KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

気づく喜び

2009-11-23 | KOFUKU日記
最近、急に寒くなりましたね~。

うちの実家では寒くて神経痛が出やすい父のためか
妹がぬかを使ってつくるホットパックを紹介しておりました。
寒いと身体に支障がある人には何かとつらいですよね。
私も交通事故の後遺症や脳虚血の発作などを持っているので
寒さにはかなりやられちゃうほうです。
冷えから突然立てなくなったりするんですよー。
以前も北海道で吹雪の中動けなくなり救出されました(^^;)
でも寒いのが好きなんだよなぁ~。
秋冬、大好きでっす。
こっちは雪があまり降らないので寂しいです。
ああ、森で枯葉や雪に埋もれたい。。。。

さて、そんな私、訳あってこの2ヶ月近く、
ちゃっちゃかと動けなかったりしています。
お仕事で使う部位に支障があるので、お仕事するのが現在は無理なんですが
でも最低限の基本生活はこなさなくては暮らしていけないので
何とかこなせる様にいろいろ工夫をするようになりました。

最初でこそ身体がしんどい気持ちのほうが強かったんですが
いまはその環境をいかに快適にするか楽しめる様になりましてー。
手がうまく使えないのと長い時間たってられないので
お洗濯が一番大変なのですが、足代やテーブルをベランダにおいて
できるだけ手の上げ下げしなくてもできるように工夫。
かなりいけています(^^)多分治ってもこのままだわ(笑)
部屋の中もクラフトなどに使うものを低いところにおきました。
パソコンはパソコン台を下げて手を胸以上に上げなくて済むように。
気がつけば、家の中の整理にも一役買っておりますね。

病気や怪我や故障って言うのは辛いものです。
時には苦しすぎて心を病んでしまったりもしますよね。
きっとこの世にも多くの方がその様に苦しんでおられる事でしょう。
その様な方が一日も早く、お心安くなられることをお祈りしています。

私は生まれつき身体が弱くて、人様にはなんでもないことでも
私には何でもあることだったりもして、よく故障します(^^;)
周りの人はびっくりすることも多いと思います。
見た目の感じがそうは思えないので、ほんと迷惑かけちゃうやつなんですよ。
でも自分も大丈夫~と思ってそうなるので自分もびっくりするんですが(^^;)
だから動けなくなったり、不自由するのは慣れているほうかもしれません。
それでも動いていたものが動かなくなると大変だったりして。
その辺は普通の人と同じでしょう。

ただ「動けなくなる」とか普通の状態ではなくなる時に、
「不自由」という感覚のほかに得るものって大きいなぁと思います。

昔、事故で入院し、一年ほど歩けなかった時がありました。
その時もたくさんの事を経験したし、学びがありました。
人の優しさとか、思いやりとか、自分の中にある力とか。

私には何人も親友がいますが、数年一緒にハウスシェアしていた親友がいます。
彼はシェアハウスを出て2日後にヘルニアになって動けなくなりました。
地元に搬送されるように帰られて、そして長い長い闘病生活。

それで彼の仕事はなんだったか?と言いますと、
「マッサージ師(整体師)」です。
医者の不養生極まりない、と本人も笑っておりましたが(^^;)

けれど、彼が病から得たものは大きかった様で、
いまはヘルニアから復活し、さらに医療にかける心大きくなり、
すでに整体師として活動できた彼でしたが、
さらにヘルパーとマッサージ院に勤めながら学校に通い、
足裏のリフレにアロマも取得。
来年春には国家試験を受けて鍼灸のお免許も取るそうです。
週末は遠方までたくさんの施術を学びに行き、腕磨きを怠りません。

昨年、地元で足裏とアロマとマッサージのサロン
「てあて屋」を開業して、日々がんばっております。
毒舌の親友である私の暴言にもめげず、人様からの言葉、
行動、起きたことのすべてを意味ある学びとして生きておられます。

彼がそんなにも頑張れますのは本人の性質や人格もありましょうが、
若くしてたくさんの病や困難と闘ったからだと私は思います。
それも「戦い」でなく「学び」として捉えられる彼はすごいと思っています。
彼が気になった皆様、浜松にて「てあて屋」開業してます。
ぜひブックマークから遊びに行ってくださいませ(^^)

さてさて、それでアタシは何が言いたかったのか、と言いますと、
私は今世、とにかく人様に「いっつも苦労しているよね」
「何であなたばっかり、そんな事になるの」
といわれることが少なくありません。
人生を振り返って話をすれば「本にしたら良いのに」と必ず言われます。
まあ、それだけ、生まれつきそういわれるに準ずる環境にあり、
それを元に、また迎え来るものも波乱万丈の核を持ってるんでしょう。

つったって、ただの人間ですから、
「あー、もうやんなっちゃうわ~」って事はありますが、
だからって自分の選んだ道で起きたことには後悔しないタイプです。

それが良かったんでしょうか、年とともにさらにその感覚は増し、
大変な人生だなぁ、一言では語れないネェと思ったりしつつも、
それ以上に学んでるネェ、得してるネェ、と思えるようになりました。

私は多分、今世は「浄化の旅」をしてるのではないかと思っています。
大変な事を一つずつ経験し、それをクリアにしていく事に
わたし自身が浄化されていくんだと。
浄化を迎えるには、そこに汚れがなくてはなりません。
だから、私は大きな出来事を経験するんだな、と。
多分、そういう人生を自ら選んでここにいる訳ですから、
この後の人生も平穏とは行かないでしょう。

でもそれが不幸か?といったら全然違うと私は思うんですよ。
ものすごく大変だけど、大変って事は決して不幸ではないと思う。

でも多分、人は私を見て不幸が続くよね、というでしょう。
私が得たものはなく、失ってばかりに見えるのでしょうね。
実際に色んなお友達がいますので、イロイロ言われますよ。
それは神様から与えられた試練です、とか、
前世のカルマがいまの現状を作ってますとか、
霊障だ~とか、ご先祖の霊がトラブル起こすとか~、
果てには除霊だ、お焚き上げだ~となったりもします。
いやまあ、もう、ドンだけですか、あたしって感じですよ(笑)
まあね、どれも理由としては否めませんが(^^;)

けれど私はこう思うのです。
「どれも必要だから起こっている」と。

私は「自分の感性くらい自分で守れ、ばかものよ」(BY茨木のり子)
ってタイプですので、ゴーインニマイウェイ(^^;)でございますから
自分に伝わってくるものを大事にしたいと思うのですね。
あ、それは、人の意見をきかないと言うわけではないですよ。
自分で考える事を忘れたくないのです。
私に起こっている事なのだから、何かのせいではないし。
何かが関係していても、それは私も関わっている事だから。
不幸を数え、不幸の種を見つけるのは好きではありません。

「ポリアンナ物語」の主人公、ポリアンナは、
どんな逆境にあっても、その中から喜びを見つけ出す
「喜びのゲーム」を得意としますが、
そんな風に、どんな時にも喜びはあると思うのです。
私もその喜びの数をかぞえていけたらいいなぁと思います。

最近、身体の故障でゆっくりしか歩けなくなりましたが、
その分、素敵なものを見つけられるようになりました。
今日の写真もその一つです。
駅から上らねばならない階段の上りきったところに
植木があるんですが、その中に咲いているお花です。
多分、何時ものように動けていたら目に留まらなかった花。
そんな美しさに気づけたのも、その私を気遣ってくださる
人様のお心に出会えたのも病あってのこと。
ありがたいものです。

銀河鉄道の夜の中で燈台守が言います。

「どんなつらいできごとでも、
それがただしい道を進む中でのできごとなら 
ほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」

そしてカムパネルラとジョバンニがこう会話します。

「僕はもう、あのさそりのように
ほんとうにみんなの幸いのためならば
僕のからだなんか、百ぺん灼いてもかまわない」
「僕だってそうだ」

私もそんな風に世の中を感じつつ、
今の人生を生きていけたらと思います(^^)