KOFUKUの家から

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南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

兄ちゃん

2009-04-27 | KOFUKU日記
私には「兄」がいる。
それも特別大好きな兄ちゃんがいます。
「お兄ちゃん」ではなく、アンちゃん的「兄ちゃん」

にいちゃんはわたしの知りえる人間の中でも、特別純粋で優しく情の深い人です。
私はそんな兄ちゃんをずっと尊敬してきました。
だから自分が親しい大事な人は必ずにいちゃんに紹介します。
それがわたしの中の親密度のバロメーターってくらい(笑)

とは言え、私を親しく知る人は皆知っているが、実の兄妹ではありません(^^;)

こう書くと男女と言うものを一方的にとらえている世間の皆様は「男女間の愛」として捕らえ、昔から何かとグチャグチャ言われたものですが(^^;)、残念ながら周囲の期待には全く沿えませず、お互いそういった感情は一切なく、清く正しく美しい「兄弟」の道まっしぐら~♪で御座いました(笑)

けれど実は血が繋がっていない訳でもなく、遠い遠いご先祖の歴史をたどると血の繋がった縁戚にあたります。
しかし、血が繋がってるとか、繋がってないとか関係なく、昔から兄ちゃんとは魂で繋がっていて、紛れもない家族だとおもっていました。
誰がなんと言おうが私にとっては「本物の兄貴」だったわけです。

兄ちゃんと出会ってしばらくしてからのことでしたが、
「にいちゃんと本当に血が繋がってるんだ」と解った時のあの喜びはたぶん人には言い尽くせません。
たかが「血」されど「血」なんですね。とにかく嬉しかった。

たぶん、にいちゃんが居なかったら、わたしのこの人生はないのです。
私が劇団に入ったきっかけも兄ちゃんでした。
兄ちゃんは私が「生きる」為の一番の生きがいを与えてくれた人です。
兄ちゃんが居なかったら今の私は絶対に居ない。
だから兄ちゃんをはずしては、わたしの人生は語れないのです。

このところ、あたしにいろんな事が一斉に起こったせいか、これまでの波乱の人生や実家の状況をよく知っている兄ちゃんは心配になったんでしょう。
良くあってくれる様になって話をするようになりました。
お互い職業柄、あえなくなると数年合えないなんて事はざらなので、なんか憑かれた様に話をしてたんです。

そして昨日、兄ちゃんの今一番大事な人たちにあわせてもらう機会に恵まれたのです。
兄ちゃんが一番愛している人と仲間たちに。
私はそれを本当に楽しみにしていました。

今でこそ、兄ちゃんはもって生まれた人懐っこさを発揮して、明るくて、誰とでも笑って、楽しそうにしゃべるけど、本人も気がついていなかったらしいが(^^;)昔はもっと人見知りが強くて、感情を出すことが苦手で、なかなか笑うことがない人だったのです。
兄ちゃんは見た目は王子系だけど、中身は九州男児で男気に溢れた人間だし。
ましてや、東京に出てきた頃だから「九州男児の硬派」気質ばりばりで御座いました。
そのせいか、上記のような性格が出来上がったのでしょう(笑)

実は兄ちゃんは一人っ子で、そのせいか元来、愛されたがりの寂しがりで、けどそれをいう事もママならず、人の情を待ちのぞんでいる人でもありました。
(と、私は感じていたわけですね)
複雑な家庭事情がある私は、親しい人には経験も孤独感も壮絶だと言われてましたが、兄ちゃんもまた一人って点では同じだったのだと思います。
そんな事は話したことはないんですが、僅かに繋がる「血」のせいか、基本的に持っているオーラが近いので、言葉がなくても出来ることと出来ないことが何となく傍に居るだけでわかるんですよね。

ある日、にいちゃんが言いました。
「あんじゅちゃんとは言葉が要らんとよね」
それはマジで「兄ちゃんと妹」兄妹だったから余計だったんだなと思います。

私は兄ちゃんの家族も知っているので、東京の兄ちゃんの様子を知らせたりすることもシバシバありました。
そんな訳で兄ちゃんを本当の家族の誰よりも家族的な目で見つめてきた気がします。

そんな寡黙な兄ちゃんは仲間が増え、いろんな人と関わるうちに、孤独から少しづつ抜け出すように明るくなって、持ち前のピュアさが出てくるようになって、良くしゃべるし、たくさん笑うようになりました。
仲はいつでもよかったけれど、そうやって兄ちゃんに笑顔が増えると共に、あまりべったり居る事はなくなった気がします。
いつまでたっても人が苦手な私は、寂しく思いながらも、それを遠くからよかったな~、と思って見てました。

そんな私に代わって兄ちゃんの傍にべったり居てくれたのは、今は天国に居るソウルメイトで、彼は紛れもなく兄ちゃんの弟でした。
彼だけが私が本当に深く兄ちゃんを「兄」と思っている事を知っていて、いつもこう言いました。

「兄ちゃんは知らないんだよな。お前がこんなに思っていること。
本当に同じ腹から生まれた兄弟だったら善かったのにな。
お前を見てると切なくなるけど、俺もそんな風に家族以上に自分の事を思ってくれる本物になれる魂の家族がほしい」

そういって、またまた一人っ子の愛されたがりの寂しがりなソウルメイトもまた、兄ちゃんを本当の兄ちゃん」だと信じて生きてました。
そんな風に魂の家族として兄ちゃんは大事な存在だったのです。

ただ、そうやってドンドン新たな扉が開かれていったにも関わらず、どういうわけか兄ちゃんはずうっと一人で居て、小姑な私としては、田舎の親宜しくそれが心配でなりませんでした。

その兄ちゃんが大事な人と、今一番信頼している人たちを紹介してくれるという。
ドキドキしながら行った先にあったもの。
そこには「兄ちゃんがずっと欲しかったもの」があった様な気がします。
兄ちゃんは夢追い人ですから、今も目標を追っかけてキラキラしている訳ですが、実はその大事なものにかこまれている兄ちゃんを見て私は思ったのですね。

「なあんだ、もう殆ど手に入れてるじゃん」って。

にいちゃんの周りにあったのは、あたたかな人のぬくもりと夢と笑顔。
たぶん兄ちゃんの心がずっと欲しかったものだったのではないかとわたしの心が感じました。

そして、その中でも一番近くで笑っている人は愛全開で兄ちゃんを想ってる。
それも、それを待ち望んだ妹としてはとってもとっても嬉しかった。
そして、その人はちゃんと兄ちゃんが抱えて来た「孤独」と同じ種を自分の内側に持っている人でした。
同じように困難と孤独の中で生きてきたから、私にはすぐにわかりました。
でもそれもとっても安心しました。
痛みを知っている人はその分優しい。
どちらかがその痛みに耐えられなくなりそうな時も思いやれる。
それは喜びになる。
それはにいちゃんとその人にとって大きな支えるもの、そして支えになるでしょうから。


そのことがあまりに嬉しかったので
「この人がにいちゃんの傍に居てくれてよかった。
本当にありがとう御座います。
どうぞずっと幸せでありますように」
と心の中で手を合わせました。
家族が誰かと家族になって増えていくときってこんな感じかなあ~って嬉しかった。
きっと天国に行った家族(ソウルメイト)も、魂の家族が増えたことをきっとものすごく喜んでいるに違いありません(^^)


わたしの一番大事な人がある時、こう教えてくれました。

「自分の大切な人が、一生懸命頑張ってやっている事なら、
どんなに重い苦しいことでも、同じように頑張ってやっていける」

兄ちゃんと兄ちゃんの大切な人たちを見ながら、ああそれってホントなんだなと思いました。

私は家族が増えたことが本当に嬉しかったのです。
他の人には夢物語でも、私には真実のこと。
私には大事な兄がいる。
それが大切。

実は私はもう何十年か常に大事な写真を数枚持ち歩いています。
一番大事な人たちの写真たち。
わたしの心を支えてくれる、決して離れ離れになることのない「家族」の写真。

一枚は愛する小さな魂「ぴーちゃん」
もう一枚はわたしの命となる大事なひと。
もう一枚は天国に暮らす愛するソウルメイト。

そして一番最後は「にいちゃん」大好きなあなたの写真です。
知らなかったでしょ?(笑)


兄ちゃんとこの世で出会えた事を心から感謝します。
ほんっとに会えて善かったよ。
出会ってくれてありがとうね。
兄ちゃんもほんとに善かったね。
兄ちゃんと出会った人がみんな幸せになりますように。
兄ちゃんが誰よりも幸せになりますように。

妹より永遠の愛をこめて