KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

サリバン先生のように

2009-08-16 | KOFUKU日記
今日は嬉しいことがあった。
言葉の教室に通ってくれている「ゆうくん」の個人レッスンをさせて頂けることになったのだ。

ゆうくんはダウン症の5年生。
やんちゃだが、とてもユーモアにあふれていて、それでいて思いやりのある気持ちの優しい男の子。
ぴーちゃんを見ては「ぴーちゃん!ぴーちゃん!か~わいい!」とニコニコ笑ってくれる。
私はそれだけでとっても嬉しい。
以前、二人でデートをしたのだが、その時もあれこれと気を使ってくれて、とっても嬉しかった。

皆さんと接する機会を頂いて分かってきたことだけれど、ダウン症はとても個体差がある様に思われる。
身体能力や知的な部分でもずいぶん幅があるようで、だからと言って知的な部分で他の方よりたけているように見えても、そういう方が選ばれてお仕事をされたりしてるわけではないようだ。
逆に言葉もなかなか出ないと言ったような、こちらからすると単純に難しく思えるような方のほうが作業所などでしっかりと働いて居られたりする。
ダウン症に限らず、すべての人において言えることだと思うが、生きる場所に対する順能力というか、適応力というか、その場を愛する力というのは大事だ。
それには育っていく環境が本当に大事なのかもしれない、と感じる。

私は恵まれてその子どもたちが育っていく環境の一部として存在させて頂けるようになった。
私は子どもたちや、仲間たちが大好きだ。
だから、彼らにとって善きものでありたい、と心から願わずにいられない。
そんな中でゆうくんの個人レッスンをさせて頂くことになったのだ。
本当に感謝、感謝である。

わたしの言葉のクラスでは「心と言葉をつなげて話す」ことを中心にレッスンしている。
今回お願いされたレッスンは「文字」や「数字」の理解を助けること。
レッスンの根本は同じだが、こちらは形を覚えてつなげる作業も出てくる。
出来るだけゆうくんの心の中をそれらと添わせてあげたいと願っている。


話は変わるが私は小さい時、ものすごく過敏な子どもだった。
たとえば、テレビで「太陽がいっぱい」というアラン・ドロンという昔の人気俳優さんの映画を観た時のこと。
それは貧しい青年が殺したお金持ちの青年になり済ましてなんとか幸福を得ようとする切ない物語だった。
その中で、主人公の青年が夜な夜な殺した青年のサインを壁に映し、その筆跡を練習するシーンがある。
私はまだ小学生にもなっていなかったが、その青年の必死さと心が切なすぎて泣けて泣けてしょうがなかった。
まあ、ニーノ・ロータの曲も哀愁を誘ったのかもだけど(笑)
お陰であの曲を聞くとパブロフの犬の如く泣けます、あたし(^^;)
やっぱ幼児体験って大きいですねー。

という訳で3歳から大人が読む本が理解を伴って読めたのですが、4歳の時にヘレン・ケラーの伝記を読んで感動して泣いたのを覚えている。
言葉という存在と心がつながる瞬間に感動をし、そこまでヘレンをあきらめなかった家庭教師のサリバン先生の愛に深く感動したのだ。
もう少し大きくなってからは女優ゆえ戯曲「奇跡の人」に触れ、また感動が深まった。
たまたま友人が出演していたこともあり、資料など目にしたことも大きい。
ということでサリバン先生は私の憧れの女性でもある。

サリバン先生は貧しい生まれで、幼少期に目の視力を失った。
若くして母親を亡くし、その後最愛の弟を亡くしたショックから精神を病み、精神病棟に入院している。

そんなサリバン先生を救ったのは、ある掃除婦。
彼女は身寄りもなく誰にも相手にされない少女に毎日会いに行っては
「あなたを気にしている人間がここにいる」
とメッセージを送り励まし続けた。
彼女のあきらめのない深い愛によって、心を救われたサリバン先生は、その後、苦学の末に有名大学へ進み、ヘレンの家庭教師となる。

そしてサリバン先生自身も、自分が愛を注がれた様に、ヘレン・ケラーに同じ様にあきらめず愛を捧げ続けた。
そしてとうとう彼女の諦めのない愛によってヘレンも愛を知った。

実はサリバン先生と私はお誕生日が2日違い、そしてちょうどぴったり私の百年前に生まれておられる。
百年と2日違いの仲である(^^)
そして彼女は私のようにPTSD、それに障害など、数々の問題を抱えながらも、その痛みと経験を愛に変えて強く生きた人。
その経験があったからこそ、諦めることない深い愛を得たのだと思う。

お恐れ多い事だが私は子どもたちとある時に彼女のようにありたい。
心から願う。


アニー・サリバン先生の愛の言葉を紹介します。


「人の唇から漏れる微笑みを、
自分の幸せと感じられる人間に私はなりたい。」


「雲に触ることは出来ないでしょう?
それでも雨が降ってくるのはわかるし、
暑い日には、花も乾いた大地も雨を喜んでいるのがわかるでしょう?
愛もそれと同じなの。
愛も手で触れることは出来ないけれど、
愛が注がれる時の優しさは感じることが出来るでしょう?
愛があるから、喜びも湧いてくるし、
遊びたい気持ちも起きるのよ。」


心と頭、そして身体、魂、人間の持てるすべてを使って「理解できる」という事はとても素晴らしい事だとと思う(^^)

すべての子どもたちに、そして大人たちに、ヘレンに与えられた様な理解への「瞬間」が訪れますように

レモン酒美味し(*^^)v

2009-08-16 | KOFUKU日記
先月の初めにつけたレモン酒。
飲めるようになりました。
本当はもっとつけときたいんですが、住人が必要としていたので(笑)本日お披露目。
早速、相方さんは美味しく飲んでおられます。
美味しいそうで良かったよかった。
チェリーは色重視だったんでリカーでつけましたが、レモンはラムと蜂蜜でつけました。
本来は皮は1、2週間で取り出しますが、苦味を入れたかったので敢えてつけときました。
ちょっと味見しましたが、飲めないアタクシでもかなり良い出来かと思いました。
香りさわやか、さっぱりとろりとほろ苦く。
夏はキンキンに冷やしてソーダ割りがおすすめかと思われます。
次回はウォッカで作ってみましょうかね。

ゆったりまったり

2009-08-16 | KOFUKU日記
さて、私は病気持ちさんです。
こんなことを書くと、きっと親しくわが身を案じて下さる方々の
「まぁた、あんなこと書いてっ!皆が不審に思うじゃないのっ!」
と心配半分怒り半分の声が聞こえそうな今日この頃。。。(^^;)

今日は終戦記念日でした。
戦争もののドラマやドキュメンタリーを観るたび、自分の姿と重なったりします。
なぜなら私は慢性的なものと、突発性の重なったPTSDを持っています。
最近は良く聞かれるけれども心的外傷ストレス障害というものです。
そう、戦争や災害、信じられないような辛い体験など、ひどい事件に直面したことの傷から起こる障害です。

障害と名がつくだけあり、生活に大きな支障が出ます。
この障害は心の状態によって、いろんな障害が併発します。
たとえて言えば「鬱」とか「パニック障害」とかですね。
そう言ったものが重なって時に命すら危うくなります。
なんせ原因も突発的なら、起こる発作も突発的(^^;)
いつ襲われるかわからないのでひどくなると普通に働くことすら困難になります。
さらに原因体験を幼児期とする慢性的なものになると、これがなかなか完治致しません。
とってもとってもやっかいなものです。

でもご安心を。人にはうつりませんから(^^;)
そういう意味では新型インフルエンザの方が脅威かと。。。
とにかく時間をかけて付き合って治していくものです。
類にもれず、私も残念ながら完治してはおりません。

え~、あんじゅさん、それで病気なのう???と声が聞こえてきそうですが、
そうなんですよ~(笑)ひ弱なの(爆)

というか、いつもびくびくしてるわけじゃあないです。
もちろん、状態が落ち込んでいる時は、解離症状や鬱なども起こるので、全く交信もできなくなっちゃったりしますが。
私も状態がひどくなると解離状態がひどくなります。
身体と心がばらばらになる感じです。
でもね普通に過ごせる時は過ごせるんです。
トラウマを掘り起こす原因がおこらなければ大丈夫。

私の症状は一時期、もっとも重体である、と言った状況でした。
そして今も根本的な状態はあまり変わらないと思いますが、表に出てくるものがずいぶん軽減されてきたように思います。
少しづつコントロールもできてきたのかなー、と我を励ます日々(笑)

私が今こうして人様の輪の中にいられるのは、とてもラッキーだったから。
その理由には以下のことがあげられます。

ちょうど状態が一番ひどく仕事もできなかった時、何とかしようとしてくれた愛に満ちた人々のたくさんの人の存在と、その人々からの生活への助けや言葉などがあったこと。

絶対に病人でいなければならなかった時期にハードな生活環境が病人でいることを許してくれなかったこと。

おかねが無くて病院に行けなかったから、薬を飲まずに済んだこと(笑)

どうしても起きた現実から目をそむけさせてくれない身近な人物がいたこと(^^;)

自分の使命の認識と愛を語り続ける意識が残っていたこと。

自分の命を削っても守らなくてはならない小さな命の存在(ぴーちゃん)があったこと。

とても素晴らしいお医者さんからの励まされる一言があったこと。

子どもたちという存在と関われたこと。

感謝の気持ちが消えなかったこと。

「私」を忘れなかったこと。

そんな事達が私の大きな助けとなり、そして今も同じように私を支えてくれています。
ありがたいことです。

この数年で私はずいぶんユルーイ人間になりました。
以前は倒れるまで突っ走る人でした。それも先頭に立って。
人を引っ張っていくのが仕事だと思ってました。
決して生身の自分を見せず、親友でさえも本当の私はわからない。
皆を守るためには身内から欺く意識でした。

いまも「思い立ったら吉日」「泣くより飛べ!」という精神は変わっておりませんが、病を患い、どうしたって一人では生きられなくなり、人様に甘えることもとっても大事なんだなーと知りました。
つまり人とは人と生きるものだと知ったのかなー。

だからって流されるままにいる、って風には思えなかったですね。
そういうユルさはどうしても違う気がしました。
ただ風に吹かれるままに、、、ではなく、意識を持って風に当たることが大事なんじゃないかって思ってるんです、私は。
この6年くらいの経験から、「私」を忘れないでいる事がどんなに大事なのかわかった気がします。
どんなに辛い境遇になっても、自分だけは手放してはならないと思う。
だからたとえばドラッグで我を忘れるくらいなら、フラッシュバックで辛くてもPTSDになる方が健全と私は思う。

ただ無理はしない。ってか出来ない(^^;)
今は7年前の私ができていたことの10分の1もできません。
これもまた、この持病のなせる技だったりします。
全部が全部ロースピード。
でもそれでいいと思えるようになってきました。
以前は出来ないってことにかなり焦りましたが。

無理するってのは人間的に当り前な行為、けど変な無理はしない。
それが私にはとっても大事だとおもいます。
例えばですね、今の私は自分の精神的に人様との交流や仕事が無理だなと思ったら立ち止まります。
昔はできませんでした。
突然、音信不通とかになっちゃう訳ですから勇気がいります(^^;)
(もちろん再開の時はちゃんと理由を告げて心から謝ります。)
手紙やメールなんかも「書ける」と思えるまでは書きません。
とってもとっても失礼なんですけどね。分かってるんですけどね。
でも究極の選択をする。
本当に気持ちをかけてくれる周りの人にだからこそ、本当に自分の気持ちが向いたときに心を捧げたいと今の私は思うんです。
言葉を羅列するのは簡単だからこそ、そうはしたくない自分がいます。
その自分も見詰めて行動を起こすことがこの病には大事だと思います。

私は恵まれて、子どもたちと関わり、そして教える機会を頂いています。
こうして、子どもたちと子どもと大人の体験をすることによって随分助けられています。
そう言ったチャンスも大事にしていくことかな、と思っています。

確かに今もこの持病が原因で生活大変だったりします。
それもね、仕方ないかなーと受け止められるようになりました。
それもこれも「ゆったりまったり」って心が生まれてきたからだと思います。
今はゆったりまったりを楽しむ時期なのでしょう。
じっくりと作品と向き合って作る手仕事のように。

とはいえ、このように理屈では納得できても、フラッシュバックなどの発作が起こればPTSDはとても辛いものです。
実際にはその苦しさはなってみないとわからないものかと思います。
けれど、察することや思いやることはできます。
多くの方がそういう方をサポートして下さるといいなあと思います。

同じ症状でお悩みの皆様が少しでも心安くいられますように今夜もお祈りしています。

そしていつも周りにいて下さる人々に心から感謝します。
ありがとう。