりました。
カーンムアン王は仏舎利をプーピエンに安置、ウィエン・プーピエンの建設を行いました。
1363年王位についたパーコーン王は、ウィエン・プーピエンが大干ばつにみまわれたため、1368年ナーン川対岸に遷都、これが現在のナーンです。
1397年、シーチャンタ王の治世にプレーの軍が急襲、王位を簒奪されるが、翌1398年チャリエンに逃れた王の弟フンが攻略、元の王家に王位が戻ります。
1450年頃、ラーンナーのティローカラート王がナーンを攻略、ケーンターオ王はチャリエンに逃げ去り同一王家によるカーオ王国は終わり、以後ラーンナーの覇権下にはいりました。
ラーンナーに征服されるまではスコータイの文化影響の強かったが、以降ラーンナー様式を積極的に取り入れることになります。
1558年、ラーンナーがビルマのタウングー王朝の覇権下に入ると、1560年、ナーンもタウングー王朝の主要都市として以後約200年間占領されました。
1726年、ビルマのコンバウン王朝はチェンマイ出身ノティンマハーウォンを国主として任命、ビルマ、タイの干渉を受けながら1931年まで国主の世襲は続きました。1891年にはパークナム事件によって領地の大部分をタイ政府はフランスに割譲しました。1931年にタイ政府はナーンの国主を廃止、ナーン県となります。


午前8時50分、ホテルからの道順に従ってまず「ワット・プラタート・チャーン・カム」に参拝です。
1406年に建立されスコータイの影響下にあった、スコータイ様式の仏塔です。




境内の隅に煉瓦と漆喰装飾の切妻屋根の小さな祠堂があります。「クゥ・ワット・プラタート・チャ-ン・カム」と呼ばれています。









礼拝堂です。










■2台のカメラを携えてきました。キャノンEOS50D、富士フィルムX-E1です。
動く被写体の撮影をするためEOS50Dを選んだのですが、3本のレンズ、本体とも故障が多く、毎年修理に出しています。修理の繰り返しも限界だし、新機種はバッテリー、メモリーの互換性もなくなったために一度別メーカー品を使おうと、今年になってX-E1を購入しました。
ミラーレスも性能が向上しただろうという安易な考えだったのですが、動くものの撮影や、少し暗くなるとピントがなかなか合わないという問題は解消されていませんでした。良かったのは露出補正が容易にできることです。しかし、特に問題なのが室内撮影の発色です。礼拝堂の仏像をX-E1で撮影したのですが、黄金に輝く仏像がくすんでしまいました。特にワット・プーミンの壁画の発色は見るも無残な結果となりました。
やはり、EOS50Dを使った方が良いという結論で、2本のレンズを修理に出し、1本は廃却、代わりにタムロンのレンズを新規購入して撮影することにしました。本体上面モニター表示の一部が消えたままですが、基本機能には差支えがないのでそのまま使用します。
X-E1は引き出しの中です。ちなみに、30D、SX20ISも引き出しの中です。

145cmで金の含有率65%といわれる、立仏像が安置されている礼拝堂です。修復のため、扉が閉まっていて参拝出来まませんでした。

朝の清掃が終わりアイスクリーム売りに群がっているネン(小僧さん)です。奥にはまだゴミを片付けているネンもいます。





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