KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

Merry go round

2011-01-04 | KOFUKU日記



元旦にお友達がメールをくれました。
そこにこんな言葉を書いてくれてました。


「メール書いていて、メリーゴーランドって言葉が浮かびました。
Merry go round
観ちゃんは今、あちこちを祝福して廻っているのかも知れませんね。」


いつもの特徴ある足取りでちょっと恥ずかしそうな笑顔で
大好きな仲間のところを巡っている相方さんの姿が浮かびました。
お葬式の日、ウィキッドの楽屋に律儀にノックして現れたそうですから
きっと他の仲間達の所にも「こんにちわぁ~」「おじゃましまあす」と
律儀に挨拶して巡っている事でしょう。
思わず想像して微笑まずにいられませんでした。


あと2日で四十九日が来ます。
唐突ですが、っていうか、このブログを見てる人は知ってると思いますが、
私は大きな意味での神様や聖なる存在や死後の世界を信じてます(笑)

まあ、科学的に実証する事はまず無理な世界ですし、
そんなに頑張って宣言する事も無いんですが(^^;)
うちは母方のおばあちゃんもおじさんも善なる霊能力者でしたし
小さい頃からどういう訳かそういう不思議体験が多かったので
自分には事実ですからこれっぽっちも疑う余地がございませんのですよ。

ただーし、信じるのは自分が体験することに限り、です。

そうなの、だってぇ、あたし、不安症で超現実主義者だからー。
自分が観たもの、感じた物しかわからない。
だから人様の否定もしません。解らないから出来ないもんねぇ。

え、それなのに、信じてるの?という人も多いです。
うん、事実だからねー。

そういう人になんでそんな事が起こるの?と言う人も多いです。
…うん、それは多分、疑り深いから神様が奇跡を繰り返し見せるんだと思います。

私は昔からそう解釈してます。
聖書に出てくるイエス様の手の穴に指突っ込んだトマスと同じですな。
いやそれ以上の疑りぶかさだなー。
だってそれでも見たものしかしんじられないんだもん。
あたしの頭はそうとう堅物です。
ですが信じた物には柔軟です、事実だから。
なので不思議な事も結構受け入れられちゃったりします。


以前、ソウルメイトが亡くなったとき、
ちょうど四十九日が過ぎた頃だったでしょうか。
ソウルメイトのGくんはなかなか夢には現れてくれずにおりました。

ある日、夢ではない夢に遭遇。
(私の中では、ただの夢とそうではない夢がはっきりあるのです)
ああ、また来ちゃったのね、ここはきっと向こうと繋がってるとこだなぁ、
と平穏な気持ちで暖かな白い光のもやの中に居ますと
天使が現れまして、こっちこっちーと私を手招きして呼ぶのです。
(翼は無かったけど間違いなく天界の方でした)

それでついていくと、天使の向こうに緋色のドレープカーテンがあって
天使がそれを持ち上げてくれて、向こうを覗かせてくれました。
そっと覗いてみますと、真っ白で光り輝く輝く舞台の上で、
子ども達と一緒に舞台で歌い踊るソウルメイトがおりました。

それで、私は
「ああ、天国にもやっぱり劇場あるんだ。
そこで同じ仕事が続けられるんだ。」
と、思いまして、安心してこっちに帰ってきたんですよね。
以来、向こうでも芸事は続けられるとなぜか知ってます。


今回、相方さんが向こう側に行ってから、
恵まれて許される立場だったから、逝ってすぐのときは泣き暮らし
18日の納骨くらいまでは本当に寝ても覚めても
相方さんのことばかりを考えているような生活でした。

そのせいでしょうか、相方さんとかなり繋がってたんでしょうね、
お葬式の後くらいに、なんと一緒に三途の川らしきところを渡りました。

それは夢ではない感覚の夢で、あ、向こう側だと想ったらそこは夜でした。
良く見たら下に大きな川が流れていて、左側には山並みが連なっています。
川はそこに添って流れています。

気がついたらたくさんの方が流れに逆らうように泳いでいました。
そこに相方さんも居て、一生懸命泳いでました。

なぜか、私は皆が泳ぐ川の上に浮かんでいて、
左側の山並みの向こうにある、青くて金色の光を指差し、

「ほら!あそこ!あの光ってるところまでいけば大丈夫。
 だから頑張って!」

と、ひたすら声をかけていました。
みんなが光に向かって行ったので、
それを見ながらきっと迷わない、大丈夫、と想ったのでした。
だからなぜか、相方さんは道を迷わないという自信があります。


確かな筋の話ではこの世で生を終えると、
ちょうどこの期間くらいの間は
あちらとこちらが重なってるところにいて、
その間に思い入れのある人々のところや場所に行って
この世でのお礼やお別れを告げて執着を落として
そして、もっと身軽な新しい身体になって旅立つのだそうです。

もちろん、向こうに行ってもずっと愛や縁は切れないし、
もっと気軽に会いに来てくれることが出来るらしいですが。

ただこちら側に居る人間が向こうに行った人に執着を持ちすぎると
向こうで新しい幸せな生活が始められなくて、
こちらと向こうの間ににとどってしまうそうです。


なので、もちろん時には死ぬほど悲しくて寂しいのですが、
相方さんが幸せに向こうでの生活を始めてくれることが願いです。
それが本当にたったひとつの願いです。
向こう側で幸せで平和で居て欲しい。

向こうに行ったとて、新しい生活や学びの傍ら
彼らはきっと様子を見に来てくれるでしょう。

だから、できるだけ、何時相方さんが覗きに来ても
彼の安心するような状況を作りたいと思っています。
相方さんの残した物の整理も、これからの生活もいろいろと。
祈りの気持ちを込めて歩んで生きたい。

まだまだ時間はかかりそうですが、少しずつ。
相方さんの心配の種にはなりたくないなぁと思ってます。

執着して「行かないで!」「何で?どうして?」と想う代わりに

「今度そっちで会える時には3人でまず何をしようか?」
と話しながら過ごして生きたいと想う今日この頃です。