KOFUKUの家から

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Letters~長崎・祈りの日に寄せて

2013-08-10 | 神様、天使、平和の祈り、愛の言葉



あなたが何気なく過ごした 今日という一日は
昨日亡くなった方が あれほど欲しかった明日
関ジャニ∞ 安田章大




68年目の長崎・祈りの日を迎えました。

今は亡き母方の大おばさんは原爆の語り部でした。
あの日、二人のお母さんである大叔母さんは朝早くから、
電車に乗って、食べ物を求めに行く予定でした。
いつもは笑顔で送り出してくれる下の女の子が、その日ばかりは狂ったように泣いて
おかあさんといっしょに行きたいと言ったそうです。
大おばさんは「それならマリア様のところで待っていなさい。お昼前の汽車でかえるから。
あそこからなら汽車が帰ってくるのが見えるでしょう」と言って出かけました。
そして、小さなふたりは教会の階段に座って帰りを待ちました。
お昼前、長崎湾を望む山のトンネルから汽笛が聞こえたその時、
キラリと光る飛行機が現れ、長崎の街に原爆が投下されました。
大おばさんの乗った汽車はトンネルの中で止まり、目を覚ました時には真っ暗な中で、
出口を目指して歩んだ先に現れたのは真っ赤に燃える街だったそうです。
燃える街を命からがら教会に行くと、残されていたのは階段に焼き付いた小さな影が二つ…。




【あの日も、こんな平和な幸せがあったはず】



あの日、あの時、人の暮らしが、確かにそこにありました。
夏の日に輝く青空も、緑の風をまとった木々たちも
野辺に咲く小さな花も、そこに集まる小さな虫たちも
おじいちゃんもおばあちゃんもお父さんもお母さんも
お兄さんも弟もお姉さんも妹もおじさんもおばさんも
結婚式を迎えた人も、生まれたばかりの赤ちゃんも
広場で駆け回る子供たちも、働く大人たちも
膝で丸くなる猫たちも、足元でじゃれる子犬たちも
みんな、みんな、あたりまえにそこにあって生きていたのです。


日本はすっかり豊かになって、人のココロから「戦争」の文字は消えました。
原爆の日を知らない子供たちもたくさんいる世の中になりました。
国が平和で豊かになった分、便利になった分、
人は必死にならなくても生きていけるようになり、
それをあたりまえに受け取って生きている私たちの中には
今日という日に感謝することを忘れてしまった人もいます。

戦争や原爆という恐ろしい事実にも加えて
突然にもたらされた悲惨な「死」の現実に
残された多くの方がどれだけ苦しんだことか。

それは、原爆でも、戦争でも、災害でも、事故でも
日々に訪れる「死」でも、きっと悲しくて、辛い。
相手を憎んでもいない限り、簡単に忘れられるものではないし
何かに差し替えられる気持ちなどでは決してない。
突然に去ってしまったなら、奪われてしまったなら、なおさら。

私も10年前と3年前に、一生隣を歩むはずだった人たちとお別れをしました。
しかも、どちらも突然に。本当に夢のように逝ってしまいました。

周りからすれば、今でもそんなこと言っているのかと思われるかもしれないけれど
まだまだ私の中では昨日の日のことのようです。
考えない日はないし、忘れるなんてことは絶対ないでしょう。

相方さんが向こうに行ってから、ずっと手紙を書いています。
今日で993通目になりました。993日分の手紙たち。

書きながら思います。
亡くなった人がどれだけ大切だったか。
何気ない日々がどれだけ幸せだったか。

でもそれは、その人たちもきっと同じ。
突然の死は彼らにとっても突然なのだから。

たくさんの未来を見ていたはず
たくさんの夢を持っていたはず
死にたいなんてきっと思っていなかったはず
私の生きている今日は
彼らが夢を抱いた明日だったはずに違いない。

そして
あの人たちの尊い人生があったから
私は今ここで生かされてるんだ。命を継いだんだ。
深くて消えない悲しみの中で、そうハッキリ感じるのです。

だから、今がどんなにダメダメな私でも
その私の出来る、精一杯のチカラで生きなくちゃいけない
そう思っています

私の今日は、あの日の誰かが夢見た
大切な、大切な今日なのだから

わたしの心から愛したあのひとの
命もやした夢を叶えるための明日なのだから

この日々は昨日を生きた人の夢の上に存在してる
生を奪われた人のイノチのうえに生きている

だから
ひとかけらの時間も愛さずに生きてはならない。
私はそう思っているのです。


だから、人に馬鹿にされても、呆れられても
私は手紙を書き続けるでしょう

何千通でも
何万通でも
生きられる限りずっと

昨日までの彼らに捧げられた愛と幸せを抱きしめるために
今日、生きていられることの感謝を抱きしめるために
あの人の、誰かの、大切な明日を抱きしめるために

今日という日を、あの人の、誰かの、魂と共に、精一杯「生きる」のです。






【悲しみが繰り返されず、愛と平和がありますように】




さよならのかわりに

僕の手に触れてみて きみの手とひとつになる
静かにかよいあうもの これが生きている温かさ

どんなに離れても きみをずっと覚えている
どこにいても 信じていて 僕はいつもきみと生きている

会えない朝も昼も 疲れて眠る夜も

生きていく街の中 たたずむ人混みの中
見上げればそこには空がある きみと同じ空を見る

何を見ても聞いても きみのことを思うだろう
いろんなことがあるたび きっときみに語りかけるだろう

かわいた風の中で やまない雨の中で

どんなに離れても きみをそばに感じるだろう
淋しいかい 僕も同じだよ だけどもう歩き出そう

心で抱きしめるよ さよならのかわりに

僕の手に触れてみて きみの手とひとつになる
静かにかよいあうもの これが生きている温かさ

どんなに離れても きみをずっと支えている
くじけないで 信じていて 僕はいつもきみと生きている

くじけないで 信じていて 僕はいつもきみと生きている