KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

クリスマスにこめられたもの

2011-12-23 | KOFUKU日記


今年もクリスマスがやってきました。

私にとってクリスマスは心静かに平和への祈りをささげたり
自分や他の人に対して愛をもって心を寄せるときです。

相方さんを見送ってまだ一年という事もあり
まだお祝いごとを楽しく行う気持ちにはなれないので
華やかなパーティやおめでとうの言葉はありませんが
いつもと同じように祈りの時を過ごしたいと思っています。


皆様のおうちではクリスマスツリーを飾られましたか?

クリスマスツリーに飾られる飾り(オーナメント)には、
それぞれ意味やお話がこめられています。

ツリーの先につける星は、キリストが生まれた時に輝いた星を。

ベルは、迷った羊を首につけた鈴の音で探し出せるように、
すべての人のもとへ神の祝福が届くようにと。
  
杖の飾りは人々がお互いの杖となって助け合う気持ちを。
リボンはお互いが愛情を持って永遠の絆で結ばれるようにと。
  
リンゴには、慈しみといたわりが、太陽のように永遠に輝くようにと。
それぞれ深い意味や気持ちが込められています。
どうぞ一つ一つにこめられた意味を感じてみてください。


それではクリスマスにちなんだおはなしをひとつご紹介します。
ある神父様がお話しなされたことです。


かなしみを知る人は心やさしい人です。

かなしみは「引き裂かれる」という痛みから生まれてきます。
かなしみは引き裂かれた傷口からにじみ出てくるのです。

しかし、かなしみがかなしみのまま姿をとどめることはありません。
かなしみは愛へと、心やさしさへと、そしていつくしみへと変容します。

「神はそのひとり子を与えられるほど世を愛された」

と聖書に記されてある通り、神もまたかなしみを知る者なのです。
なぜなら自分の最愛の息子を引き裂いて与える痛みを知っているからです。

そして、その「引き裂いて与える痛み」こそ愛にほかならないのです。
クリスマスはこの神の痛む愛を心に染み込ませるときなのです。

クリスマスにはケーキにナイフを入れますね。
それは裂くことこそ愛なのだということの表現なのです。
結婚披露宴のケーキカットも同じ意味です。

それは記念撮影のためでも、ふたりのはじめての共同作業なのでもありません。
我が身を裂く痛みを、つまりは愛をよろこんでささげますとの意味なのです。

愛する者のために我が身を裂く、
いやむしろ、よろこんで我が身を裂く痛みを
ささげることのできる相手のことを愛する者というのです。

星野富弘さんの詩につぎのようなものがあります。


いのちが一番大切だと思っていたころ、
生きるのが苦しかった
     
いのちより大切なものがあると知った日、
生きているのが嬉しかった


自分のいのちにしがみついている人が解き放たれるのは、
その自分のいのちを捨ててもかまわない、
いのちをかけてもいいんだと覚悟できるときなのです。

心やさしい人におなりなさい。
よろこんで我が身を裂くことのできる愛深い者となりなさい。
そして何よりもそうした人となることができるように祈る者となりなさい。


さて、今日のお話はいかがでしたか?

私はそのとき「生きているのが嬉しかった」と
かなしみを知る人でありたいとこのクリスマスに願います。

皆様の心に深く静かな喜びが宿るクリスマスとなりますように。 

冬休み

2011-12-23 | KOFUKU日記
今日は甥っ子の終業式でした。
我が家では早速冬休みが始まりです(笑)



甥っ子はすっかりお休みモードに突入。
ちびちびたちを従えてリラックス度全開です。
ちびちびたちも早い時間から「ちっさいにいちゃん」が居て、
一緒に遊んでくれるので大喜びで一緒になって転がっています。

 

今日から冬休みで早く帰ってくるという事だったので
残り物のクリームチーズとホットケーキミックスでチーズケーキを焼きました。


レシピもなく勘で配合した割には、結構おいしくできました。
甥っ子いわく「お店で買ったのかと思った!」という味だったそうです(笑)


《チーズケーキを待つピピさん》

ちびちびたちにも評判上々。よかったよかった。

冬休みとはいえ、暖かく過ごしたいものです。
皆様も善き冬をお過ごしくださいね。