懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

NHK教育 ドストエフスキー「悪霊」と 9.11

2008-02-19 02:24:36 | Weblog
例のアメリカの9.11のビル爆破のテレビ画面。

あれを見て、図らずも「道楽友達」のバレエファンの知人と意見が一致した。

事件直後も私らは、劇場に来ていたのだ。普段舞台の感想しか話さない間柄なのに、突然、相手が言った。

「あの、爆破事件の映像は、あれは、いかにアメリカが憎まれているか、再認識した」

「そう、そうなんだよね」と私は言った。「(私らによくわかってないことも含めて)、あそこまでやられてしまうほど憎まれることを、アメリカがやったってことだよね、」と。その衝撃を私らは共有した。

昨日の教育テレビで、「カラマーゾフ兄弟」新訳ヒットの亀山郁夫先生が、ドストエフスキー「悪霊」の講釈をやっていたのはいいのだけど、最後のオチが、ちょっと・・・。

突然話が、ドスト小説「悪霊」から、アメリカの9.11、ビル爆破のテレビ映像の話になってしまい、う~ん、・・。

亀山先生は、なんでもあの映像を、「「悪霊」のスタヴローギンのような意識で見ている自分に気づき、愕然とした」のだそうな。そして、「彼だけでなく、多くの人が、そういう意識で見たんじゃないか」との趣旨。

私から見れば、オプティミスティックだ。そんな意識で見られるほど、「ひとごと」なんですね・・。

亀山先生に限った話じゃないけど、学者とはそういうものなのか・・・?
「悪い本の読みすぎなんじゃないですか?」という気が・・・。テロで、被害にあわなかったかどうか、実際に心配する相手がいる場合の意識の持ち方は、それどころではない。

不肖、私などは、第一報では「知り合いがいないか」と案じて、ビル内の日本企業の避難状況報道を見て、知ってる会社の人は、無事に避難した階だったと知ってほっとしていた。(死んだ人もいるのに不謹慎だが)

そしてまた、あの、ビル爆破でもっての中東の人々の「意思表示」については、私には、立場の違う日本人として、複雑な思いでその負のメッセージを受け止めるしかなかった。

亀山先生の理解によるスタヴローギンの意識とは、「茫漠たるニヒリズムに帰結する」感情にしか、私には見えなかった。が、あの9.11の事件には、もっと「輪郭のはっきりした」憎悪を感じる。

批判と言うより別な意見として言いたいが、亀山先生の捉え方は、私にはひとくくりにはできない、ひとくくりにしてはいけないものを、ざっくりひとくくりにしてしまっているように思える。

(でも、あの9.11のニュースを見て、先生が、スタヴローギンのような目で見ている{つまり、テロで殺される人々を悼み、案じる感情ではなく、テレビ映像を見る傍観者のクールな目線で見ている意識、もっと言えば、悪を望む心とでもいったところか?}というのなら、ちょっとやばい精神状態かも、とも思う。

またマスメディアに対し、無防備すぎると言う点でも、問題あると思う。テレビ映像とは、「編集されたもの」だ。ストレートに現実とイコールというより「編集された現実」として見る目は、視聴者にとって基本だ。)

このNHKの番組を見たことで、逆に、こないだのベルリンの映画の賞取った映画についても、自分の中ではミソがついてしまった。「今更、連合赤軍事件だなんて」と。あの事件について、ある程度ものを考える人間は、とっくにそれぞれの結論を出して先に進んでいるのではないかと。

現実は、もっともっとよからぬ方向に、先へ進んでしまったのだ。

9.11の話は、アメリカは、イスラム圏に対し、相手の文化を尊重せず、アイデンティティを否定するようなことをやってるわけだから、自らの文化に誇りを持つ人間が、闘っても不思議ないと思う。

アメリカは性的にぶっ壊れた人間が大勢いる所だと知ったが、あのイラクでやってた語るに落ちる愚行については、弁明の余地ないし、イスラム圏で、自国に誇りを持つものは戦っても不思議ないと思う。テロが許されると思うと考えることとは別であるし、自分はテロに殺される市民の側に過ぎないが。

「罪もない人が殺される」のと、それなりに手を染めた人間が殺されるのとではわけが違う。アメリカがイラクへ出兵し、日本も加担してる。私だって日本国民で税金払ってるし、日本のやったことに全く責任ないわけじゃない。

9.11事件のようなことがあれば、例えば自分がそこらにいて、たまたま殺されちゃったら、それはそれだと思う。(例え日本が外国に恨まれることもして、外人に「テロの犠牲になっても仕方ない」と思われたとしても、それでもテロなんかで死にたくないエゴイズムの持ち合わせは、私にもあるが、自分は「何の罪もない」とまで思える傲岸さはない)そりゃ、自分以外が殺されたら、気の毒だと思うけど。自分だって死にたかないし、痛いのは嫌だけど。

「何の罪もない」と言える場合も、言えぬ場合もある。「何の罪もないひと」といってしまう傲岸。意識するとせざるに関わらず、現実の何かの罪に加担してることだってあるんだ。

話をNHKの「知るを楽しむ」に戻すと、亀山先生の講釈だけでは、見たいものは私には見えてこなかった。大した経験もない大学生が、「講義」として聞くならわかりやすくてよいのかもしれないが。若い頃政治に関わり、過去の体験を持つらしきドスト氏にだって、固有の体験からくる想いが色々あるんだと思う。それなりの負のエネルギーに突き動かされて、「悪霊」を書いた。

今時は、「わかりやすい」小奇麗でまとまった講釈で、大学生が納得するもんなのかもしれない。でも。「そんなに簡単にわからなくったっていいじゃないか」と思う。

亀山先生は自分と他者をひとくくりにして、「我々」といった。が、9・11については、「我々」とくくられるような意識は、私の側にはなかった。自分がそうだからと言って、他人がそうとは限らない、そう簡単に判られては困る。

でも、「カラマーゾフ兄弟」面白かったから、亀山先生の次なるチャレンジに期待しております。まー、「知るを楽しむ」という番組自体が、こんなに熱くなるような対象ではないのかもしれないが。

とりあえず、連合赤軍事件を題材とした映画が、ベルリンで賞とって日本でも賞とったので、つい、先日「悪霊」のことを書いてしまったが、今回のNHKの「知るを楽しむ」だったかそんな番組を見て、「悪霊」の話を見たことで、やっぱり、「連合赤軍」ものはもう古いんじゃないかと言う気がした。もちろん、本当の意味できちんと語られるならいいけれど。島田雅彦調は、かんべんしてほしい。前頭葉使ってもの考えろといいたい。

連合赤軍事件関連では、当事者の永田洋子死刑囚の手記以上に価値のあるものは、今の所、あまり出てないんじゃないかと個人的には思うし、私は彼女の著作も、先に出たものしか読んでない。本人でさえ、後年書いても、先に出したもの以上のものを書くのは、難しいと思う。あとは強いて言えば、事件直後に出た寺山修司の記述が、ユニークだったくらいだ。

他のものは事件を語れば語るほど、事件から遠ざかってフィクション化していくような気がする。今回の映画の中の「びっくりするほどかっこいい永田洋子」は、彼女を当時社会がどう扱ったかを思えば、価値の変換という意味はあったと思う。(事件とは関係なく、女性の永田さんの方が、男性のリーダーより悪し様に言われたり、容姿のこととか、あれは事件とは関係なく当時の、社会の女性への侮蔑の意識の象徴だったと私は思ってるので。)

いま学校でだって、職場の実体だって、陰湿ないじめくらいはいくらもある。(それに傍観者や加担者でいることしかできない、弱い人間もたくさんいる。)島田雅彦の以前の、事件に対する発言については、「うわべだけのきれいな建前」ほど時間の無駄もあるまい、と思う。(「狂気の集団がどうのこうの」とか、です。一番幼稚なレベルの捉え方。)

(亀山先生の、「自分がスタヴローギンのような目で見ている」という「悪霊」アプローチは、「悪」を自分の外に求める島田氏よりは、「悪」を自分の中に見る分、なんぼかましとも言えるが。)

現実は、連合赤軍事件が衝撃だった時代よりもはるかに(悪い意味で)前に進んでしまった。今は、物理的だけなら、もっと陰惨で衝撃的な事件は、いくらもある。

話は戻るが、「9.11」は、あのアメリカへの憎悪の裏側には、「正義感」「義心」が、おそらくいくばくかあるのだ。

怪獣映画と間違えたかと思うようなニュース映像。

9.11は、「正義感の怖さ」をも伝えた。(実は、「悪霊」ヒントになったという、ネチャーエフ事件だって、そもそも論でいえば、簡略すればそういうことだと思うけど)

大変辛口になってしまったが、亀山先生のテレビの仕事は続けて欲しいです、この方は、語りがテレビ向きだと思うので。

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