■次に向かったのは、「ワット・プラタート・チャーン・カム」の西側道路向かいにある「ナーン国立博物館」です。
建物は1932年、ナーン最後の封建君主「プラチャオ・スリヤポーン・パリットデット」時代に市役所として建設されました。1974年、博物館として自然光の採光、通風をよくするために全ての壁面に窓を設けるなどの改修が行われました。
博物館は二階建てで、一階はナーンに居住する民族の衣装、織物、生活用品等を展示、二階はナーンで発掘された先史時代の遺物、ボースアックの陶器、仏像、磚仏などが展示されています。
入場券です。採用されている写真は、ナーンの神聖な宝物とされる黒象牙をガルーダが支えています。黒象牙は左の牙で長さ94cm、周長47cm、重さ18kgあります。ナーン王国第5代目国王カーンムアン(在位1353年から1363年)時代にビルマのチェントゥンからもたらされ、ナーン王家が継承してきました。今は博物館の特別室のガラス張りの中で展示されています。
博物館の玄関です。
■1階展示室からです。
漁具です。
タイ・ルー族の衣装です。ワットプーミンの壁画の女性が同じような意匠を纏っています。
どこの寺院でも見かけた紙飾りです。説明ではソンクラーン第3日目に寺院に詣で仏陀に水を灌ぎ、砂で仏塔を造り、紙幣を挿すようです。
■2階へ上がってきました。
2階のテラスから「ワット・プラタート・チャーン・ロム」を眺める。
2階入り口の左右壁面に掲げられている武器です。
2階の第一室はナーン様式の仏像と国王の肖像画が掲げられています。
館長が研修の女子大生にタイの美術様式につて説明しているのですが、彼女たちはあまり理解していないようで、がっかりした様子でした。
■ナーンの美術様式は大きく四期に区分されています。
・第一期は14世紀中頃から1450年までのスコータイ王朝との関係から美術様式もスコータイの影響を受けました。
・第二期は1450年から1558年までのラーンナーのティローカラート王の覇権下で美術様式もラーンナー様式が流入、既存のスコータイ様式と融合した美術様式できました。
・第三期は1558年から1786年のビルマ占領下の時代でアユタヤ、ラーンチャーンそしてビルマの美術影響を受けています。
・第四期は1786年から20世紀に至るまでのラッタナコシーン朝下で独自の地方色を帯びた美術様式を確立、豊富なチーク材を用いた木造仏が造られました。
1509年に鋳造された、スコータイとラーンナーの様式が融合した第二期ナーン様式の仏像です。
15世紀の第三期ナーン様式の仏像で、ワット・ター・ロー(プー・ピアン)からもたらされました。
16世紀のナーン様式の青銅仏です。ナーン川東岸のプー・ピアンのワット・ター・ロで発見されました。
16世紀のラーンナー様式の仏像です。
17世紀初期の青銅物で、第三期ナーン様式でスコータイ、ラーンナー双方から影響を受けた様式のワット・プラタート・チャーン・カムの仏像です。
ワット・ドン・チャイ(ウィアン・サー)の仏像です。
1813年作と説明されています。第四期ナーン様式です。
18世紀から19世紀の北タイ様式の青銅仏です。
19世紀後半の第四期ナーン様式の仏像です。
ワット・プラタート・チェーン・ヘーン(プー・ピアン)
19世紀、第四期ナーン様式の仏像です。ワット・チャナ・パイリー(ター・ワン・パー)
19世紀、第四期ナーン様式、ワット・チャナ・パイリー(ター・ワン・パー)の仏立像です・
19世紀から20世紀の北タイ様式の石造仏です。
19世紀から20世紀の北タイ様式の木造仏です。
19世紀から20世紀の北タイ様式の木造仏です。
19世紀から20世紀の北タイ様式の木造仏です。ラオスとも類似しています。
20世紀初期の第四期ナーン様式の仏像です。
ワット・ターロー(プー・ピアン)
19世紀、ラタナコシーン様式の仏像です。
ボー・スアックの展示室です。
匣を積み重ねた最上段の蓋です。窯印が押されています。
白釉の鉢は匣で焼かれました。
笑顔の素敵な受付の女性でした。
建物は1932年、ナーン最後の封建君主「プラチャオ・スリヤポーン・パリットデット」時代に市役所として建設されました。1974年、博物館として自然光の採光、通風をよくするために全ての壁面に窓を設けるなどの改修が行われました。
博物館は二階建てで、一階はナーンに居住する民族の衣装、織物、生活用品等を展示、二階はナーンで発掘された先史時代の遺物、ボースアックの陶器、仏像、磚仏などが展示されています。
入場券です。採用されている写真は、ナーンの神聖な宝物とされる黒象牙をガルーダが支えています。黒象牙は左の牙で長さ94cm、周長47cm、重さ18kgあります。ナーン王国第5代目国王カーンムアン(在位1353年から1363年)時代にビルマのチェントゥンからもたらされ、ナーン王家が継承してきました。今は博物館の特別室のガラス張りの中で展示されています。
博物館の玄関です。
■1階展示室からです。
漁具です。
タイ・ルー族の衣装です。ワットプーミンの壁画の女性が同じような意匠を纏っています。
どこの寺院でも見かけた紙飾りです。説明ではソンクラーン第3日目に寺院に詣で仏陀に水を灌ぎ、砂で仏塔を造り、紙幣を挿すようです。
■2階へ上がってきました。
2階のテラスから「ワット・プラタート・チャーン・ロム」を眺める。
2階入り口の左右壁面に掲げられている武器です。
2階の第一室はナーン様式の仏像と国王の肖像画が掲げられています。
館長が研修の女子大生にタイの美術様式につて説明しているのですが、彼女たちはあまり理解していないようで、がっかりした様子でした。
■ナーンの美術様式は大きく四期に区分されています。
・第一期は14世紀中頃から1450年までのスコータイ王朝との関係から美術様式もスコータイの影響を受けました。
・第二期は1450年から1558年までのラーンナーのティローカラート王の覇権下で美術様式もラーンナー様式が流入、既存のスコータイ様式と融合した美術様式できました。
・第三期は1558年から1786年のビルマ占領下の時代でアユタヤ、ラーンチャーンそしてビルマの美術影響を受けています。
・第四期は1786年から20世紀に至るまでのラッタナコシーン朝下で独自の地方色を帯びた美術様式を確立、豊富なチーク材を用いた木造仏が造られました。
1509年に鋳造された、スコータイとラーンナーの様式が融合した第二期ナーン様式の仏像です。
15世紀の第三期ナーン様式の仏像で、ワット・ター・ロー(プー・ピアン)からもたらされました。
16世紀のナーン様式の青銅仏です。ナーン川東岸のプー・ピアンのワット・ター・ロで発見されました。
16世紀のラーンナー様式の仏像です。
17世紀初期の青銅物で、第三期ナーン様式でスコータイ、ラーンナー双方から影響を受けた様式のワット・プラタート・チャーン・カムの仏像です。
ワット・ドン・チャイ(ウィアン・サー)の仏像です。
1813年作と説明されています。第四期ナーン様式です。
18世紀から19世紀の北タイ様式の青銅仏です。
19世紀後半の第四期ナーン様式の仏像です。
ワット・プラタート・チェーン・ヘーン(プー・ピアン)
19世紀、第四期ナーン様式の仏像です。ワット・チャナ・パイリー(ター・ワン・パー)
19世紀、第四期ナーン様式、ワット・チャナ・パイリー(ター・ワン・パー)の仏立像です・
19世紀から20世紀の北タイ様式の石造仏です。
19世紀から20世紀の北タイ様式の木造仏です。
19世紀から20世紀の北タイ様式の木造仏です。
19世紀から20世紀の北タイ様式の木造仏です。ラオスとも類似しています。
20世紀初期の第四期ナーン様式の仏像です。
ワット・ターロー(プー・ピアン)
19世紀、ラタナコシーン様式の仏像です。
ボー・スアックの展示室です。
匣を積み重ねた最上段の蓋です。窯印が押されています。
白釉の鉢は匣で焼かれました。
笑顔の素敵な受付の女性でした。
無名氏のご指摘通り「15世紀の第三期ナーン様式の仏像で、ワット・ター・ロー(プー・ピアン)からもたたらされました。」という注記を付けた施無畏印を結んだ宝冠仏立像は、アユタヤ後期からラタナコシーン、特にラーマ3世の治世以降に好んで造仏された、王の正装姿で豪華な装身具を纏ったラタナコシーン仏です。
本記を以って訂正とし、本文は別の機会に訂正のコーナーを設けます。