
すてきなおバカさん
すきに なるのなら
すてきなおバカさん
いきるのが ちょっぴりぶきようなひと
ひとのかなしみは じぶんのいたみ
こっそりだれかのために ながしてるあせ
すきになっても きっと(こいしても)
きづかない おバカさん
いっしょに あるくなら
すてきなおバカさん
だれよりもとおくを みあげてるひと
ひとにしあわせを ゆずってあげて
からのポケットにゆめを またつめこむの
あたしも あなたのゆめに(いいゆめに)
なりたいな おバカさん

米澤観児という人は嘘の付けない人
米澤観児という人は人の痛みを自分の痛みにできる人
米澤観児という人は友情を何より大事にします
米澤観児という人は見た目クールなくせに、心温かくどこまでも素朴です
米澤観児という人はなんでも自分の手で作り出す人
米澤観児という人はお寿司と焼肉が死ぬほど好きです
(刺身とカニも好き)
米澤観児という人はどこかに行くといつも何かを忘れます( ̄▽ ̄;)
米澤観児という人は磁石一つで山道を突っ切ります
だけど、必ず道に迷う…
米澤観児という人はぴーちゃんが死ぬほど好き
きっと彼女の最期を見たくなくて、先に行ったに違いない(確信)
米澤観児という人は絵を描かせると天才です
米澤観児という人は芝居をさせたらもっと天才です
米澤観児は生きてる時間のすべてを芝居に捧げてます
そして自分の命まで、本当に全て芝居に捧げた
心底から愛すべき“すてきなおバカさん”です
そして、そんな“すてきなおバカさん”を
誰よりも私は尊敬し愛しています
米澤観児という人は語り尽くせぬ程の素敵を抱えているおバカさん
《米澤観児を愛してくださる皆様へ》
もしかしたらここを読んでくださるかもしれない私を知る皆様
メール等でご挨拶をお送りしましたら、3年の年月は長いものなのですね
届かなかった方がたくさんいらっしゃいました。
住所の分かっております方には、またお便りにて順次ご挨拶させていただきます。
(届くかわからないけれど)
全くわからなくなってしまった方々、(見てくださるといいなぁ)
この場をお借りしまして、これまでのご友情に深く御礼申し上げます。
そしてこれからも米澤観児並びに夢の街をよろしくお願いいたします。
皆様へ夢の街から二つのお知らせです。
念願叶い、米澤観児の絵本「夢の街ノア」が出版されることになりました(*´∀`*)
そして、その絵本をもとにした、一人舞台も制作・上演することとなりました。
来年には皆様に詳しい情報をお届けできるかと思います。
どうか楽しみにしていてください。
これもひとえに、彼の帰天後、お力添えくださった皆様のおかげです
この場を借りて深く御礼申し上げます。
これからもまったりスロウな歩みではありますが
天の夢の街にいる米澤氏と心合わせ、天と地をつないで
地上夢の街で嘘のない真実のドラマ(魂・芸術)を追求して参ります。
今後とも、米澤観児と夢の街をよろしくお願いいたします。

《孤独、悲しみ、底の見えない不安につつまれた時、
ふと自分の周りを温かな、優しい空気が流れていたことに気付きます。
それらは小さな頃からいつも僕のそばにいて、僕をはげましてくれていました。by観児》


米澤観児Profile
本 名 米澤観児
生年月日 1970年12月24日
出 身 大阪府
学 歴 金沢美術工芸大学絵画専攻油絵卒業
経 歴 スペイン留学を経て、文学座付属演劇研究所 劇団四季
身 長 181cm


幼少の頃は工作などに熱中し、気がつけば何時も一人で部屋にこもって
何かを作っているような子どもだった。
中学・高校時代は陸上競技に熱中し、奈良県のタイムランキングで2位になったこともある。
美術大学在学中はスペインへも留学し、絵画の制作をする。
自然主義をベースとした心のリアリズムを模索。
帰国後、写真と絵の個展を開く。
絵に出会うことにより演劇に出会い、地方劇団に所属し役者のほか、演出も手がける。

1995年、文学座付属演劇研究所へ入所。発表会公演「わが町」では、
松田優作の研究生時代と同じサイモン・スティムスン役を演じた。

1996年、劇団四季に入団。
「ハムレット」「ヴェニスの商人」「李香蘭」
「ジーザス・クライスト・スーパースター」「冒険者たち」「王子と乞食」他、
ストレートプレイをはじめミュージカルにも多数出演。
「ライオンキング」エド役では600ステージに連続出演。
ジュリー・テイモア来日時の東京公演ではベストキャストとして出演した。

2001年、劇団四季を退団し演劇活動を離れ、一時は和紙発祥の地、
兵庫県多可郡加美町で絵画の制作活動にはいり、定住の意を固めるが、
秘めていた演劇への熱い思いを胸に2003年に再び上京、演劇活動を再開する。
「ACTOR21」永妻晃氏の下でメソード演技なども学ぶ。
企画ユニットや客演を含めた舞台へ意欲的に参加。
画家としても絵本「夢の島ノア」の制作や、CDジャケットを手がけるなど絵画制作も続けている。

2006年夏、自分の信じる演技を愛し理解してくれる人々の力を得て、
商業演劇と芸術活動の狭間で揺れる心に自ら終止符を打ち、
自分の信念とする「心を大切にしたうそのない演技」を表現するべく
「オフィス夢の街」を立ち上げる。
真の俳優としてのあらたなスタートラインに立つこととなった。

2008年1月、原宿・明治神宮前に専用劇場「シアター夢の街」をオープン、
嘘のない真実のドラマへの扉を開いた。

2010年7月 急性白血病にて緊急入院。

2010年11月19日
この世で自らが作り上げた夢の街から、天上へと移住。
現在も嘘の無い真実の芸術を目指し、芸術の道を歩んでいる。