親友リッキーんちの美味しい無農薬みかんさんたち。
そのままで美味しく頂いております(感謝!)
全部食べられる前にへんしーん!って事でじゃむにしました。
蜜柑は白いところに美味しさや苦味などあるので出来るだけ取らず、大人風味にしたかったので、ゆでこぼしは二回にとどめ(ただここのゆで時間を長くしておくと出来上がりの口当たりが違ってきます)、実は一ふさずつきれいにむいて、お砂糖は全体のハーフちょっとくらいにし、更に煮込み時間を長くして、通常のさらりときらきらした蜜柑色ではなく、こげたりする直前のカラメルっぽく仕上げ、最後に洋酒に一年つけこんだプルーンを刻んで入れてみました。
苦みばしった大人蜜柑なママレード完成です。
味は~、「お、、、おいしい!!」っとつい言いたくなる仕上がりとなりました。
パンのお供はもちろん、紅茶に入れたり、ソーダ割したり、楽しみです(^^)
さて、昨年までの忙しさとは打って変わって、大幅な変化を迎えた今年の春。
この3ヶ月、人を恨むこともしたし、反面、ものすごく感謝もしたし、たくさんを失ったし、たくさんを得たハル。
しょーじき、いろんな意味でこれまでの中でもぴんちなハル(^^;)
ほーんとお金は何もな~い(笑)仕事もな~い!
でも何故か、これまでの人生の中で、お金にも状況的にもたぶん一番窮地にいるのに、何も怖くないハル。
未だ閉店がらみのトラブルもある。
だが、この状況を生み出した社長さんの周りの人が、お金や地位を盾に脅しをかけてこようと、あたしはなーんにも怖くない。
だって、これっぽっちも相手に負ける気がしないのだ。
だから、訴えることを焦ることも全くない。
向こうが引き伸ばせば引き伸ばしてくるだけ私は笑えてくるくらいだ。
突然の倒産で何のたくわえや準備も出来ず、個人的に貸したお金も返してくれないわけだからお金もないけど、なぜか焦りはあまりない。
なんでだろう?と考えてみた。
時間もあるしね。じっくり考えてみた。
これまでも生活は基本的に大変だった。
でも今ほどじゃない。なのになんで今、こんなに平気なわけ?
で、わかった事がある。
忙しすぎたのだ、私は。本当に。
いろんな事がいっぱいいっぱいだったんだ、と。
だから、何かをしてる暇なんかなかった。
何かを楽しんでる時間なんか全くなかったのだ。
自分も廻りもそれを気がつかないくらいだったのだ。
もちろん、これまでも友達は居て、みんな、私を助けてくれた。
私はそのことに気がついていたし、感謝しているはずだった。
でも、本当はそれを感謝する暇さえ見つけられなかったんだと気がついた。
今日、ジャムを作りながら、つくづく思った。
いままで、友達が何かを送ってくれても、私は食べる暇も、何かを作る暇もなかったのだ。
口にはしたが周りに食べさせるので精一杯だから食べた気がしてなかった。
家に居ないから、料理をする暇もない。
頂いたものは大体はいろんな方への贈り物となった。
それは食べてないのと同じだったんだと解った。
なんでそんなことに気がつかなかったのか?
私はこれまで、本当の意味で一人ぼっちだったんだと思う。
とても孤独だったから、何も感じなかったのだ。
今は無くなってしまったが、夢の街を創って、こうして閉めたことで、私には今までなかったご縁と時間が生まれた事に気がつけたのだ。
なぜだろうか?
答えはすぐにわかった。
それは「夢の街」とは一人の力で作れたものではなかったからだと思う。
今まで、あたしは一人で走ってきた。
複数の力でやってきたときも支える事はしてきたが「仲間」で居る事はしていなかった。
けれど、ここに来て、みんなで創る事に参加できた。
皆で何かを創るとき、自分の力を精一杯使う事は大事だが、もっと大事なことがある事に気がついた。
今までは私は相当、自分の力に自信を持っていて、何をするにも自分の力でと考えてた。
だから、徹夜なんてあったりまえで、何から何まで自分が動いてた。
けれど、夢の街を創るとき、ベースにした考え方がある。
それは「家族」である。
「家族」は「社会」の基本ともいえる、と思ったからだ。
大きな社会が例え揺れていようとも、基本にある小さな世界を幸せに保つことが出来れば、その人は最も幸せなところにいるだろう、と強く感じた。
そして家族とは血のつながりではない。
心のつながりともいえる、と思った。
そして、自分の家族を振り返ったとき、「母」を想い、「父」の姿を想った。
わたしの母は家族それぞれの力を信じている人だった。
それを思い出した事がわたしを大きく変えたんだと想う。
昨年一年、私には大きな助っ人たちがたくさんついてくれた。
そして、その人たちを信じて、それぞれの才能にそれぞれの分野を任すことにした。
わたしの性格からすれば、それは苦渋の決断である。
どうせ見つめ続けるのだから(笑)、やったほうが気がらくなわけだから。
でも、自分がやったほうが信用できる、と言う思いを手放し、お任せすることにした。
母のように。
結果、私には「仲間」と「信頼」が残った。
家族の宝として、それぞれの働きが形となって残った。
それは私たちの誇りでもある。
それはスタッフだけに留まらず、お客様との関係も同じだった。
お客様の一人一人が夢の街の家族だった。
それは今も変らない。
だから落ち着いたら家族に手紙を書くことを今から楽しみにしています。
そうして皆で作った夢の街だったから愛があったのだ、と思います。
もちろん、そこを提供してくれた社長さんあればこそだったわけですが、残念ながら彼が最後にした事は「家族を見捨てること」でした。
それだけが心残りです。
自らたった一人ぼっちを選んだ彼が。
話は戻りますが、この仲間と信頼と言う、愛の結晶がわたしの中に在るから、このハルの強さがあるのだと思う。
先日、友人がメールをくれました。
その人はいい人で、なかなかマイナスな言葉を使いませんが、その彼のメールの中に
「今回の事は不意だし、裏切りだし、ダメージ大きかったと想う」
と書いてくれていた。
そう。
こんな風に状況をよく解ってくれる人が今は周りにたくさん居る。
なぜなら皆で一緒に作ってきたから。
今起きている現状がなぜ起きているのかを語れる人たちが居る。
なぜなら一緒に過ごしてきたから。
決して私一人ではない、という事が良く理解できる。
そんな世界をスタートできている自分は幸福なのだと実感できるのです。
そんなハル。
今年はいろいろやってみたいことがたくさんあります。
一人ぼっちで忙しすぎて出来なかったアレコレをじっくりと時間をかけてやってみたい。
友と言う名の家族が送ってくれる恵みを一つ残らず楽しみたい。
まずはマーマレードの味見から。
そのままで美味しく頂いております(感謝!)
全部食べられる前にへんしーん!って事でじゃむにしました。
蜜柑は白いところに美味しさや苦味などあるので出来るだけ取らず、大人風味にしたかったので、ゆでこぼしは二回にとどめ(ただここのゆで時間を長くしておくと出来上がりの口当たりが違ってきます)、実は一ふさずつきれいにむいて、お砂糖は全体のハーフちょっとくらいにし、更に煮込み時間を長くして、通常のさらりときらきらした蜜柑色ではなく、こげたりする直前のカラメルっぽく仕上げ、最後に洋酒に一年つけこんだプルーンを刻んで入れてみました。
苦みばしった大人蜜柑なママレード完成です。
味は~、「お、、、おいしい!!」っとつい言いたくなる仕上がりとなりました。
パンのお供はもちろん、紅茶に入れたり、ソーダ割したり、楽しみです(^^)
さて、昨年までの忙しさとは打って変わって、大幅な変化を迎えた今年の春。
この3ヶ月、人を恨むこともしたし、反面、ものすごく感謝もしたし、たくさんを失ったし、たくさんを得たハル。
しょーじき、いろんな意味でこれまでの中でもぴんちなハル(^^;)
ほーんとお金は何もな~い(笑)仕事もな~い!
でも何故か、これまでの人生の中で、お金にも状況的にもたぶん一番窮地にいるのに、何も怖くないハル。
未だ閉店がらみのトラブルもある。
だが、この状況を生み出した社長さんの周りの人が、お金や地位を盾に脅しをかけてこようと、あたしはなーんにも怖くない。
だって、これっぽっちも相手に負ける気がしないのだ。
だから、訴えることを焦ることも全くない。
向こうが引き伸ばせば引き伸ばしてくるだけ私は笑えてくるくらいだ。
突然の倒産で何のたくわえや準備も出来ず、個人的に貸したお金も返してくれないわけだからお金もないけど、なぜか焦りはあまりない。
なんでだろう?と考えてみた。
時間もあるしね。じっくり考えてみた。
これまでも生活は基本的に大変だった。
でも今ほどじゃない。なのになんで今、こんなに平気なわけ?
で、わかった事がある。
忙しすぎたのだ、私は。本当に。
いろんな事がいっぱいいっぱいだったんだ、と。
だから、何かをしてる暇なんかなかった。
何かを楽しんでる時間なんか全くなかったのだ。
自分も廻りもそれを気がつかないくらいだったのだ。
もちろん、これまでも友達は居て、みんな、私を助けてくれた。
私はそのことに気がついていたし、感謝しているはずだった。
でも、本当はそれを感謝する暇さえ見つけられなかったんだと気がついた。
今日、ジャムを作りながら、つくづく思った。
いままで、友達が何かを送ってくれても、私は食べる暇も、何かを作る暇もなかったのだ。
口にはしたが周りに食べさせるので精一杯だから食べた気がしてなかった。
家に居ないから、料理をする暇もない。
頂いたものは大体はいろんな方への贈り物となった。
それは食べてないのと同じだったんだと解った。
なんでそんなことに気がつかなかったのか?
私はこれまで、本当の意味で一人ぼっちだったんだと思う。
とても孤独だったから、何も感じなかったのだ。
今は無くなってしまったが、夢の街を創って、こうして閉めたことで、私には今までなかったご縁と時間が生まれた事に気がつけたのだ。
なぜだろうか?
答えはすぐにわかった。
それは「夢の街」とは一人の力で作れたものではなかったからだと思う。
今まで、あたしは一人で走ってきた。
複数の力でやってきたときも支える事はしてきたが「仲間」で居る事はしていなかった。
けれど、ここに来て、みんなで創る事に参加できた。
皆で何かを創るとき、自分の力を精一杯使う事は大事だが、もっと大事なことがある事に気がついた。
今までは私は相当、自分の力に自信を持っていて、何をするにも自分の力でと考えてた。
だから、徹夜なんてあったりまえで、何から何まで自分が動いてた。
けれど、夢の街を創るとき、ベースにした考え方がある。
それは「家族」である。
「家族」は「社会」の基本ともいえる、と思ったからだ。
大きな社会が例え揺れていようとも、基本にある小さな世界を幸せに保つことが出来れば、その人は最も幸せなところにいるだろう、と強く感じた。
そして家族とは血のつながりではない。
心のつながりともいえる、と思った。
そして、自分の家族を振り返ったとき、「母」を想い、「父」の姿を想った。
わたしの母は家族それぞれの力を信じている人だった。
それを思い出した事がわたしを大きく変えたんだと想う。
昨年一年、私には大きな助っ人たちがたくさんついてくれた。
そして、その人たちを信じて、それぞれの才能にそれぞれの分野を任すことにした。
わたしの性格からすれば、それは苦渋の決断である。
どうせ見つめ続けるのだから(笑)、やったほうが気がらくなわけだから。
でも、自分がやったほうが信用できる、と言う思いを手放し、お任せすることにした。
母のように。
結果、私には「仲間」と「信頼」が残った。
家族の宝として、それぞれの働きが形となって残った。
それは私たちの誇りでもある。
それはスタッフだけに留まらず、お客様との関係も同じだった。
お客様の一人一人が夢の街の家族だった。
それは今も変らない。
だから落ち着いたら家族に手紙を書くことを今から楽しみにしています。
そうして皆で作った夢の街だったから愛があったのだ、と思います。
もちろん、そこを提供してくれた社長さんあればこそだったわけですが、残念ながら彼が最後にした事は「家族を見捨てること」でした。
それだけが心残りです。
自らたった一人ぼっちを選んだ彼が。
話は戻りますが、この仲間と信頼と言う、愛の結晶がわたしの中に在るから、このハルの強さがあるのだと思う。
先日、友人がメールをくれました。
その人はいい人で、なかなかマイナスな言葉を使いませんが、その彼のメールの中に
「今回の事は不意だし、裏切りだし、ダメージ大きかったと想う」
と書いてくれていた。
そう。
こんな風に状況をよく解ってくれる人が今は周りにたくさん居る。
なぜなら皆で一緒に作ってきたから。
今起きている現状がなぜ起きているのかを語れる人たちが居る。
なぜなら一緒に過ごしてきたから。
決して私一人ではない、という事が良く理解できる。
そんな世界をスタートできている自分は幸福なのだと実感できるのです。
そんなハル。
今年はいろいろやってみたいことがたくさんあります。
一人ぼっちで忙しすぎて出来なかったアレコレをじっくりと時間をかけてやってみたい。
友と言う名の家族が送ってくれる恵みを一つ残らず楽しみたい。
まずはマーマレードの味見から。