KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

こども~ドロシー・ロー・ホルトの詩から~

2009-08-12 | KOFUKU日記
すべての方に。


こども    
        ドロシー・ロー・ホルト


批判ばかりされた こどもは 
非難することを おぼえる

殴られて大きくなった こどもは
力に頼ることを おぼえる

笑いものにされた こどもは
ものを言わずにいることを おぼえる

皮肉にさらされた こどもは
鈍い良心の 持ち主となる


しかし
激励をうけた こどもは
自信を おぼえる

寛容にであった こどもは
忍耐を おぼえる

賞賛をうけた こどもは
評価することを 覚える

フェアプレーを経験した こどもは
公正を おぼえる

友情を知る こどもは
親切を おぼえる

安心を経験した こどもは
信頼を おぼえる

可愛がられ 抱きしめられた こどもは
世界中の愛情を 感じとることを おぼえる  

コトバのちから

2009-08-12 | KOFUKU日記
昨日は静岡地方で大きな地震がありました。
先日も大きな地震があったばかり。
また台風でも多くの方が災害に遭われたニュースを目にし
緩みがちな防災への心を引き締めさせられました。

災害に遭われた皆様が一日も早く心安くお過ごしになられますよう
こころからお祈りさせて頂きます。

今日はカンナちゃんのお家まで荷物運びをさせて頂き、
お陰で帰りに九十九里の美しい海を見ることができました。
夕方で台風の時だったので浜にはあまり人もなく
お陰さまでぴーちゃんはノードリードでおおはしゃぎ(^^)
嬉しかったのでしょう、笑顔で走り回っていました。
風になったのかと思うほどの勢いで。
おばちゃんはついていけませんでした(^^;)
この機会を下さったカンナちゃんに感謝です。


さて、ちょっとバタバタしていてしばらく更新できておりませんでしたが、
お陰さまで物ではなく(^^;)心の充実した日々を送らせて頂いております。
先週末は言葉のクラスに二人の大人の生徒さんがいらして下さいました。

私がシェアしている言葉のお教室、シアターワークのクラスは、
演劇的な基本レッスンを取り入れて体験から学んでいくものですが、
発声訓練だけ、技術の習得だけが目的ではありません。
どちらかというと、もっともっと「国語」的なものを大事にしています。

言葉は心と体と深く連動しています。
心の流れ、身体の在り方を無視しては言葉になり得ません。
特に嘘のない子どもたちや素直な魂を持つ
ダウン症の方々などにははなおさらそこが大事だと思っています。

そのために身体で言葉を感じたり、一つの言葉や動きから
そこにある意味を深く感じてみたり
そう言った体験を大事に大事にしています。

そして言葉の奥にある本当の意味を魂が自然に感じながら
心ふるわせながら生きていけるようになれればいいよなあと思っています。

シアター(ミュージカル)ワークでは同じように学び、
それを技術的に意識的に行えるようにすることが目的ですが
それが決して嘘にならない事、その「演じる」瞬間を
真実にすることを大事にお伝えしています。

つまり言葉を話す時は心と体をつなげて、
ちゃんとしゃべることが大事だと思っています。
下手をすると演技というものは「状況の説明」の様な
言葉の抑揚の羅列になってしまいますが
そうではなくてちゃんと「言葉をしゃべる」ことを目指しています。

ですから私のシェアレッスンはとても「国語的」なわけです。

そしてレッスンでは生徒さんやお母さんの一挙一動、
一言一言が私の学びとなっています。
この生徒さんからの学びがなければレッスンは形になりません。
この間来て下さった二人とも素晴らしい生徒さんで
たくさんのことを教えてくれました。
そのまなびから向かい合う生徒さんの心に
少しずつでも近づいてゆくことができるのです。

先日のレッスンでは心と体がつながることが
とても大切であることなどをお話しさせて頂きました。
「生きている言葉」を話すことが大切、という事のシェアです。

そして、その中でこんな話をしました。
ある時、こういうシーンを目にしたんです。

お母さんによる絵本の端折り読み(^^;)

正直、がっかりしました。ある意味、ショックでした。
私にはありえない事と思いました。

子どもさんは自分で本を探し、喜んでお母さんのところに持っていき
「おかあさん、これ読んで!」と言いました。
お母さんは「はいはい」と言って、読みだしたはいいけれど
内容も文章もとばすとばす(^^;)

ええ、もちろん筋はあってるんですよ。
お母さんが大変なのもわかります。

けど、心を鬼にして(^^;)いいますがあ
「本を読む、読み聞かせ」って言うのは
私は端折り読みなんてあってはならないと思っています。

だってね、きっとそれじゃ大事なものは何も伝わらない、と思うのです。
大事なのはあらすじを伝えることや読んであげる行動ではなくて
読み手が「言の葉」を大事に伝えることだと思うからです。

たぶん、私が物書きで、周りにもそういう人が多くて
そして画家さんや芸術家も多いからそう感じるのかも知れません。

物書きは自分の人生で得たすべての感覚から生まれた
言葉の一つ一つに思いをこめて言の葉を綴ってゆきます。
その音の一つ一つや文章の流れにも美しさを生み出そうとして。

また画家や芸術家は、その言葉を心と体全部で受け止め
そして自分の才能の中に形を生み出してゆきます。
絵本や絵、ダンス、歌、演劇、手工芸、エトセトラ。
それらは全て魂の表れです。

絵本の読み聞かせとはそのような言葉を、
本を読む人が全ての感覚を持って受け止め、
それを目の前にいる相手に伝えることだと思います。

けれど端折り読みでは、その文章の美しさは失われ、
その美しい文章に導かれて描かれた絵の美しさも半減します。
絵本は文字と絵が一つで完成品なのだから。

「お母さん、これ読んで!」という、
うつくしいものを求める心がそこあるのに、
読み手の心の都合でいいかげんなものを渡してしまう。
それは悲しいことです。
それでは子どもは美しさを知るチャンスを失います。
それにそれらを生み出した人にもとても失礼ではないだろうか、と。

まあ確かに、すべてをポジティヴに考えるなら
読んであげないよりは読んでるだけマシとかって考え方はあるけど
私としてはそんな読み方しかしてもらえないなら、
自分で読んで感じた方がいい、かなー。
だって、読み手が入るってことは、その人の在り方が入ってきますから。
中途半端に読めば、相手にもそれが伝わるからです。

だからコトコトバではお母さん達にこうお願いしています。
どうか本は端折り読みしないでください。
読むのが上手じゃなくても、突っかかっても良いのです。
お母さんも言葉や絵を感じながら読んでください。
知っているお話は自分の中の感動を渡すような気持ちで読んであげてくださいね、と。

お母さんや読み手さん自身のなかで
心と体をつなげて読んであげて欲しい。
そうすると本の持つ美しさだけでなく、
読み手さんのこころの美しさも伝わって
絵本は更に素敵なお話しになると思います(^^)

お母さん達にも言葉を感じるという体験をして頂きましたが
お子さんと同じくとてもピュアで、心ふるわせて下さいました。
ほんの一言、ほんの一節だけれども、
一度感じるとすべてに愛が行き渡ります。
私はそれを知っています。
言葉に愛の魔法がかかるのですよ。
そして言葉はちからとなります。
それはおおきな愛のちからです(^^)

私のレッスンは遊びに近いです。進みもゆっくりです。
ぱっと成果も上がらないけれど、いつか綺麗な花が咲く、
私はそう信じています。
いつもおいで下さる方に心より感謝申し上げます。

そうそう、こないだ嬉しかったことがありました。
まもちゃんって生徒さんがレッスン中にいきなり
「せんせい、大好き~♪ せんせい、大好き~♪」
って、町中に響くようないい声で歌ってくれたんです。
とっても嬉しかったです。
「私もみんなが大好き~♪」ですよ。
こころある言葉ってね~、愛ですね~。


さて、今週末はお家でも変化がありました。
写真はサロンにあるテーブルさん。
週末に帰ったら蜜蝋ワックスが塗られて磨かれておりました。
もったいなくて、ものが乗っけられなくなりました(^^;)