の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

タークからピサヌロークを経てコーン・ケンへ

2014年12月10日 | ピサヌローク

午前5時29分に目覚め、煙草を吸いに表に出ます。満月が西へ傾いています。今日も雲が多い日になりそうです。



表通りにに面した食堂ですが、ピン川右岸は車の通行がほとんどなく落ち着きます。
道路の対面はピン川畔に建つリゾート・ホテルですが、ロケーションが良いため満室でした。

朝食です。明日は「ピマーイ・フェスティバル・2014」を見る予定で、本日はコーン・ケンのバン・パーイまで移動します。
昨日は471kmの走行でした。バーン・パーイへはタークから国道12号線でピサヌローク、コーン・ケン、そして国道2号線を走り532kmです。

午前8時30分のスタートです。タークの交差点に立っているモニュメントはクラトンです。

タークからスコータイまでは山の中です。かって、スコータイ、ターク、メーソート、ビルマからインド洋に抜ける東西交易の古道はカーンペーンペットを経由していたことを改めて認識しました。

途中のガソリンスタンドです。

スコータイへ入って来ました。

右がスコータイ、左がシー・サチャナライです。真っ暗な空になってきました。
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ピサヌロークでは市街地を抜け、ナーン川東岸のワット・チュラマニーに寄ってみました。午前11時10分、151kmの走行です。

スコータイ王朝以前のクメール統治下に建立された、ピサヌロークで最古の建造物だろうと言う以外の詳しいことはわかっていません。


後のアユタヤ王朝の第9代国王ボーロマトライローカナート(在位:1448年~1488年)が礼拝堂を建立、ワット・チュラマニーで出家しています。
クメール様式のラテライト祠堂の表面には漆喰彫刻がたくさん残っており、その時の補修によるものです。

ボーロマトライローカナート王はサワンカロークの王がラーンナー王国と共に反乱を起こした時にサワンカロークを討って、ラーンナー王国を征伐するためピサヌロークへ遷都しています。

南に面した主祠塔の擬似扉にきれいな漆喰彫刻が残っています。

漆喰彫刻のアップです。

東南東が正面となっています。



北から見ます。北側の壁面には漆喰彫刻がたくさん残っています。

擬似扉です。



























アユタヤ時代の煉瓦作りの礼拝堂跡です。残った壁の内側に新しい礼拝堂が建築されています。

礼拝堂に安置された仏陀像です。
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ピサヌロークからロムサックまでの山間部を走る国道12号線で、約100kmの区間が4車線工事中です。7割は完成しており快適に走行できるようになっていますが、ペッチャブーンに入ったあたりから写真の状態が続きます。








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ペチャブーンのカオ・コーへ入る三叉路を過ぎたところで、今話題になっているお寺「ワット・パー・ソン・ケーオ」が右手の山の上に見えます。参拝してから行くことにします。



参道です。階段や壁にタイの五彩磁器、ベンジャロンや色鮮やかなタイルがふんだんに貼り付けられています。



本堂から外の風景を望みます。

ご本尊です。

同じ様式の大仏も建設中です。







嵌めこまれたベンジャロンとタイルモザイクのカラフルな寺院です。

床にもタイルやガラス片がモザイクされています。



参道に咲いていた花たちです。










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ロムサックから東へ18km行った所にあるコンクリートの柱を組み合わせたフアイ・トン橋です。
ずいぶん以前のことですが、国道12号線に架かる木造橋として日本語フリーペーパーに紹介されたことがあって、一見の価値ありと探して結局は一山越えてチュム・ペーまで120kmを走ったことがありました。
その時、この橋にも立ち寄ったのですがコンクリートの脚橋で、木造橋ではないため、さらに進んで行ったのですが、バンコクに戻り、フリーペーパーに紹介された橋の写真を見比べると「フアイ・トン橋」を木造橋と紹介したものでした。





再び雨です。

「象注意」の看板です。

一山越えてチュム・ペーに入りました。少し休憩です。午後5時10分、410km走ってきました。バン・パーイまであと122kmです。

食堂が開いていたので食事にします。実はここまで昼食をしていませんでした。

カーオ・マン・カイです。
鶏の出汁で炊いたご飯の上に蒸し鶏がのってあり、横のつけ汁で食べます。結構カロリーが高いようです。


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