気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

顔面バウムクーヘン

2018-11-12 05:24:34 | 日記


 今日も例によって自分の信仰する神のところに行き1週間無事に働かせていただいたことへの感謝をささげた。
その後、僕を担当している教会の係に会いしばらく雑談。
 小津安二郎映画の出演者的演技をお互いに果たした後、再び神と向き合う大切な場所に行く。

 そこでこんどは本当に心動く出来事があった。
 その場所は大勢の人でギューギューで荷物も置く場所もほとんどなく、僕は大きなペットを入れるバックをあぐらをかいた足の上に抱くように抱えていた。(もちろんペットは入っていない)

 その時、そういう僕の状況を見ている隣にすわっていた男性の視線を感じていた。しばらくするとその男性と奥様が、「バックを隣に置かしてもらったら、それか私の前に」と優しい心遣いをしてくれた。
 僕はありがたく感じ入りながらも、丁寧に辞退した。
ぼくはこういう真心から出た行為言動にひどく感動する人間である。
まるで白湯が体の中をじわーッと広がっていくような思いをしばらく抱いていた。

 その男性は両膝を手術したらしく、足を前に伸ばしたまま座っていた。
当然立つときも奥様の助けが必要で、僕も先ほどの心遣いに報いなければと、彼の脇を抱えて助けた。
いやぁ、人間の体って重いもんだなぁ、と思いながら、全力で彼を持ち上げた。手術の影響で膝をつくことができないらしく、奥様と僕が両脇から抱えてようやく立ち上がったという感じだった。

 これほどの体になっても、神に向き合いにわざわざ出向いてくるというその信仰心の篤さ、真剣さ、神への敬愛の念には頭が下がった。
果たして僕が同じ状況になった場合、同じことができるかというと…あらためて信仰というもののありがたさ、厳しさということについて考えさせられた。

 さて、もう年末だ。
速い、むかしとくらべるとまるで4倍速で早送りをしているように時が過ぎていく。
残り時間で何ができるか、どれだけ(魂が)成長できるか、この魂で、心で、どれだけ生きることを味わい続けられるか、自分がどんな人間になっていくのか、とても興味がある。

 思えば以前、世捨て人的な生活をしていた時と比べると、人生の味わいはそれだけ鋭角で濃厚になった。
勿論その途上で、僕の顔や体は擦り傷、切り傷だらけになり、返り血もたくさん浴びた。
痛すぎるので(心に)麻酔を打ってくれといいたくもなった。

 しかし、今はこれが人生の『味わい』だと感じる。
昔、頭突きがとくいなプロレスラーがいて、その人の額は何度も何度も頭突きをしたためにギザギザになっていた。キャスターの古舘一郎がそれを見て、顔面バウムクーヘンという実に見事な、的確な形容をしていた。
僕の心をもし形容するとすればまさに「顔面バウムクーヘン」的なものだろう。

 しかし、そういう自分の人生を振り返ってみると、僕はなぜ人間がこの世に生まれてくるのかということの答えがだんだんわかってきたように思う。
それは「これを味わう」ためなのだと。
 真剣勝負の切った張ったを経験した向こう側に、それまでは見えなかった別の地平があるということ…立ち込めていた霧がいきなり晴れてきたときのように見えるようになってきた。

 自分は今その膜を破る刹那にある。それを楽しみにし始めている自分も感じる。
顔面はバウムクーヘン状態、服はボロボロ、握った己の手には血が滴る短刀…にもかかわらず、僕は人生を好きになり始めている、愛し始めている、そこになんらかの『目的、意味』のようなものが存在しているのではないか、ということをおぼろげにではあるが触感し始めている。

 僕はこれからの残った時間、それを味わうことを楽しみにし始めてさえいる。





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