の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

「女の砦」バンテアイ・スレイ(3)

2015年08月12日 | カンボジア
聖池の横に置かれている破風は、ラーマーヤナから魔王ラーヴァナにさらわれるシーター姫です。

第二周壁、東楼門へ進みます。



破風の縁取りは2本の帯がたすき状に交差します。
カオ・プラ・ヴィハーン(プリヤ・ヴィヒヤ)の楼門と極似した意匠です。

破風の装飾はカーラの上に坐るヴィシュヌ神です。



楼門内に安置されているヨニです。2本のリンガを祀っていました。

楼門の内側彫刻です。破風の凹部三か所に棟木を渡して屋根をのせていたのでしょうか・・・。

破風の彫刻は、向かい合う象が坐るラクシュミーに聖水を灌いでいます。

その下にはガルーダです。

第三周壁の楼門です。周壁内には基壇に3基の祠堂が南北に並んでいます。祠堂の前には2棟の経蔵が建造されています。

第三周壁門の破風は踊るシヴァ神像です。まぐさ石の神像は顔を剥がされています。





3基並ぶ北側の祠堂です。破風は、女を股間に押さえつけるヴィシュヌ神の化身となっています。

北祠堂お東面南側のデヴァターです。

北側のデヴァターです。顔面が剥がされています。

北側の経蔵です。





北側経蔵の破風は、神象に乗るインドラ神が恵みの雨を降らせているところです。





北側から中央祠堂を見ます。

中央祠堂の門衛像です。



北側から中央祠堂を見ます。

北祠堂、北面西側のデヴァターです。東側のデヴァターは損傷が激しいです。

逆光ではっきりと写りませんが、北祠堂を西から見ます。

北側のデヴァターです。



南側のデヴァターです。



西楼門です。

破風側面の彫刻です。



破風の彫刻は、猿王スグリーヴァと兄ヴァーリンの戦いです。

まぐさ石にはカーラの上に坐るヴィシュヌ神で、東楼門と対になっています。

伽藍を反時計回りに半周しました。
10世紀に建立されて以降、改造や改築が加えられていない希少な寺院で、東南アジアの最高の美術様式が織り込まれた寺院です。

「女の砦」バンテアイ・スレイ(2)

2015年08月11日 | カンボジア
「女の砦」という意味を持つ「バンテアイ・スレイ」の続きです。
1914年に発見されます。当時フランスを代表する前衛作家で、後に文化大臣に就任するアンドレ・マルローはフランス極東学院の会報で密林に埋もれたバンテアイ・スレイの発見を知り盗掘でひと儲けすることを画策します。妻クララと友人の3人で考古学の学術調査を装いカンボジアを旅行、バンテアイ・スレイの北側祠堂から3体の女神像を盗み出し、国外へ持ち出そうと、プノンペンまで運び出したところで逮捕されます。半年後の裁判で有罪となります。マルローはこの盗掘をもとに小説「王道」を発表します。
バンテアイ・スレイの修復は1931年に完了しました。

南北94m、東西100mの第一周壁に沿って、聖池を回ります。







南側から見ると、地盤が波打ってきているのが分かります。





周壁はラテライトで出来ています。

西門です。



第二周壁の西壁には崩れた破風がたくさん仮組で置かれています。





フタバガキの実です。




「女の砦」バンテアイ・スレイ(1)

2015年08月10日 | カンボジア

アンコール3日目です。ホテルで朝食後は、およそ40km東北にある、「女の砦」という意味を持つ「バンテアイ・スレイ」から観光を始めます。

ホテルの3階食堂テラスから表通りを撮影しました。

カーブを曲がったところでお巡りさんがヘルメット装着の取締りをしています。





ヘルメットの装着率は結構いいみたいです。1台ノー・ヘルがすり抜けて行きました。





彼はヘルメットを出そうとしていますが、間に合いませんでした。



四人乗りは違反ではありません。

彼女はUターンするタイミングを見計らっています。この後、お巡りさんの前から無事逃げていきます。
お巡りさんを見つけて、呼止められる直前にコースを変更する単車もたくさんあります。強者は、道路の左端をすり抜けていきます。

縁日が開かれるのでしょうか、たくさんの風船を積んだ自転車です。

乳児を抱いての3人乗りです。

お巡りさんに呼止められます。

違反金を払っていますが、支払うまでにずいぶん時間がかかっていました。かなりごねていたようです。
もちろんヘルメットをしていないからと言って、違反切符が切られているわけでもなく、違反金に領収書が発行されこともありません。

前の単車は息子のようです。お札が2枚渡されています。


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宿泊している「タ・プローム・ホテル」の外観です。
















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バンテアイ・スレイに到着です。団体の観光客が行過ぎるまでココナッツ・ジュースを飲んで休憩です。危なっかしい手つきで飲み口を切り落とします。



観光客を待ち構える、土産物売りの女性たちです。


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バンテアイ・スレイへは未舗装の道路が続きます。

バンチアイ・スレイは967年頃、ジャヤヴァルマン5世に仕えていた王師(宮廷バラモン)ヤジュニャヴァラーハによって建立されたヒンドゥー寺院です。
赤色砂岩とラテライトで造られた、三重壁に囲まれた小さな寺院です。

破風やまぐさ石、門柱には彫の深い精緻な彫刻でうめ尽くされています。赤色砂岩は硬質で、風化による摩耗もなく、最近彫られたような美しさです。

東門は象に乗ったインドラ神です。







東門から第一周壁門へ至る参道です。

参道南の門の破風は聖牛ナンディンに乗るシヴァ神と妻ウマの彫刻です。



破風の縁飾りの終端はナーガに乗るガルーダです。

参道北側の門です。



参道北側門にはヴィシュヌ神の化身ナラシンハに組み伏せられる阿修羅王です。





赤アリの巣です。

木陰で地元の人が演奏をしています。



参道と平行に並ぶ石柱です。





門柱に刻まれた碑文です。

地面に転がる蓮華文の彫られた石材です。

聖池に囲まれた中央伽藍です。基壇の上に3基の祠堂が並び、2棟の経蔵を配置しています。

聖地の間の参道です。

聖地の周りを一巡りしてから中央伽藍へ入ります。

プノン・バケン山から見る落日

2015年08月09日 | カンボジア
アンコール三聖山の一つ、高さ60mのプノン・バケン山へ来ました。
西暦889年に王位についた第4代国王ヤショヴァルマン1(在位;889年~910年頃)によって、初めてアンコールに建設された都市「ヤショダプラ」の中心に須弥山(メール山)として、山頂に六層の須弥壇とシヴァ神を祀る神殿が建立されています。
都市の回りには、アンコル・トムの一辺3kmより大きい、一辺4kmの環濠を巡らせ、クレーン山から流れてきた聖水で満たしました。

東向きの参道は左右に二頭のシンハを配し、急斜面の石段は崩れ去ったままで、登坂が禁止されています。
山頂へは階段横から山を回りこんで神殿西へ通じる山道を登ります。

山頂の神殿は夕陽を見に集まった観光客でいっぱいです。
中央祠塔までは六層基壇の急こう配の石段を上ります。各基壇に60基、基壇の外側頂上部に44基の小祠塔、そして中央祠塔を囲む4基の祠塔と合わせて108基の祠塔が中央祠塔を取り囲んで林立しています。



石段の幅は15cmと狭く、仰角75度のピラミッド状の須弥山です。







東向き神殿の参道階段との間には平地が広がります。

神殿最上段から見るアンコール・ワットです。



中央祠塔の壁面に彫られた巨大な女神です。





神殿最上階にはたくさんの観光客が陽が沈むのを待っています。





西方には貯水池「西バライ」が横たわります。975年、ジャヤバルマン5世(第10代、969年~1000年頃)によって工事が開始され、1020年、スールヤヴァルマン1世(第13代、1015年~1050年)の治世に完成した、長編8km、幅2.2kmという巨大な人造湖です。
アンコールを巨大都市に成長させ、都市の人々に食糧を供給できる農地を確保しています。

地平線近くは雲が厚く覆っており、陽が沈むところは見られそうにありません。東南アジアの落日は毎日見ているので、下山客で込み合う前に早々と引き上げます。

アンコール・ワットとプノン・バケンを結ぶ夕方の道路はホテルへ戻る観光客と仕事帰りの地元の人たちで大渋滞です。


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夕食です。午後6時26分にレストランへ到着しましたが、まだ他にお客は来ていません。

おかみさんでしょうか、仏様に線香を供えています。

タイでは「ソムタム」でしょうか、青いパパイヤのサラダですが唐辛子は入っていません。

こちらは「パック・ブン・ファイデーン」、空芯菜を炒めたものです。やはり、唐辛子は入っていません。

川魚に春雨や細く刻んだ野菜が煮込んでいます。

午後7時27分に食事を終了、ホテルへ戻るのですが、ガイドがアプサラを紹介する、としつこく誘います。わざわざカンボジアまで来て・・・・と思ったのですが、日本人観光客は皆行くという言葉で、後学のため店だけみることにしました。
ガイドは価格を60ドルだといいます。カンボジアの物価からして、ずいぶんふかっけたなと思いつつ、1軒目を覗きます。照明を落とした暗いお店です。2軒目、3軒目と店を見てホテルへ戻ります。
翌朝、運転手に価格を尋ねると40ドルとのこと。この場合、運転手の取り分が10ドルとしてもずいぶん高いようですが、ガイドは2倍に吹っかけていたようです。また、翌日はガイドが換わり、こちらから価格を尋ねると80ドルという答えでした。

アンコール・ワット西参道へ

2015年08月08日 | カンボジア
帰路は第一回廊大塔門から西参道に出ます。

大塔門十字テラスから西参道の北側に下りて撮影です。



再び西参道に上ってきました。

次に西参道を南側へ降り、参道下を西塔門へ歩きます。およそ500mです。
アンコール・ワットは神殿内の石組や彫刻も秀逸ですが、須弥山を模した威容を誇る外観が素晴らしいです。王の偉大さを誇示すために領民と時間を注ぎ込んだ遺構です。
石材は45km離れたプノン・クレーン山の石切り場から、牛や象、筏で運ばれました。運搬に15,000人、石工3,000人、建築仕上げに1,000人、彫工1,500人、補助作業を加えて毎日25,000人が建築に携わり30年以上かかったと見積もられています。
当時のアンコール周辺は50万人以上の人口を抱かえた世界屈指の大都市でした。
建設された貯水池(バライ)や灌漑用水は、大都市に供給する食糧生産を十分にまかなうことができました。



右の建物は南経蔵です。

西参道の基壇部に施された彫刻が延々と続きます。





西塔門に安置されている神像です。



西参道入り口へ戻って来ました。

次に1km北にあるプノン・バケン山頂へアンコールの
夕陽を見に行きます。