《ぴーちゃんは日向ぼっこ中》
今日は12日。
相方さんが最後に最愛のぴーちゃんと会った日。
3度目の抗癌剤治療を終えたら退院まであと一週間という日だった。
どうしても会いたいから連れて来て、というリクエストにぴーちゃんを連れて病院まで行くと
相方さんもぴーちゃんも、それはそれは嬉しそうに戯れていた。
いつもは抱っこしたりして、それでサヨナラなのに、
彼は「お散歩しよう」と言い出して、そのまま病院内の敷地を散歩した。
写メもいっぱい撮ったけど、珍しいから記念にと思って短い動画を撮った。
彼とぴーちゃんが動いている最後の姿はそこに残ってる。
そして、彼がなんだかんだ言っても気にしていたご家族のこと、
なくなる前の日にお母さんがお見舞いに来てくれて、3人で病室で時を過ごした。
そんな時間をつくるのが、相方さんは何より私が喜ぶと思ってくれたんじゃないかと思う。
「福ちゃんが何かを作っている姿を見ているのが好きだよ。
小さいものが好きで、手仕事が好きで、そんな福ちゃんを見ているとホッとする」
そう言ってくれた彼の目の前で、最後に私がしていたのは編み物だった。
彼は時々、眠りから目を覚まして、私を見て、そして安心してまた眠った。
あれはぜんぶ、サヨウナラの時間だったのだ、と思う。
きっと定命だったのだろうなぁ。
実は11年前に亡くなったソウルメイトの時もそうだった。
やっぱり、ひとりひとりとサヨウナラをするような時間を過ごして逝ってしまった。
そして私は一ヶ月、そして一週間くらい前に必ず予感させる出来事が起きる。
ソウルメイトの時は一ヶ月前にスピリチュアルな友人から危ないかもと言われた。
そして一週間前、街の通りすがりの占い師にどうしても話をさせてくれと捕まえられ
「あなた、数日中にご家族がなくなるかもしれません」と告げられた。
相方さんの時は、一ヶ月前に急に彼がいつもしない整理をしだした。
そして10日ほど前に、同じ白血病で亡くなった仲良くしていただいた本田美奈子さんの
追悼番組を偶然拝見したり、とても大好きな先輩の美奈子さんの追悼ライブに導かれた。
あれは多分、自分の決めたことなら、どんなハードなことにもメンタル持つのに、
自分以外に起こること、家族やパートナーや友人のことでは心配性で不安症でめっぽう心が弱い自分に、
すこしでも覚悟ができるようにと何かが働きかけてくれたのだろうなと思う。
うまく言えないが、実際、その度にココロの奥でとても嫌な予感がした。
でも、当然そんな思いは打ち消しながらいたのだけど。
二人共、そんな時間を作って逝ってしまった。
相方さんが入院した7月1日になると、体内で勝手にカウントダウンが始まる。
私は入院した日から日記をつけていた。
家でひとりで過ごしていたし、彼の体調管理にも、いつか二人の思い出にもなるだろうからと。
だから、あの日々を鮮明に覚えている。
今日はどこへ行ったな。
今日は何を食べて、こんな話をしたな。
全部、全部、覚えている。
12日になるとセツナイ。
あと一週間だ、と思ってしまう。
もういないのに。
私の中では生きている時と同じような、失うような感覚が起きる。
世に言うフラッシュバックと言うものに近い。
今年は年明け前から母の容態が思わしくなくて、ずっと不安定なまま。
母が少し安定するとチビたちが怪我や病気をするの繰り返しで、
看病したり、心配で精神的に不安定な時が多くて、
いつも書いている手紙などが全然書けない年だった。
毎日、そばにお便りセットを準備していたけど書けない日々だった。
それでも、心の痛みには負けるもんかと目標を持ってなんとか維持してきた。
おかげで、少し道も開けた。
これはきっと、先を歩いてくれた人たちのおかげ。
相方さんのおかげ。
そう思ってる。
《あなたが作ってくれた平台はチビ達の大事な遊び場です(*^_^*)》
あと一週間。
そんなこと考えたくなくても、心は勝手にカウントダウンするだろう。
せっかくだからね、味わうよ。
ほんといつまでもあなたたちは生きてる。
だから一緒に生きるよ。思い出にはしない。
あなたたちがそっちで元気で生きられるよう祈ります。
あなたの継いでくれたイノチを受け取ったちびさんたちは
怪我や病気やいろいろあるけど元気だよ。
これもあなたたちのおかげだね。
だからアタシは今生きられてます。
ありがとう