KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

感じる心

2012-07-15 | KOFUKU日記


九州中部、北部の大雨で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。
また被災された皆様に深くお見舞い申し上げます。

どうかこれ以上の被害が広がりませんように。
尊い命や生きとし生けるもの全てが守られますように。
今、困難にある方の心が折れない様、支えられますように。
どうか、被害に合われた方に穏やかな日が1日も早く戻りますように。
心よりお祈り申し上げます。





《関ジャニ∞ファンの家族から贈られたエイトレンジャーカップ(*^。^*)》
《全ての人がエイトレンジャーのようなあたたかい勇者であってほしいデス》



やっと原発反対の声がTVのニュースから聞こえるようになってきました。

願わくば、汚染の広がりがない日本へと変容していく事を願いたいと思います。
デモなど行動での活動をなされる方がくれぐれもお怪我の無いようにと願います。

また、このデモが個人の抑圧された気持ちのはけ口や、
個人のお祭り騒ぎ的高揚感を得るエゴな場所とならず、
平和という安全の為の心からの美しい行動となりますように。

平和の為に行動してくださる方に深く感謝しつつ、
望むような未来が訪れる日をお祈りしたいと思います。


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今朝の南国は久しぶりに朝から陽が射しています。
北部の大雨の被害を考えると申し訳ないくらいのお天気です。
同じ九州なのに、、、複雑です。

そんな気持ちをよそに、うちのちびさんたちは朝も早くから大暴れ。
多分、想像を絶するほどの元気さで走り回ります(^_^;)
そんな我が家の今朝の犠牲者は




《毛糸さん》




《一眼レフカメラバッグの内袋さん》




《DVD-Rケースの芯さん》




《犠牲者全てを一堂に集めてドヤ顔のみーやん》
《「みーやんがぜんぶ、やっちゅけたんでちゅよ!!がんばったんでちゅ!」》


まあ、家の中でミニ新幹線が全速力で走っているとご想像ください。
そのぐらいの勢いで走り回り、気に入ったものを破壊しまくります。
もうね、兄妹ってのはすごいですね(^_^;)
みんなでやれば怖くない!って感じです。

ぴーちゃんお姉さんだけが「おバカしゃんたちね…」と言う、
あきれた冷たい目線を送っています(笑)



《あんたたちったら。やってられないでちゅわ。byぴーちゃん》


興奮モードに入ると風の谷のナウシカに出てくるオームくらい勢いが止まりません(^_^;)
ナウシカの虫笛よろしく、高い声で「HOOOOOOO~~~!」と声を出すと
わああああああ~っと走ってきますが、そのまま
「森へお帰りっ!」と言うわけにはまいりませんのです。
もう、これに毎朝付き合うのに体力入りますよ(笑)
私は賑やかで良いんですが、お家がボロボロです(-_-;)


とーたん*まろ君もいいかげん面倒見きれなくなり脱落。



《オレ、もう無理…嫁に任せて寝るじぇ…byまろ》


5時半に起きる怪獣たちは、9時半になるとおねむになって撃沈します。



《ろま君のお気に入りの場所、アンティークデスク横の隙間(笑)》


 

《いつもの寝場所を息子ふう君に奪われ、仕方なく隙間で眠るまろ君》
《大好きなコタツテーブルの足元で丸まる、みやちゃん》


こうしてやっと、ワタクシに平和な時間が訪れるのです(^-^)


そういえば、昨日今日は鹿児島市でいちばん大きい
照国神社の六月灯(ろくがつどう・縁日)です。

 

《照国神社の六月灯の様子》



鹿児島では7月に入ると、町中の神社やお寺で、
この六月灯と呼ばれる夏祭り、縁日が行われます。

ほぼ毎日、鹿児島のあっちこっちで縁日が開かれていて、
みんなスケジュール表を見ながら、自分のおうちの近くの縁日を巡るのです。

ほんと、特別にお祭りに出かけるっていうよりかは、
家族で歩いてふらっと遊びに行くって言うか、
本当に生活に密着した感じの物なのです。




《小さい神社の六月灯の様子》



先日なんですが、相方さんの心友さんのお一人とメールのやり取りをしまして。
そこで話題になったのは、特定の歌とか聞くと
こみ上げるものがあって泣きそうになっちゃうって話。

あー、あるあるって方も多いと思います。
私もそういう人の一人です。

音とか、匂いとか、色とか、形とかに、ぎゅうっとしてしまう人です。
季節の訪れなんかも、香りや風で感じるって方も多い気がします。

この六月灯もそういう物で、子どもの頃からその灯りや
お祭り特有の香りを嗅ぐと切ない気持ちになるのです。
お祭りなのにね。しかも子ども真っ盛りなのに変でしょう?
皆もいうんです、子どもだったら「わくわく」じゃないの?って。
でもね~、ものすごーい寂しい気持ちになっちゃって。

でもね、この童謡を聞いたとき、同じ感覚だなぁ、と思いました。
音源が古すぎてネット上に無かったので、
皆様にお聞かせできないのが残念ですけど。メロディもとても胸に来ます。
機会があったらぜひ聞いてみてくださいね。
こんな歌です。


「夜店のうた」伴久美子
昭和31年 西沢爽作詞 中田喜直作曲


幼いあの頃 とうさんと
ふたりで夜店に 行ったっけ
三角帽子の おじさんが
舌切雀の あめ細工 あめ細工

綿菓子 ビー玉 きんか糖
おんぶの背中で 寝たときに
うっかり逃がした 風船は
いまでも夜空に いるような いるような

はぐれて子どもが 泣いていた
ブリキのラッパを かかえてた
夜店のあかりは アセチレン
なんだかさみしい あの匂い あの匂い



私も始まる前から終わっちゃうのがさみしくなっちゃうんですよね。
賑やかなのが消えていく感じがね。物悲しくなっちゃってね~。

想えば、私は幼いころから何にしてもそうだったのです。
色や、形や、匂いや、コトバや音楽などに過敏だった気がします。

うちの父母はもともと芸術畑の人なので、当時にしたら
音楽や映画や舞台などには、他の人のお家よりも、
より触れていたのではないか?と思いますが、
そういう親なので、家の中に常に音楽や絵、映画や本などの芸術や
何かを創作するって行為やなんかがあふれてましたのデス。

親からこういう感覚が素晴らしいから、これを学べ!
とかってのは一切、言われた事がありませんが、
私が興味のあるものに関しては、それを観る為なら
学校を休んででも率先して見せてくれる、そんな親でした。

当時はDVDなんてなかったし、覚えてしまうか、
録音するくらいしか記録の方法がなかったから、
触れさせることの方が大事と思っていたのでしょうね。

なんせ、小学校の修学旅行の時、夜中の1時前に先生に起こされて、
一人テレビのある部屋に連れていかれたんですよ。
「なに?」と思っていると、眠そうな先生が、

「君のお父さんから、1時からテレビで初めて、
サウンドオブミュージックと言う映画の放送があると連絡があった。
それを必ず見せてほしいそうだ。」

と(^_^;)

良く聞くと、それは素晴らしい作品で、
これを見逃せば娘の人生の中で大きな損をする、
だから起こして必ず見せてやってほしい、
これは修学旅行と同じくらい大切です、
と父が力説したんだそうです。
で、見たんですけどね(^_^;)
面白い親なんですよ(笑)

スケッチ遠足で港で絵を描苦ことになったんですが、
お弁当を作ってくれなくて、昼に持っていくと言うんですよ。
え~と思っていたら、お昼休憩に私のところに大きな袋を抱えてやってきて、
ニコニコしながら無言でシートを敷くと、そこに袋を下して、
まだハンバーガーが珍しい頃だったんですけどね、
ハンバーガー用のパンと、レタスと玉ねぎとハンバーガーのパティ(お肉)と
ケチャップやらマヨネーズやらガンガン並べましてね(笑)
おもむろにハンバーガー作り出したんですよね(^_^;)
私に渡して、それから周りにいる子どもたちにも作って。
そんで、材料無くなったら、風の様に去って行きました(笑)

父は戦後、子どもから大人までで3人だけ選ばれて
日本とアメリカの援助で絵を学んだという人です。
苦難のある人生だったので、画家にはなりませんでしたが
非常に絵心のある人です。

彼は風景画を描くとき、紙をね、
全部薄い薄い青で塗ってしまうのですよ。
「なんで全部塗るの?」と聞くとね、
「だって俺たちも風景も全て空の中(宇宙)に立っているじゃないか」
って言うんですよねぇ。

彼曰く、
「芸術とは批評や評価をするものではない、
両腕を天に向かって広げ、自分の胸に受け止めるもの、
そしてただ抱きしめて、感じればいい」
そうですわ。

まあ、母は母で、父の日のお膳のサンマに
折り紙の蝶ネクタイつけるような人で(笑)
そういうオモロイ親に育てられたので、
余計にそういう感覚が発達したのかもしれません。


そんで、何歳くらいでしたかね。
まだ4、5歳くらいのめっちゃ小さいときですが、
映画通の父と一緒にアラン・ドロンの
「太陽がいっぱい」という映画をテレビで観ました。

アラン・ドロンなんて若い人はもう全然知らないんでしょうけど(^_^;)
お話は貧しい青年が裕福な青年を殺して、
その人になりすまそうとするってストーリーです。

で、その中でアラン・ドロンさん演じる主人公が
彼になりきるために、彼のサインを練習するシーンがあるんですよー。

いや~、もうね、ダメでしたね。それが切なくて、切なくて。
彼の気持ちが痛いほどわかって、苦しかった。
しかも、あの、音楽ですもの。そりゃあ泣いたさ(T_T)

だからアタシが生まれてから、初めて覚えた外国の作曲家は
ベートーベンでも、モーツァルトでも、バッハでもない、
映画音楽の巨匠「ニーノ・ロータ」です(笑)

おかげでいまだにこの曲を聴くとパブロフの犬みたいに泣けます(^_^;)


Plein Soleil 太陽がいっぱい



あと、シーンと共に泣いてしまうのは、コレだなぁ。
「ブラザーサン・シスタームーン」というアッシジの聖フランシスコの人生を描いた
ゼッフェレリ監督の名作ですが、この中に平和の祈りを歌うシーンがあるのです。

平和の祈りはアッシジの聖フランシスコが作ったもので、
マザーテレサの修道会の祈りにもなっています。
私自身の生き方に添うものでもあります。この様な言葉です。


わたしをあなたの平和の道具としてお使いください
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところにゆるしを
分裂のあるところに一致を
疑惑のあるところに信仰を
誤っているところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください

慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することをわたしが求めますように 
わたしたちは与えるから受け 
ゆるすからゆるされ 
自分を捨てて死に 
永遠のいのちをいただくのですから


これをね、歌うんですけどね。
これは歌自体に泣ける、と言うよりも、そのシーンに泣けるのです。
具体的に泣くとこなんか、どこにも無いのに泣ける。
労働を手伝ったフランシスコたちが、農夫からパンを分けてもらい、
それを歌いながら、皆で一切れずつ分けるって言う、それだけのシーン。

でもねぇ、泣けるんだよ。本当に泣けるの。
アタシだけかもしれないけど(^_^;)
ああ、食べ物に対する感謝って、こういうことなんだな。
食べるって、こういう大切な事なんだな、
祈るって言うのはこういうことか、と感じるんですなぁ。
美しい祈りの姿でね、感動するのです。


St. Francis Prayer - Brother Sun, Sister Moon



この作品はドノバンの音楽と共に、映像が本当に美しいので
目の保養に(笑)ぜひ一度ご覧いただきたいなぁと思う作品です。

Donovan: Brother Sun, Sister moon




同じように母や父が映画やミュージカルや唄や本が好きだったおかげで
それらを通して美しい言葉の世界に触れました。
それらのプロであったことも大きいですね。
(若き日、父は画家や映画俳優でも船乗りでもあり・笑、
母は歌劇の女優で、幼いころから天才と呼ばれた日舞の舞い手)


特に父が日頃歌う童謡や懐メロ(うちは父が常に歌っている、つか家族全員歌うの・笑)
母の好きだった古典や少女小説なんかは、抒情的で本当に美しいと思います。
昔のものは本当にきれいだよ。言葉自体に音楽が宿っているもの。



特に母の影響は大きく、母が好きだった
美しく優しい世界は母に宿ったと同じように、
自分にも善きものを与えてくれたと思っています。


おかげさまで、ここに来るまでにほんとうにたくさんの事をして、
恵まれて自分の企画もたくさんやってきましたが、
そこで自分の中から生み出してきたものの中には、
こうした世界から感じたものが詰まっているのです。

だから、感じることは本当に大事なんだと思います。
大人になるとだんだん鈍感になって、余計なことも考える様になる。
だから余計に、かな。

今も素直に感じて、それを愛する生き方を忘れたくないなぁと思います。
そうやって感じて生きていきたいな。
こんな時代だからこそ、私はそれが大切だと思っています。

もう、好きなもの、感じるものを話すと尽きません(^_^;)
今日はこの辺にしておきます(笑)


さて、今日は最後に大好きな童謡を一つ。
春のうたですが(^_^;)
大好きな伴久美子さんのお歌で。

「花かげ」


花かげ 安田章子


作詞:大村主計
作曲:豊田義一
     


(一)
十五夜お月様 一人ぼち
桜吹雪の 花かげに
花嫁姿の お姉さま
俥にゆられて 行きました


(二)
十五夜お月様 見てたでしょう
桜吹雪の 花かげに
花嫁姿の 姉さまと
お別れ惜しんで 泣きました


(三)
十五夜お月様 一人ぼち
桜吹雪の 花かげに
遠いお里の お姉さま
私は一人に なりました