「アーニーローリー」
堀内敬三訳詞
あした露おく 野の静寂に
いとし アニーローリー 君と語りぬ
とこしえまで 心かえじ
誓いしアニーローリー わがいのちよ
愛にかがやく 君がまなざし
まことこめたる 君がささやき
とこしえまで とこしえまで
忘れじ アニーローリー わがいのちよ
アニー・ローリー、大好きな曲の一つです。
このところ、この曲がよく心の中をめぐります。
多分それは、相方さんが軽く酔うと、ピアノの前に座り、
必ずつま弾く曲だったからだろうと思います。
飲まないと恥ずかしがって弾かないので、
あまり他の人は聞いたことがないかもしれません。
相方さんは歌うような、囁くような優しい音色で弾く人でした。
初めて持った自分のピアノを慈しむように弾いていました。
そして、この曲は相方さんの大学時代に暮らした
金沢地方の駅の発車メロディでもアリマス。
この時期は相方さんを深く思い出します。
相方さんとの最後の季節が7月から11月だったので余計なのでしょう。
7月1日に入院して11月19日になくなるまで、
私は闘病日記を書いていました。だから日々の思い出が鮮明なのです。
ふとしたことで、いろんなことを思い出して悲しくなってしまうのです。
今年はなんだかそんな思いが深く、6月くらいから心身共に思わしくなく、
なかなか復活できなかったのです。なんだか気持ちがしんどくて。
あれも、これもしたいのに、何もできない日々が2ヶ月近くも続きました。
手紙もかけず、本も読めず、手仕事もできない日々でした。
夏のお便りなんて、張り切って6月半ばには用意したというのに
未だに何もかけていない有様です(ーー;)
(皆さん( TДT)ゴメンヨー、秋までには届けたいです)
昨年もじつはそうだったのですが、今年は家族が近くに居てくれる為、
実家にいても、自宅にいても、ほぼ毎日顔を合わせるし、
家族のためにお洗濯や、食事を作らせてもらったりしているので、
心身不良でも、そこだけは頑張ってやることができて、
どんよりとただ寝たきりにならず良かったと思っています。
もうすぐお盆で、相方さんたちのお盆準備をしなくてはと思い、
昨日、やっとペンを握って、文章を書くことができました。
書いたのは「写経」です。
そのせいでしょうか、今朝は相方さんが出てきてくれて、
いつもより、たくさん、たくさん、笑って話してくれました。
いつものように真面目に資料を読んだり、何か木から彫りものを作っていました。
最後は一緒に乗ろうね、と約束していた列車に乗りました。
とても嬉しかったです。
『暑いからお昼寝しゅるのだ byぴぴ』
どうして写経を書くようになったのかと言うと、10年前にさかのぼります。
あれから、もう10年経ったんだな、と思うと感慨深いことですが。
10年前に亡くしたソウルメイトのG君の葬儀までの日々の中、
たくさんの仲間である俳優たちが、数日間を彼と過ごしたのです。
交代で夜も彼と語りながら、ろうそくの火を絶やすことなく、
それぞれの信じる宗派の祈りなどを捧げた美しい愛のある日々でした。
そんな中、とても彼を愛してくださり、
私も心から尊敬する俳優のI川Z先輩が、
とても多忙な中、何度も来てくださったのです。
すぐに駆けつけて来てくれたとき、写経を書いてきてくださいました。
そして、お通夜から葬儀にかけても、多くの仲間と一緒に、
葬儀会場に泊まり、彼のそばにいてくださいました。
ぴーちゃんも喪服を着て、会場にずっと居ました。
その時、Zさんは自分で作られた写経用紙をお持ちくださって、
私たち仲間は彼に最後の手紙として写経をしたのです。
それ以来、写経は私の人生の中で特別なものとなりました。
Zさんはその後も店に作られたGくんの祭壇用のお鈴なども選んでくださいました。
ミュージカル俳優が選んだだけある、深く心にしみるような音色の鈴でした。
相方さんが亡くなった時、私は仕事では
相方さんの専属マネージャーやスタッフではありましたが、
以前のプロデューサー的なスタンスとは大きく違って、
共演俳優さんと個人的な仲間としての仕事をする形を
全くと言っていいほど取っていませんでした。
相方さんの仕事のスタンスが、プライベートと仕事場で
はっきり違う形を望んでいたこともありますし、
私自身もミュージカルではなく、ストレートプレイという
未知の世界で、一から学ぶことのほうが多くて余裕もなく、
あくまでも裏での仕事に徹したいと思っていたからです。
また、相方さんは亡くなった次の朝、東京を発ったので、
親しい人の一部の方としかお別れできませんでした。
葬儀も東京でなく、彼の実家のある関西だったため、
彼の仲間である多くの俳優さんは誰も来ることができませんでした。
そのため、私は知っている人が本当にいない中で葬儀に出ました。
関西の親戚や友人の方々は俳優活動をほとんど知らずにいて、
誰とも俳優である彼の死を話すことができませんでした。
また東京に戻ってからも、相方さんの居なくなった状態では、
お仕事させて頂いた、多くの俳優さんとは、
個人的にほとんど話すこともありませんでした。
昔からの親しい方が多い、良い葬儀でしたが、
違う生活を共に作ってきた者なりの寂しさがありました。
とにかく、それから周りに誰もいなくなってしまったのです。
それまで裏にいたため、本当に親しくしていた一部の人以外、
そういう方から見ると立場や状況など、私がいろんなことが微妙で、
さらに、同業で、いずれも顔見知りの人との二度目の死別ともなると、
私に何をどう話していいものやらと周りも思ったのかもしれません。
ただ相方さんと共に親しく関係を築いてきたと思っていた方も
相方さんが亡くなってしまうと、連絡してもお返事もなくなり、
住所すらわからなくなり、とうとう疎遠になってしまいました。
ああ、そうか、皆の中では相方さんとの思い出だけがあればいいのだな、
私は彼と居たから話をしてもらっていただけだったのだ、
と気づき、私自身は本当に彼と一緒に精一杯走った日々だったから、
10年を一瞬で失ったような気持ちでがっくりと生きる日々でした。
(まあ、勝手にそう思って落ち込んでたんです、、、ーー;)
きっと、優しい相方さんはそんな状況にいる私をきっと心配して
もっと自分がほかの人との間に入ってあげてれば良かった、
もっと現場でみんなと親しくなるようにしてれば良かった、
自分のせいだと思って悲しんでいるだろうな、申し訳ないな、
と考えては涙するような、一人の孤独な、孤独な日々。
なんですかね、この孤独と不安はね。
その線上に今もいることは確かみたいです。
ただ、救いはありました。
長きにわたって、私と友情を結んでくれた人々や、
本当に彼の真意を汲み取ってくれていた俳優さんや、
以前のソウルメイト時代の仲間たちは、今も変わらぬ友情で結ばれています。
(会わなくても、声を聞けなくても、それはわかるのです。)
そのみんなが、10年前、そして、事あるごとにかけてくれた言葉、
また、辛い日々の中で、親しくしてくださった大家さんたち、
相方さんの死をきっかけに声をかけて下さる相方さんのご友人など、
そう言う人たちがかけてくれた小さな言葉たちが
この、どん底ともいう様な気持ちでの2年を支えてくれました。
ZさんにはG君を見送った時も、たくさんの言葉をかけていただいて、
そして、その後も会うたびに心ある言葉をかけていただいて、
今もそれが心の大きな支えになっているのです。
もちろん、Zさんだけでなく、本当の仲間たちが声をかけてくれた
言葉たちの優しさ、強さが2度目の別れを迎えた私を、
こーして今も支えてくれているのは間違いありません。
そんな出来事がきっかけで、私は宗教は特に持ちませんが、
命日、お盆、お彼岸という日本の祈りの節目には
亡くなった方々の平安を祈り、写経をするようになりました。
手紙の代わりに書くのです。
同じように、私はキリスト教の死者の日にも祈りを捧げます。
世に生きている人々が亡くなった方に意識を向けるときの祈りは
特別に大きな愛が届くような気がするからかもしれません。
こういうことを書くと、そんないい加減な意識でいいのか、
と思われるかもですが(^◇^;)私はそれが善いと思ってます。
この頃、中には宗教や思想というだけで、バカだの狂ってるだのと、
自分の信じる考えをのみを基準に批判をされる方もいるし、
差別を生んでるとは思わず、批判する方もおられると知りました。
私は、「どの言い分も自分信仰じゃん、宗教となんら変わらないよ」と思っています。
これまで、たくさんの真面目な(笑)宗教家や思想家やリアリスト、
学者や医者やスピリチュアリストに一般の方々と
それぞれに親しく深く関わり、それなりに学んだせいかもしれませんが、
そういう色んな人の生き方や考え方にも沢山学びました。
そして、どんな人も自分の人生は真剣なんだな、って。
その上で、人は求めるものがあるんだなと。
それが宗教だったり思想だったり仕事だったりする。
だから、それぞれがこれは善であり、愛だと信じることを
他人がとやかく言うことはないんだな、と思う様になりました。
あ、いくらなんでも殺人とか、犯罪に手を染めたら、
そりゃ、あんたダメだろ、ってはっきり言いますけどね(^◇^;)
最近、世の中には大勢の前では仏様のように居て、
裏側では自分の基準にあわなくちゃ片っ端から誹謗中傷する人、
って言うのがいるのを知りましたが、結構いるんですね、そういう人って。
しかも、肯定してもらって安心したいのか、人にも言うんですね。
まあ、言われてる人も同調されているので、構わないのだろうけど、
傍から見ていると、まるで、ワイドショーを見て文句言ってる方々のよう(^◇^;)
いろんな方がいるもんですが、そう言う人は、きっと私の話なんか読んだら、
自分が批判されたように受け取って、おかしい人って言われるのだろうか(; ̄ェ ̄)
ただの個人的な感想なだけで、その人の考え方は全く否定してないのだけど。
愛って言葉の乱用だ、とか言われるに違いないかしら(笑)
でも、人が真理を知るための愛の形というのは、
それぞれの道に、必要な形で置いてある気がするのは私だけかな。
身近に神道の神主さんになろうかという青年が2人ほどいて、
親友がご家族を神式でお見送りしたこともあり、教えてもらったのですが
神道には戒律というものが、ないんだそうですよ。
教典も教祖もなく、大和民族本来の信仰の姿が神道という宗教なのだそうです。
「直正浄明」ということばがあって、これが神道の基本だそうで
人として直く、正しく、浄く、明るくありなさい、ということだそうです。
神さまや自然を敬う心、ありがたいと感謝する心があればよいそうです。
ですから何をしたから罰する、とか罰されるからこれをしろ、というのは違うのです、と。
私の中にある善なる聖なる気持ちの有り様にも通じるなぁ、と思って聞きました。
人の心がこうであればいいのになぁ、と思ったりしちゃいました。
まっすぐに、きよらかに、正しく、明るくあろうとする。
ありがたいと感謝して生きる、なんて素敵なことだろう。
疑問なのだが、今の世の中は(嫌、ぜんぜん前からかもなんだけど)
どうして自分が持ってる善きものを喜んで分かち合おうとしないのだろうか?
放射能対策一つにしても、どうして無償で広めて皆を救おうとしないで、
関心のない人をB級な人間だとか、ただで教えてもらおうなんて
厚かましい人間だ、と言い放つのか、私にはわからない。
重要性を気づかない人にこそ、一生懸命分け与えないと、
ほっておいたら世界は危険になるばかりで変わらないんじゃないの?と思ったりする。
神経がやられているとか言うのなら、解るように何度も教えてあげたらいいのに。
頼られる人がいるのなら、声をかけられる立場なら、
なぜ頑張って助けてあげないのだろう?
そう言う人こそ助けるべき場所にいられる人なのに、
なんで最初から批判して、切り捨てるようなことするのかな??
人命に関わることだからこそ、大切なことだと思うけどなー。
その言い訳が、わからない人に言っても仕方ない、なのかな?
そこが私には良くわからない。
でもさ、大体、人は人の無欲な尊い行いを見て、
心の奥が動かされるものだったりしない?
私はそうだけどな。それで思いが変えられるときもある。
私はこうしたのだから、この人もこうあるべき、なんて
個人を欲を満たすだけの条件を持つ、見返りを期待する人は
ボランティアなんかしちゃダメだ、人と関わるのだからリスクもあります、
してあげるという意識の人にはボランティアはできません、
とボランティア協会の偉い方があるとき言ってましたが私も同意です。
私の先輩や仲間たちもボランティアの為の大きなチャリティショーをやっていますが、
いろんなリスクをしょって、いろんな困難もあるけれど、
それはボランティアをやる以上、当たり前だと思ってやってらっしゃいます。
もちろん出演者は無償だし、出資だってする。
心友も自分のバイト料以上の出費が出て行くけれど、
自分の仕事をしながら、毎日、ホームでお世話をしています。
理由は、そんな人も必要だから。
とても喜んで、やらせてもらっているの、と言います。
そう言う人もたくさんいるのにな…(m´・ω・`)m
批判意識の強い人たちが、自分の側から見て基準を決めて
差別や争いを産んで壊してく気がするのは私だけだろうか?
違って当たり前を受け入れられないと、周りは敵だらけになる。
私はそういうのを見てて、日本の危機さえ感じる。
だって、幸福も不幸も伝染病だから。人の心が心にうつすのだし。
私は憎しみがはびこる、そんな世の中になってほしくないな。
世界中に友達もいるから、世界とも争いはしたくないデス。
私の人生のバイブルともなる本はいっぱいある(笑)
そんな中に三浦綾子さんの「道ありき」がアリマス。
その中に、白洋舎の創業者である五十嵐健治さんにもひどく感銘を受けました。
私はキリスト者ではないけど、仕事をするにも、生きるにも、
ボランティアをするにもこんな気持ちを持って一生を送りたいと思っています。
「道ありきより抜粋」
彼は29歳まで三越に勤めた後、独立を志した。
その独立の第一の理由が、日曜日に教会に行って礼拝したいことにあったとか。
独立する仕事を探すにあたって、五十嵐先生は次のような基準を定められた。
1.日曜日の礼拝の妨げにならないもの
2.永年お世話になった三越の営業と抵触しないもの
3.三越をお得意様として、いつまでも出入りできるもの
4.資本の多くかからないもの
5.虚言や、かけひきのいらないもの
6.人の利益になって、害にならないもの
世の常識から言えば、自分の経験を生かして独立するのが当然なもの。
呉服店に勤めていたなら、呉服物を扱い、食堂に勤めていたなら、食堂を開く。
これはのれんわけという慣習にも現れている。
しかし、先生は違った。十年の経験を惜しげなく捨てた。
少しでも三越の営業にさし障りのある仕事は、選ばれなかった。
以上の基準であれこれ独立の職種を考えた結果、
クリーニング業を始めることとなったのである。
「洗濯屋、近所の垢でめしを食い」
という川柳があったほど、洗濯業は人の好まない仕事であったという。
しかし先生は
「自分のような学問も才能もない者が、人のやりたいと思う営業では、とても群を
抜くことはできない。人の好む仕事よりも、好まない仕事をやることだと思いついた」
最初、先生は日本一の呉服店に勤めていたので、
洗濯屋になることは何となく恥ずかしいような気がしたそうである。
だが先生は
「人の垢どころではない、人類の汚れた罪を一身に引き受けて、
十字架の苦しみと恥辱を受けたもうたキリストを思ったとき、
自分のごとき人間が、人様の垢を洗うことが、何で恥ずかしいことがあろう。
洗濯業は神から与えられた聖業である。この仕事に生涯を打ち込もう」
と決意されたという。
先生は、僅か創業一年にして、日本におけるドライクリーニングの創始者となられた。
こんな仕事や生き方を喜んで選びたいと思っています。
とは言え、ヤクザなあたしです(^◇^;)
はっきり言って、私はおバカさんはマジで嫌いだけど(; ̄ェ ̄)、
だからって、自分の好き嫌いで人前で相手をバカ呼ばわりするほど、
おバカなことはないのではないかい?、と思ってます。
どれだけ、言ってる方が偉いのかわからないけれど、
まあ、すごい嫌な思いをしたから言うのかもしれないけど、
あたしは自分がどれだけ偉かったとしても、嫌な思いしたとしても、
人として、そんな発言はしたくないデス。
相手を思っての愛あるダメだしや「このバカ~」ってやつならわかるけど、
そんな人の言う「バカ」って言葉は私には全く解りませんのデスヨヽ(´ー`)ノ
ご自分に対して言っているようにさえ聞こえてしまいます。
ずいぶん高みからの発言に聞こえるかもしれませんが
これは世界の高みからのみ、発言される方に対する私自身の答えです。
あくまでも、そんな人には、私、こう思うわ、ってやつです。
皆さんに私の考え通りにそう思いなさい、っていうことではないので(´∀`)
基本がこういう考え方なので、この思想がどうだこうだ、宗教がああだこうだ、
どっちがすごい、とか、これが正しい、とか、アレコレ語るよりも、
何かに触れた時に、自分の魂が「ああ、これは愛があるな」
と思えることに素直に同調したいなぁと思うのです。
それが写経だったり、祈りであったりもする、ということです。
私にとっての善なる働きなのです。
同じように、疑問を持つことは、自分でよく調べるようにしています。
あるひとつの組織や意識の中にいると、自分を失いやすいから、
自分が目覚めているには、そういう作業ってとっても大事な気がします。
病んでるからこそ、そう思うのかもしれないんですけどね(^_^;)
最近、よくコレは危ないと思うものを目にするんです。
例えていえば「過信の姿」とかデス。
そういうものには、とてつもない不安を感じるので、
自分の中でだけでも、気をつけようと思っています。
そんな中で気づいたのは、今ってホントに便利なんだな、って事です。
え?今頃?と思われるかもしれないんですけど(^◇^;)
料理本とか見てもね、本当に違うんですよね、昔と。
今はネットもあれば、調理器具もいっぱいあるでしょ?
電子レンジとかも普通にあるじゃないですか?
だから、昔は時間かけないと作れなかったものが簡単に出来るの。
それはそれですごく便利で助かる事なんだけど、
それがあるから、人はいろんなものを探さなくなった気がする。
いや、それがあるから、ではないな、そのモノのせいではなくて、
人がそういうものに頼ればいいや、って心になったから、
そういうものを手放して失った、って言えばいいのかなぁ…(´・_・`)
しかも、それはモノだけに留まらない。
例えば、私たちの時代にはPCなんてなかったから、
何か知ろうとしたら、調べるのにものすごく労力が必要だった。
あちこちの図書館を回って資料を探したし、
いろんなところに電話をかけて聴いたり、資料を取り寄せたり、
田舎であれば、なおさらに時間がかかった。
でも、そうだったから、時間を無駄に出来なくて、
一瞬、一瞬を大切に使って、得たことは忘れたりしなかった。
そんな流れの中で、人にお世話になったり、迷惑かけたりして、
人様との距離や礼儀も覚えていったし、覚えなくては始まらなかった。
覚えるためには努力が必要だった。
でも今は違う。
いつでも知りたいことは簡単にできるし、手に入るから、
それを得る努力をしない人が多い。
それなのに、出来ないと言って凹む。
そりゃあ、当たり前だよね。
知ることだけで、できるようになる努力してないんだもの。
というか、今の時代は、出来るようになるチャンスを
自分自身で失っていってるんだなぁ。きっと便利すぎて。
また、子どもに関わってると、当然、親にも関わるけれど、
大人も相当、自己意識が低いなぁと感じることがあります。
そういう大人は、子どもは学校が育ててくれるものだと思っていたり、
何かあれば、時代が違うから仕方ないとか言ってみたり、
自分の気に入るものばかりを与え、気に入らないことはダメというのに、
自分がめんどくさい問題になると、本人のことだから、
本人が気がつかないと、どーせダメでしょ、としっかり向き合わない。
世の中に「こんなことしたらダメ」と、自分のポリシーの元に言える親は
全て消えてしまったんじゃないかい?とすら思ったことがある位、
幼稚園や学校やお教室で出会った、大きい人、小さい人は、
ココロの真ん中がふにゃりとしてて、打っても響かなかったなぁ…(m´・ω・`)m
そういうことがね、とっても淋しいなぁと感じるんです。
いつの間にか、時代に合わせて大人が変わっちゃったんだなぁ、
とかも思ったりします。
子どもが自分を探せないのはそれもあるよね。
だって、ポリシーもアイデンティティももたない大人を見ても、
子どもだって、感動できないもんね(; ̄ェ ̄)
いまの世代の親御さんとか、子どもたちとか、若い人とか、
冷静に見てるとそう思うことが多いです。
私は有難いことに、金銭的に苦しい状況で育ったことや、
中学の頃から働いたり、学費を作ったり、家族に仕送りしたりして来て、
ある程度の年になってからは、自分のなりたい職業を目指し、
その世界に入り、本当に厳しい環境の中に暮らしたので、
今となれば本当にそのことがあったからこそ、
多くを学ばせていただいたことが分かります。
自分の目指す目標というものがはっきりしていたし、
持っている才能が分かっていたので(つか、それしか考えなかった)
自分がやることに対して迷いもブレもなかったし。
ぶっちゃけ、そんなことは絶対無理な環境だったから、
そこを抜ける為に、どうしても夢に到達するために、
本当に本当に死ぬ気でがんばれた。
頑張ってきたから、今も頑張ることができる。
入った場所も厳しい環境で、周りにガッツリ鍛えられながらきたから、
学ぶことに必死になれて、諦めることや、悩むことなんか
これっぽっちも考えることがなかったから良かった。
実際、そこに行けることが、夢のような話だったから、
出来ないってことすら超えてくのが楽しかったもんなぁ。
個人で仕事をするようになってからは、いくつかの店の経営を経て
人をまとめていくこととか、そういうリーダー的な位置での活動や、
教師として指導していくって言う難しさにもチャレンジさせてもらえました。
でも、結局、教わったのは自分だったなと思います。
今の時代はきっと余裕がありすぎるのかもなぁ。いろんな意味で。
あたしは人生を生きる上では不器用で融通のきかないおバカさんだろうから、
現に今も苦しい、貧しい生活だけど、それでもイイなと思う。
好きなことをして、自分のポリシーを守ってるとそうなるんだから仕方ない(^◇^;)
でも楽したいがために人を踏んで歩いたりするよりは、踏まれたほうが全然マシ。
そりゃ、楽は出来たらすごく嬉しいけどもー(*゜▽゜*)
でも、そんなんで、ぼーっとして自分をなくすより、
苦しくても自分が立ち向かえる場にいたほうがいいなと思うのです。
もしね~、恵まれまくっちゃって、この後の人生で楽できる人になれたら(笑)、
自分の才能をフルに使える仕事をして、少しでもいいので人様のお役にたてたらイイな~。
そして今度はその自分に与えられた「楽」のタネをみんなに蒔く人になりたいなぁ~
なんて思っちゃいますけどねぇ~(*´∀`*)本当にそんなんなったらいいのォ(*´ω`*)
いや、なるね(笑)だって、そうなりたいって言って叶わなかったことないし(ホント)
言っとけば実現するでしょう!(*^^)v
とにかく、あたしはすごい幸せ者だなぁ~とか、
ホント、自分の意志をしっかり持つ事とか、
目標をしっかり持つってのは大事なことなんだな~、
自分力って、人間力につながってんだなぁ~、
って、思う今日このごろでゴザイマスわ。
そんなこと言ってて、今や不安症に襲われながら生きる病人(´д`)
大したことはできません。家族の連絡が来ないだけでパニックします。
もう心配で不安でたまりません。
まあ、ボロボロっすね。。。。。(; ̄ェ ̄)
そんでもね、アタシ、自分は捨てないの。
元の私に戻れなくっても、これからの生き方がボロ臭くてもいいの。
そんな自分でも欠片でいいから、自分を拾って、
弱々しくてもイイ、それを掲げて生きていきたいと思うのデス(*´∀`*)
それが、私の前にある道なんだから乗り越えるしかない。
乗り越える方法を私なりに見つけていく中に必ず私が現れる。
それは間違いなくそうだから、這ってでも行くのだ。
だってさ、中途半端なんかで生きらんないでしょ?
いい加減になんて、時間無駄になんてできないでしょ?
志半ばで逝った人はどうなるの?
波にさらわれた人は?病気で逝った人は?
やりたくても、どうしてもできない人だっている。
必死に生きたかった人はたくさんいるのに。
それが天の宿命であったとしても、
その時にまで必死で生きたかった人はたくさんいるのに。
そんなくだらない生き方、失われた魂やできない宿命の人に申し訳ないよ。
私はそんな人たちに支えられてイノチを繋いでる。
だから、できない。そんなことは。
だから、あたしは、
気持ちだけは強気なのだ(ノ∀`)
スミマセン、読み返せば、愚痴ってばっかでした。
でも、コレは私の中の言葉ですのでご容赦をm(_ _)m
なんか聞けば、宇宙を生んだ大いなるチカラは
今、地球の人々を振り分けているそうな。
愛を持つものと、憎しみに染まるものに。
さて、宇宙の愛とは何を指すのだろう?
ああ、なんか話が長くなってしまいました。
今日はここまでにします(^◇^;)