■午後4時30分、ホテルの部屋に荷物を置いてすぐに出かけます。市街の西、「ドイ・カオ・ノーイ」山頂にある「ワット・プラタート・カオ・ノーイ」から夕暮れのナーン市街を望むためです。
寺院は1487年、ナーン国主「パヤ・プー・ケーン」の第二夫人によってラーンナー様式とビルマ様式の融合した仏塔が建立されました。1906年から1911年までナーンを統治した、最後の封建君主「プラチャオ・スリヤポーン・パリットデット(スリヤ国主)」の治世にビルマ職人によって大修理されました。
「ワット・プラタート・カオ・ノーイ」には高さ9mの遊行仏「プラ・プッタ・マハ・ウドム・モンコーン・ナンタブリ・シー・ナーン」が蓮華の上に立ってナーン市街を見守っています。
ラーンナー様式とビルマ様式を折衷した仏塔です。
礼拝堂には大理石のビルマの仏像が安置されています。
■午後6時、「ワット・プラタート・チャーン・カム」を通りかかった時に、夕陽がきれいだったので境内に入り写真撮影です。
「ワット・プラタート・チャーン・カム」は「ワット・プーミン」の北にある幹線道路の交差点の対角にあります。また、道路を挟んだ向かいは「ナーン国立博物館」です。
寺院の歴史はは1406年、「チャオプー・ケーン」の統治時代まで遡ります。1548年、「プヤ・ポンラテープ・ルーチャイ」の統治時代に礼拝堂の修復が行われたことが、寺院内で発見された石碑に書かれています。
仏塔はスコータイ様式の影響を受け、スリランカ様式の釣鐘状の塔の基壇を24頭の象が支えています。スコータイの「ワット・チャーン・ロム」と類似した仏塔です。
礼拝堂には14世紀に造られた、高さ145cmで金の含有率65%の青銅仏「プラ・プッタ・ナーンタブリ・シー・シャカヤムニ」が安置されています。
各面5頭と四隅で象が支える、スコータイの影響を受けた仏塔です。象は煉瓦で基礎を造り、漆喰で仕上げられています。
陽が雲間に隠れます。明日、ゆっくりと参拝に来ます。
■午後6時12分、ホテルへ戻り再び食事に出掛けます。
隣の木造3階建のホテルが気に入り、また写真撮影しました。
ホテルの道を隔てた小道を入ると市が催されています。
夕食を買い求めてやってくる人でいっぱいです。
30分余りホテル周辺を散策しましたが、食事は結局ホテルですることにしました。
寺院は1487年、ナーン国主「パヤ・プー・ケーン」の第二夫人によってラーンナー様式とビルマ様式の融合した仏塔が建立されました。1906年から1911年までナーンを統治した、最後の封建君主「プラチャオ・スリヤポーン・パリットデット(スリヤ国主)」の治世にビルマ職人によって大修理されました。
「ワット・プラタート・カオ・ノーイ」には高さ9mの遊行仏「プラ・プッタ・マハ・ウドム・モンコーン・ナンタブリ・シー・ナーン」が蓮華の上に立ってナーン市街を見守っています。
ラーンナー様式とビルマ様式を折衷した仏塔です。
礼拝堂には大理石のビルマの仏像が安置されています。
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■午後6時、「ワット・プラタート・チャーン・カム」を通りかかった時に、夕陽がきれいだったので境内に入り写真撮影です。
「ワット・プラタート・チャーン・カム」は「ワット・プーミン」の北にある幹線道路の交差点の対角にあります。また、道路を挟んだ向かいは「ナーン国立博物館」です。
寺院の歴史はは1406年、「チャオプー・ケーン」の統治時代まで遡ります。1548年、「プヤ・ポンラテープ・ルーチャイ」の統治時代に礼拝堂の修復が行われたことが、寺院内で発見された石碑に書かれています。
仏塔はスコータイ様式の影響を受け、スリランカ様式の釣鐘状の塔の基壇を24頭の象が支えています。スコータイの「ワット・チャーン・ロム」と類似した仏塔です。
礼拝堂には14世紀に造られた、高さ145cmで金の含有率65%の青銅仏「プラ・プッタ・ナーンタブリ・シー・シャカヤムニ」が安置されています。
各面5頭と四隅で象が支える、スコータイの影響を受けた仏塔です。象は煉瓦で基礎を造り、漆喰で仕上げられています。
陽が雲間に隠れます。明日、ゆっくりと参拝に来ます。
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■午後6時12分、ホテルへ戻り再び食事に出掛けます。
隣の木造3階建のホテルが気に入り、また写真撮影しました。
ホテルの道を隔てた小道を入ると市が催されています。
夕食を買い求めてやってくる人でいっぱいです。
30分余りホテル周辺を散策しましたが、食事は結局ホテルですることにしました。
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