![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/b9/41b92e68033290711db1098f6fb4d76c.jpg)
昨日は阪神大震災のメモリアルディでした。
なくなった方々のたましいに同じ数のキャンドルが灯され捧げられたそうです。
あの日のことは私もよく覚えています。
なぜなら、あの日、私は神戸に公演に向かう予定だったからです。
その日の朝、7時30分に集合場所に集まった私たちは運転手の男の子を待っていました。
彼の出身は神戸でした。遅れてきたその子は地震があった事を知りませんでした。
「え!うそ?」そういって彼はご自宅に電話をかけに行きました。
「つながらへん」そういって電話の傍でしゃがみこみました。
そこに公演の担当者が現れて、公演の延期を告げに来ました。
家に帰り、テレビをつけ目に飛び込んできたのは燃えさかる神戸の町でした。
仲間のお家は被害の大きい地域とは離れていたため誰も怪我をせずにすみました。
それから4日後、私たちは車に乗り、阪神に向けて出発していました。
無理を言って関西地方の公演を許可してもらったのです。
ただし、地震地域での公演は許されませんでした。
車で宝塚あたりを通るとあたりはボコボコと道が盛り上がり、
崩れた家にブルーシートがかけてあった事を思い出します。
夜、車のラジオをつけると次々と亡くなった人、そして行方不明者の名前が告げられていきます。
数は日増しに増えていきました。
歌の途切れた事のない私の仲間でしたが、あの時は車のなかで誰一人喋りませんでした。
関西地方を回り、丁度震災から一ヵ月後くらいの事、
私たちは京都の小学校に公演に行きました。
子供たちは東京から来たお芝居をする人たちに興味しんしんです。
わあわあと喋っては取り囲む彼らに担任の先生も苦笑しておられました。
ふと、視線に振り向くと一人の男の子が輪から外れてぽつんと立っています。
その子を見る私に気づいた先生がおっしゃいました。
「あの子、神戸から来たんですわ。震災で親が亡くなりまして、
こっちのおばの家に身を寄せとるんです。
ぐらぐら揺れるのが怖い言うて泣いて、電車にもバスにも乗れんのです。
平均台の上にも、椅子の上にも揺れるところには立てんのです。
震災のとき、目の前のガラスが割れて降ってきて、
兄弟が怪我をして、ガラスの前にもおられへん。
ここに来てからまだ一度も笑ってくれへんのです。
あんな小さい子がと思たらせつのおて、ほんまに代わってやりたいと思います。」
私たちはあの日、流れたラジオの静寂を思い出しました。
彼の耳はまだきっとたった一人であの暗闇の静寂のなかで流れる
亡くなった人たちの名前を今も聞いているのです。
その日、私たちは違う演目を上演する予定でしたが、
学校から許可をもらい「サウンド・オブ・ミュージック」を元にした
子供向けの作品を上演することにしました。
この作品はお母さんが早くに亡くなり、全く笑わず歌うこともしなくなった厳しい父親の元で暮らす7人兄弟の所に、マリア先生という歌を愛する家庭教師がやってきて、子供たちもそして妻をなくし、悲しみに暮れていた父親をも愛の力で心とかすというお話です。
作品のなかでマリア先生が観客の子供たちとドレミの歌を歌うシーンがあります。
私たちは舞台の上にその男の子と担任の先生をあげました。
ドレミの歌には簡単な振りがついていて、それを一緒にやるのですが、
案の定、そのこは反応しませんでした。
その振りの中に絶対笑ってしまう振りがあります。それを先生にやってもらうことにしました。
反応しない男の子の横で代わりに一生懸命踊る先生につい目がいってしまったのでしょう、
男の子はホンの少しそれを見て笑いました。
それを見てさらに先生は激しく踊ります。
生徒達も大笑いしていてそれにつられたのか男の子もとうとう吹き出してしまいました。
そこで私たちは続けて歌を歌ったのですが「どーそーらーふぁーみーれーどー♪」
と歌うところでこう歌ったのです。
「○○先生、笑顔が素敵!」
そういって「ハイ!」と振ると繰り返して歌わないといけないのですが、
振られた先生はすかさず「○○君の笑顔も素敵!」と歌ってくれました。(えらいっ!)
そして学校の生徒さんみんなでそれを繰り返し歌ってくれたのです。
彼は笑いました。それは嬉しそうに笑いました。
お芝居が終わって、その先生がこられました。
眼には涙がいっぱいでした。
「いやあ、こんなにはようあの子の笑顔が見れるなんて思ってませんでした。
お芝居の力いうもんはすごいもんですねえ。」そういって握手してくれました。
後日、学校から届いた感想文。あの彼の作文は一言こう書いてありました。
「人が元気のないとき、マリア先生のように歌ってあげられる人になりたい」
忘れられない思い出です。
彼の心の病の名前はPTSD「心的外傷後ストレス障害」といいます。
現実にはありえないような悲惨な事故や出来事で心が恐怖に陥ったままになる病気です。
大人になってからより幼い頃に受けた心の痛みは辛いものです。
それを抱えていると心がより過敏になり、育っていく段階で些細な事でも同じ病気の原因となるように感じてしまうようになったりする二次被害も生まれます。
私も幼い時から同じ病気を抱え、二次被害を重ねて持って来ました。
だから彼らの気持ちが痛いほどにわかります。
いろいろな事件のもとにこの病気は生まれています。
彼の様に天災もあれば、戦争、紛争、殺人、病気、事故、災害、レイプ、いじめ、いろいろです。
(私は人的被害による発症者ですが)せめて回避できるはずの人的被害は少なくなればいいと思います。
昨日アップしたシュタイナーの子供の祈りのように、本来人間の周りには愛だけがあるのです。
病気を抱える私でもそれは本当だと思います。
その愛を感じられる環境がすこしでも早くすべての人に与えられるように心から祈りたいと思います。
たくさんの人が毎日笑顔で暮らせますように。
あの日天国に向かわれたたましいに祈りを捧げつつ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_uru.gif)
なくなった方々のたましいに同じ数のキャンドルが灯され捧げられたそうです。
あの日のことは私もよく覚えています。
なぜなら、あの日、私は神戸に公演に向かう予定だったからです。
その日の朝、7時30分に集合場所に集まった私たちは運転手の男の子を待っていました。
彼の出身は神戸でした。遅れてきたその子は地震があった事を知りませんでした。
「え!うそ?」そういって彼はご自宅に電話をかけに行きました。
「つながらへん」そういって電話の傍でしゃがみこみました。
そこに公演の担当者が現れて、公演の延期を告げに来ました。
家に帰り、テレビをつけ目に飛び込んできたのは燃えさかる神戸の町でした。
仲間のお家は被害の大きい地域とは離れていたため誰も怪我をせずにすみました。
それから4日後、私たちは車に乗り、阪神に向けて出発していました。
無理を言って関西地方の公演を許可してもらったのです。
ただし、地震地域での公演は許されませんでした。
車で宝塚あたりを通るとあたりはボコボコと道が盛り上がり、
崩れた家にブルーシートがかけてあった事を思い出します。
夜、車のラジオをつけると次々と亡くなった人、そして行方不明者の名前が告げられていきます。
数は日増しに増えていきました。
歌の途切れた事のない私の仲間でしたが、あの時は車のなかで誰一人喋りませんでした。
関西地方を回り、丁度震災から一ヵ月後くらいの事、
私たちは京都の小学校に公演に行きました。
子供たちは東京から来たお芝居をする人たちに興味しんしんです。
わあわあと喋っては取り囲む彼らに担任の先生も苦笑しておられました。
ふと、視線に振り向くと一人の男の子が輪から外れてぽつんと立っています。
その子を見る私に気づいた先生がおっしゃいました。
「あの子、神戸から来たんですわ。震災で親が亡くなりまして、
こっちのおばの家に身を寄せとるんです。
ぐらぐら揺れるのが怖い言うて泣いて、電車にもバスにも乗れんのです。
平均台の上にも、椅子の上にも揺れるところには立てんのです。
震災のとき、目の前のガラスが割れて降ってきて、
兄弟が怪我をして、ガラスの前にもおられへん。
ここに来てからまだ一度も笑ってくれへんのです。
あんな小さい子がと思たらせつのおて、ほんまに代わってやりたいと思います。」
私たちはあの日、流れたラジオの静寂を思い出しました。
彼の耳はまだきっとたった一人であの暗闇の静寂のなかで流れる
亡くなった人たちの名前を今も聞いているのです。
その日、私たちは違う演目を上演する予定でしたが、
学校から許可をもらい「サウンド・オブ・ミュージック」を元にした
子供向けの作品を上演することにしました。
この作品はお母さんが早くに亡くなり、全く笑わず歌うこともしなくなった厳しい父親の元で暮らす7人兄弟の所に、マリア先生という歌を愛する家庭教師がやってきて、子供たちもそして妻をなくし、悲しみに暮れていた父親をも愛の力で心とかすというお話です。
作品のなかでマリア先生が観客の子供たちとドレミの歌を歌うシーンがあります。
私たちは舞台の上にその男の子と担任の先生をあげました。
ドレミの歌には簡単な振りがついていて、それを一緒にやるのですが、
案の定、そのこは反応しませんでした。
その振りの中に絶対笑ってしまう振りがあります。それを先生にやってもらうことにしました。
反応しない男の子の横で代わりに一生懸命踊る先生につい目がいってしまったのでしょう、
男の子はホンの少しそれを見て笑いました。
それを見てさらに先生は激しく踊ります。
生徒達も大笑いしていてそれにつられたのか男の子もとうとう吹き出してしまいました。
そこで私たちは続けて歌を歌ったのですが「どーそーらーふぁーみーれーどー♪」
と歌うところでこう歌ったのです。
「○○先生、笑顔が素敵!」
そういって「ハイ!」と振ると繰り返して歌わないといけないのですが、
振られた先生はすかさず「○○君の笑顔も素敵!」と歌ってくれました。(えらいっ!)
そして学校の生徒さんみんなでそれを繰り返し歌ってくれたのです。
彼は笑いました。それは嬉しそうに笑いました。
お芝居が終わって、その先生がこられました。
眼には涙がいっぱいでした。
「いやあ、こんなにはようあの子の笑顔が見れるなんて思ってませんでした。
お芝居の力いうもんはすごいもんですねえ。」そういって握手してくれました。
後日、学校から届いた感想文。あの彼の作文は一言こう書いてありました。
「人が元気のないとき、マリア先生のように歌ってあげられる人になりたい」
忘れられない思い出です。
彼の心の病の名前はPTSD「心的外傷後ストレス障害」といいます。
現実にはありえないような悲惨な事故や出来事で心が恐怖に陥ったままになる病気です。
大人になってからより幼い頃に受けた心の痛みは辛いものです。
それを抱えていると心がより過敏になり、育っていく段階で些細な事でも同じ病気の原因となるように感じてしまうようになったりする二次被害も生まれます。
私も幼い時から同じ病気を抱え、二次被害を重ねて持って来ました。
だから彼らの気持ちが痛いほどにわかります。
いろいろな事件のもとにこの病気は生まれています。
彼の様に天災もあれば、戦争、紛争、殺人、病気、事故、災害、レイプ、いじめ、いろいろです。
(私は人的被害による発症者ですが)せめて回避できるはずの人的被害は少なくなればいいと思います。
昨日アップしたシュタイナーの子供の祈りのように、本来人間の周りには愛だけがあるのです。
病気を抱える私でもそれは本当だと思います。
その愛を感じられる環境がすこしでも早くすべての人に与えられるように心から祈りたいと思います。
たくさんの人が毎日笑顔で暮らせますように。
あの日天国に向かわれたたましいに祈りを捧げつつ
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