KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
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南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

マドンナの老い~人生の秋に

2013-09-06 | KOFUKU日記




《洗足夢の街の近くに立っておられた母似の観音さま》



「人生の秋に」

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり
働きたいけれども休み
喋りたいけれども黙り
失望しそうな時に希望し
従順に平静に己の十字架をになう
若者が元気一杯で
神の道を歩むのを見ても妬まず
人の為に働くよりも
謙虚に人の世話になり
弱って、
最早人の為に役立たずとも
親切で柔和であること・・・
老いの重荷は神の賜物
古びた心に
これで最後の磨きをかける
まことのふる里に行くために・・・




昨日の午後、母が体調を崩し、息も荒く、熱もあり、もしかしたら…
明日、一番に来て欲しいという連絡が母が入院している病院の医師からありました。
騒ぐココロ落ち着かせて受け止めなくてはと、あえて普通に賑やかに過ごした夜。
明けて病院に連絡すると、母は熱が下がってくれたようで、少し落ち着いた様子でした。
まだまだ予断ならない中ではありますが穏やかに居てくれています。

母は80歳を超えました。
今朝も、いつ、何があってもおかしくない年齢ですから
少しのことで命に関わると心していてください、と医師にも言われました。

半身不随になって、しゃべることができなくなり、
今では意識はあっても、全く言葉を交わすことはできません。
こちらを認識しているのか、見た目からは判断できない状況です。

ただ、私は認識している、と感じています。
だから行けば必ず話しかけて会話して帰ります。

母は若き頃、少女歌劇の娘役トップと言う華やかな世界の高い位置にいた人です。
生まれもとても裕福で、日本でも有数の資産家の娘でしたが
戦争がそれらすべての環境を奪ってゆきました。

けれども生き仏と周りから尊敬され愛された祖母によく似た明るく優しい母は
持ち前のバイタリティと才能と博愛の心をもって戦後を生き抜いてきました。

ところが芸術人として素晴らしい地位につきながら、最後に彼女が選んだのは
ひたすら激しく苦労を伴う、たったヒトツのちいさな愛でした。
人生の困難を背負った父と、その荷を自分が背負うと決めたのです。

苦労、苦労の連続で、きっと楽をしたことはないと思います。
遊んだことも、自由に何かをしたことも、何かを買ったこともないでしょう。

けれど、母の顔から笑顔が消えたことは一度もありませんでした。
彼女のココロから愛が消えたことはありませんでした。
彼女の唇から、夫や世界に対しての悪言がこぼれたことは一度もありませんでした。

家に来る人を、その心と工夫を持って精一杯持て成し、
相手の幸せをココロから喜んで、悲しみにともに涙を流す。
家に入り浸る友人は、私でなく、母に会いに来るのでした。
別れた彼氏ですら、母を訪ねてくるのです。
「私の娘を愛してくれる人を愛さないはずがないじゃない。
とっても大切な人達で、私の子どもと同じでしょ。」
そう言って、母は私と同じように友やお付き合いする人を愛してくれました。

貧しくとも不平を言ったことは一度もなく、苦労ばかりを与える父を、
お父さんがいるから生きていけるのだと嬉しそうに語る母。
料理も裁縫もすべて講師ができるほどの腕前で、
どんな粗末な素材でも、その感性で美しいモノに作り変える母。

家庭訪問に訪れた担任の先生が、母を見られなくて言葉につまる。
そんなことが当たり前のような、美しいお母さん。
いつも着物を身にまとっていて、いつも静かな笑を絶やさない、
その背筋の伸びるような穏やかで凛とした姿を見て
近所のおじさま方は「マドンナ」と呼びました。


そんな母は人生を全て嘆きに変えてしまったような父のそばにいて苦労の連続でした。
寝たきりになって、もう7、8年が経とうとしています。
私は病院恐怖症があるから、長く病院にいられないし、
一人で交通機関を利用できないから、なかなか行かれません。
だから、行くときには手土産になにか飾るものとかを持って行き置いてきます。
母は今は病院でケースワーカーさんや、担当の看護師さんや
ヘルパーのみなさまに、とてもお世話になっています。

母が当然倒れて右半身が不随になって、一番最初に思ったのは
母が大好きだった手仕事がもう出来ないのだ、ということでした。
なぜだか、それが本当に悲しかった。

長い闘病の中で、ひとつだけ、良かったと思うことは、
母がだれかの世話をすることなく、ベッドに横になっていられて、
外の世界にいた、知らない人たちにお世話してもらっていること。
すべて母が結婚してからの人生になかったものです。

本当は私が違う形で、母にそんな時間をあげたかった、それが本音。
でも母はそうなればなったで「子どもに世話かけて申し訳ないね」と思う人だから
今はこうして、病院で大事にしていただける時間があって良かったと思っています。
家族がそばにいられないのは、さみしいかもしれないけど。
それでも、そういう時間が、母の最後の日々にあると言うことに感謝しています。
人は人生で平等に時間を使っていくというから、
今までそこに使えなかった時間を目一杯使って楽もして欲しいって思います。

昨日、母のことで連絡をもらい、この「人生の秋に」を思い出しました。
母が一日でも善き人生の秋の日を過ごしてくれますようにと祈ります。

そして、母が無言で教えてくれる人生の深みというものをココロ深く受け止めたい。
老いていく、という当たり前のコトを暖かい胸に抱きしめて生きていきたい。
そう思うのです。


わたしの美しい、うつくしいおかあさま。
わたしの母となって下さり、ありがとうございます。
どうか、あなたの美しい時を精一杯まで穏やかにおすごしください。

あなたの娘より
愛をこめて







《青春》  サミエル・ウルマン 


青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。

優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ
恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、
その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、
事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、
偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。

これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば
この時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。