友であり、同僚でもある人と秩父の三峰神社を訪れた。
コロナ第7波の時期でもあり、行くかどうか迷ったのだが場所が秩父でありほかの観光地ほどは人がいないと思い、また、しばらく自粛していたので我慢の限界に達していたので行くことにした。
行けば西武秩父駅のバス停からすでに列ができていて、この神社に対する人々の信仰の篤さを実感した。
この神社を初めて訪れたときに神様からの歓待のサインを三つ(鹿の出現、本堂前でのタイミングばっちりの降雨、虹の出現)もいただいたので、それらが偶然であったかもしれないにせよ、かってにうれしくなってまた訪れた次第である。
それともう一つの理由は、最近Nikonから動画に特化したカメラが発売されて、一度はしぼんでいた動画をとってみたいという思いが再燃してきたこともある。
なので、自分が今持っているカメラとジンバルを持っていき動画を撮ってきた。友達がいたので撮影に集中しきれなかったためいい動画はほとんどとれなかったが、楽しむことは楽しめた。それと今回は「これはやれそうだな」という実感を得た。こんどは意欲が途中でしぼんでしまうことはなさそうだと感じた。
ただ、当初考えていた1眼レフ機とジンバルでの撮影はあまりにも重量がおもく、長時間の移動しながらの撮影には向かないことがわかった。それと、人に顔をとられることに抵抗が強い人が多い日本では、やはり大きな1眼レフよりもなるべく小さなカメラの方がいいと思った。なのでこれからはスマホとスマホ用のジンバルを使って撮影していくことにした。今持っているスマホでも動画は撮れるのだが、やはりはじめるならそれなりのスマホが欲しいと思っていて、いまどのスマホにするか考え中である。
調べていて思ったのは、やはりソニーのスマホの優秀さだ。すでに伝統的なカメラで優れたカメラを作っているソニーなら当然なのだが、この分野でもたぶん今世界最先端を走っているといってもいいと思う。僕はずいぶん前から、カメラが売れなくなっている今、スマートフォンやアクションカメラ(小型の動画専用カメラ)でいいものを作らないと、カメラメーカーはやっていけなくなると思ってきた。
しかし、日本の伝統的なカメラメーカーはやはり職人、技術屋の集まりだからだろう、伝統的ないわゆる「あのカメラ(1眼カメラやコンデジカメラ)」に対するこだわりが強く、そちらの方にかじを切ったカメラメーカーはソニーを除いてほぼないといっていい。あのライカでさえついにスマホにカメラを組み込んでいるこの時代にである。みんながチーターのように走っているのに、日本のメーカーだけは(ソニーを除いて)象のようにのっそのっそと歩いている…そんな印象を受ける。
ただ、すでにもう日本メーカーもわかっているであろうように、スマホでこれほど高画質な写真や動画がとれるようになっている現在、わざわざあの重くて高価なコンデジや1眼カメラなどを買うひとは一部の写真好きな人々を除いてほぼいないといっていいだろう。
動画用のカメラはスマホだけでなくGoProのように5cm前後の小型のものが発売されていて(それゆえにつかれない)、価格も5万円前後と今までの伝統的なカメラの半額以下で買えるようになっている。そういう状況の中でやはりわざわざ伝統的なカメラを買う人々はどんどん少なくなっていくのは避けられない時代の趨勢といっていいだろう。
『それでも』いまだに伝統的なカメラを作ることにこだわっている日本の主要カメラメーカーはある意味、お見事といって言えないこともないが、資本主義市場というものはメーカーの願望で動いていくものではなく、あくまでも消費者の願望や利便性で動いてくのであり、前者にこだわりすぎるとやがては市場から駆逐されていくという厳しい現実に直面せざるを得なくなるだろうと思う。
ソニーが作っているXperiaシリーズはまさにソニーの映像技術の粋を集めて作っていて、すごい!の一言である。
たぶんだがいまあれほどの高度な技術を詰め込んだスマートフォンはソニーのXperiaシリーズ以外にはないと思う。いまはブランド力を持つアップルのiPhoneが圧倒的にリードしているかもしれないが、ソニーのこの製品がそれに肉薄するところまで行くのも時間の問題ではないか。
同じスマホで写真や動画を撮るにしても、平凡な写真ではなくすこしでも画質がよくて、それに加えて様々な細かい加工や編集機能を持ったスマホがほしい、そのためになら多少価格が高くても他社ではなくソニーのスマホを買おうという人々が増えていくのは自然の流れではないか。たとえば今の僕のように。特にいままでローエンドの一眼カメラを買ってきた層が、サブカメラとしてこのXperiaシリーズに流れていくだろうと想像する。
その流れは最初は細く弱いかもしれない、しかし、このXperiaシリーズの評判が根付いていくうちに、そして技術がさらに高機能なものになっていくにつれて、徐々に太く太く強固なものになっていくに違いない。
以前、あるユーチューブの動画で日本のカメラメーカーもスマートフォンの製造に参入すべきだとコメントしたら、ソニーでさえ利益をあまり出していない分野だからそんなことをしてもあまり意味がないという返事があった。
確かにいままではそうかもしれない、しかし、それは上述したようなソニーの圧倒的な技術力がまだあまり日の目を見ておらず、それが消費者に認知されてこなかったからではないか。でもこれからは違う、違う段階に入った…と僕は感じる。
日本のカメラメーカーはすべての人がそうでないにせよ、スマホ?なんで我々がそんなおもちゃのようなものを作らなきゃいけないんだ?プライドが許さない、と考えてきたし今も考えているのではないかと僕は想像している。しかし、この考えを払拭できないとやがては市場から手厳しい現実を突きつけられると僕は思う。
そういったメーカーの経営に携わっている人々の大部分は、スマートフォンが誕生する前に成人した層でありまだまだあの伝統的なカメラに対する愛着が強い層であろうと思う。なのでよけいにこの境界線をまたぐことに強い抵抗を持っているのではないかと想像する。
一方、ソニーはもともと家電メーカーであり、昔から様々な家電製品を作ってきた。だから、最初からこのような境界線など存在しない。伝統的なカメラに対するいわゆるマニアックな愛着やこだわりはほぼないに等しいだろう。だからこその今の現状があるのだと思う。
そういうこだわりが悪いといっているわけではない。ただそれにこだわるのであれば、会社の規模がいまよりもずっと小さくなっていく、つまりはかなり大規模なリストラは避けて通れないし、一歩間違えば、会社自体の存続さえも危うくなるというリスクを受け入れなければいけないだろう。
もっと保守的な人々は、そもそも伝統的なカメラとスマートフォンは全く別物であり、その境界線をまたぐなんてできるわけないと考えている人々もいるだろう。
確かにそれは相当の勇気と経営者側の指導力が必要だろうと思う、しかし不可能ではないはずだ。
普通の家電メーカーだったソニーやパナソニックには、高度な技術を必要とするカメラなど作れるはずがないと伝統的なカメラメーカーはほんの十数年前までは思っていたのではないだろうか。それが今やこの両者は伝統的なメーカーをしのぐ性能のカメラを次々と創り出している。
もっと言うなら、アップルはもともとパソコンメーカーであり、スマートフォンなどは完全な別業種であり門外漢だった。それがいまや世界で最も愛されているスマートフォンであるiPhoneを販売し、その中には高性能なカメラも入っている。アップルやソニーにできたことができないわけがない。そう考えるのはおかしいだろうか?
ただ……そうはいっても伝統的なカメラ業界には百年を越える伝統があり、ほかの製造業とは違う心理的な特殊性があることも確かだろう。
そしてニコンやキャノンなどの伝統的なメーカーが跳躍できず、衰退の一途をたどっているのもまさにこの特殊性の壁が邪魔をしているのであろうと僕は感じている。
その中にとどまって特殊なマニアだけが買うマニアックなメーカーになっていくのか、それともソニーやアップルのように跳躍して大飛躍していくのか、いま彼らが直面しているのはこの段階ではないかと思う。
もちろん「本当の」正解は僕にもわからない、だが、どちらを選ぶにしても「意識的な決断」ができずにただ現状に流されていくのは最悪の結果をもたらすと僕は思う。
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