KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

「オーファンズ」千秋楽

2008-02-05 | 相方さん(米澤観児氏について)
皆様の暖かい拍手と感動の涙とともに夢の街劇場の第一回公演は終演を迎えました。
皆様、ありがとうございました。
終演後の一コマです。みよ、このほっとした表情(^^)

今回の公演はほぼ満席状態で当日券を出すのも難しいほどのお越しをいただきました。
また一度見た方が毎日違う彼らの真実の演技に魅入られた方が多く(せりふは変わりませんよ・笑)リピーターとして何度もお越しくださいました。
多くのご覧頂いた同業の俳優の方には劇場のすばらしさ、さらに自分もこんな風に演じてみたい、役者魂が揺さぶられたと言っていただきました。
お客様からは「どうしてあんなお芝居ができるんですか?あれって本気ですよね?」と毎回聞かれました(笑)
それもこれも毎回毎回、本当にその世界に入りきって、その世界を生きてくれる俳優さんとスタッフさんがあればこそ、そしてその世界をともに生きてくれるお客様あればこそ成り立つものでした。
「うそのない真実」それが夢の街のテーマです。
言葉を語るのでなく「しゃべる」つまり「生きる」
人間の基本の行為をそのままに生きることで生まれる真実。
人は普段考えながらしゃべりませんよね?
感じる部分で無意識に自分とそして何かと向かい合い、そこで衝動を生み出しながら瞬間に生きて「しゃべっている」のだと思います。
よく「言葉を語る」といいますが「語り」という形は言葉を捕らえ、考え、分析し、そしてどう伝えようかプランをし、話す形を作り、そして表現し、伝えていくもののような気がします。(私の中の感覚でしかありませんが)
もちろんその中に美しい魂が織り込まれ息づいていますね。
それもまた、その世界を一番と感じる方には間違いなく「リアル」であると思います。
私も俳優になってながーい年月立ちますから、いろんなものを体験したし、知りました。
そして、いろんなお芝居のやり方や組み立て方がありどれも真実、リアルを含んでいると思えます。
とくに日本では「言霊」という言葉があるように、まず言葉の意味を考えて、そこから感情を考えて、構築していって、演技をする俳優さんがほとんどのように思われます。
よくお稽古場で先輩や演出諸氏がいうのを聞きます。「言葉には意味があるのだからそれを考えながらしゃべらないといけない」それもあり。
それはそれで「演劇」という表現方法を突き詰める為には、とても美しくすばらしい方法や形だけれど、夢の街から流れてくる言葉は、その「プラン」を一切立てず、ただ相手だけ(つまり自分)を見つめて、その瞬間に生まれくるものを口にして、動く、真実の言葉と行動なのです。
「考えるてから話す」ということはお芝居としてそこで現実にしなくてはならないものを「先に見て創る」ことになります。
つまり表現されたものは「現実」ではなく「先に作った感情の再現」です。
夢の街のお芝居はそれをしないで、つまり一般的にいう「お芝居を作らないで」その場に生きることを一番に舞台に上がります。
なのでせりふはできるだけ意味を持たせず、抑揚も感情もつけず、台本も読み込まずに覚える努力をします。
台本も感情に左右されるト書きはとても薄く印刷されたり、時にはそれも消され、役名すら消されていることもあります。
それは事前に書かれている「感情」を創って持たないようにするためのひとつの努力です。
せりふは相手と対峙して、世界と対峙して、その向き合った衝動から「生きた言葉」つまり「しゃべり言葉」になります。初めてそこで感情が生まれ、意味が生まれます。
でも台本を覚え、演じる俳優にとってそれをすることはとても難しく、内面を使った訓練やよっぽどの努力がいるのだと思います。
その努力をひたすら繰りかえし、演技することをある意味捨てて、ひたすらその瞬間に、現実に生きる努力をする。
だからこそ、皆さんが感動してくださるような舞台の上での瞬間が生まれるのだと私は感じています。
それは「演技」であり、間違いなく「現実」
もちろん、「演劇」ですから「エンターテイメント性」もなくてはならない。
そういった部分が「ト書き」の中にあり、ただひたすらに探り演じていくと、優れた台本はそのト書きに書かれた感情と役者がぴったり合わさるようになっているのですから不思議なものです。
そして、不思議とちゃんと「生きてしゃべれて」いれば、演じるためにプランを立てずとも、何の前提を持たなくとも、すばらしい形で表現されます。
なぜならそこで起こっていることが「真実」だからではないでしょうか。
事実は小説よりも奇なり、ですよね。
夢の街のお芝居はそこらへんがすこし他と違う点ではないかと感じております。
もちろんいろんな考え方がありますから、わたしたちのやってること、これが正しいとかって感覚も私たちには一切ありません。
ただ、夢の街ではこのやり方が一番しっくりいくんでしょうね(^^)

母が言っていました、人間は感じるところと考えるところは違う。
人間を動かしているのはその感じる部分、つまり魂だと。
もし人間の機能だけを使うなら、その感じる部分はずっと認識できないでしょう、なぜなら感じる魂は体という機能の中にないものね、って。
なんとなくその言葉が見えてきた公演でした。
魂で生きる。それを私自身が目の当たりに見た舞台でした。

そんな私たちの感覚で作られる世界。
また彼らの時間をともに生き、その瞬間に生まれ来るものを一緒に体験しにきてくださいね。
次回のシアター夢の街公演は4~6月を予定しております。
次回作品もお楽しみに!!皆様のお越しをお待ちしております。