長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

な~んか2011年っぽい映画『ミツコ感覚』を観て新年をむかえよう

2011年12月29日 15時25分37秒 | ふつうじゃない映画
 ど~ぉも、こんにちは~い。そうだいでございますよっと。
 今日もいいお天気! たいていの会社は昨日で御用納めということなんですかね。もちろん全部がそうなんじゃないでしょうけど、なんとなーく世間は年末年始モードに入っておりますね。

 いや~、そう。御用納めになっちゃってんのよねぇ。
 今日、パソコン会社さんに「古いデスクトップの処分」をお願いしたらさぁ……申し込みが受け付けられるのが来年の1月4日ですって。1週間後!?
 しかもですね、受け付けられるのが1週間後で「リサイクル処分費用の支払い伝票」が送られてくるのがそっから2週間後で、さらにコンビニとかでそのリサイクル料金を支払ったあと、その3週間後に郵便局用の「輸送伝票」が送られてきて、梱包したデスクトップにそれをはっつけて郵便局に渡して、晴れてパソコン回収完了とあいなるわけなのでございます。

 う~ん、軽く1ヶ月かかっちゃうネ! そうか、本当の別れは2012年2月のことになるんですか……

 しっかもさぁ! 聞いたところによりますと、2003年9月以降に生産されたパソコンは、機体のどこかに「PC リサイクルマーク」というシールがはってありまして、それがあったら、上の手続きの内の「リサイクル処分費用の支払い」の必要はまるまるナッシング! 受け付けから輸送伝票送付までの期間も2週間に短縮できるんだそうですよ? まぁ、パソコン会社さんによって多少の違いはあるんでしょうけど。

 私と長年連れ添ってきた「ウィンドウズMe 」搭載のデスクトップは、もちのろんで「2001年製」。おかねかかるよ~☆
 この「リサイクル処分費用」っつうのがね。バカになんないのよ~!! ちょっとしたセカンドバッグが買えるっつうの。

 いや、安心して私の愛したパソコンを送り出すことができるのならば、惜しみませんけどねぇ。
 去年の「12歳で大往生したテレビデオ」もそうでしたけど、やっぱり長年お世話になったものは、別れもそれなりに時間と手間が必要になっちゃうんでしょうか。
 いいよいいよ、今までさんざん厄介になったんですから、気長に、そして穏やかな心で送り出すことにいたしましょうよ。


 話は変わりますが、昨日は私の所属していた劇団「三条会」の千葉市アトリエでの年末公演『三条会の不思議なリーディング 三島由紀夫の「十日の菊」より』の初日を観てきました。

 「リーディング」っていうのは、「お芝居」よりも「朗読」に近い、役者さんが舞台で台本を読む上演形式であるわけですが……まぁ、そう簡単にいかないのが三条会さんなのであります。
 なんか、「あっ、これは年末の公演だ!」としみじみ感じてしまう場でしたね……女優さんのみ4人でのリーディングでほんわかした空気もありつつも、飛ばすところはまぁ~尋常じゃないスピード感で。
 三島由紀夫っていうお方は、つくづく日本人離れ、いやさヒューマン離れした存在だなぁとも思い。有名な小説を5~6コ読めばわかるってスケールじゃないわけですね。「あそこであんなに真面目に取り組んでたテーマを、ここでそんなに茶化すんですか!?」という、驚くほどのフットワークの軽快さがあるんですね。

 明日30日までの公演なんですけど、勝手な私個人の想像ですが、日によってぜんぜん違う印象の作品になっているかも知れない気がする。私が観たのは初日でしたが、できれば他の回も観たかったですな~。


 さてさて! 今回の本題はお芝居……じゃなくて、映画でございます。

 あの~、先日、雪のちらつく25日のクリスマスに新しいノートパソコンを購入したあと、いそいそと新宿の映画館「テアトル新宿」に行って観てきた映画のことなんですよ。
 え……独りでですけど、なにか。


『ミツコ感覚』(監督・山内ケンジ 主演・初音映莉子)


 全国順次公開なのですが、今月25日の段階ではテアトル新宿でのレイトショー上映のみでしたので、夜9時に新宿におもむくこととなりました。

 いやぁ~。なんか、ものすごく「2011年っぽい」映画だったような。ざくっと言ってしまえば、「みんなが必死に非日常を日常にしようとしている群像劇」、みたいな?

 「2011年っぽい」と言ってしまうと、どうしても3月の東日本大震災のあたりが作品のテーマに関わっているのかと思われるかも知れませんが、会話に「こないだの地震」という言葉が出てくる程度で、特に震災から直接的な影響を受けた物語は展開されません。

 直接の影響はないんですけれども、「日常だと思い込んでいる日々に異物が入ってきた時、人はどう反応して、その上で異物をどう呑み込んで新しい日常の一部としていくのか?」といったあたりを執念く(しゅうねく 私はこの日本語が大好き!)演じる役者の方々と、それを克明にカメラにおさめていく監督の「視点」が、まだまだ混乱のただ中にある、かと言って、いつまでも「えらいこっちゃえらいこっちゃ!」と慌てているわけにもいかない2011年の日本の空気にフィットしているような気がするんだよなぁ~。

 この映画の主人公は、閑静な住宅街にある瀟洒な邸宅に2人で暮らしている姉妹です。そして、この2人にじ~わじ~わと迫ってくる「非日常」がいろいろあるということで、大きいものは3つ。

「別居している親の都合で、姉妹が幼い頃から住んでいた邸宅が売りに出される」
「姉エミ(演・石橋けい)の不倫相手がいよいよ本妻との離婚を決心」
「妹ミツコ(演・初音映莉子)に怪しい男がつきまといはじめる」

 どうでしょうか。「殺人!」や「ド派手アクション!」がベタな見物となっている映画の世界ではびっくりするほどパッとしないトピックなのかも知れませんが、我が身のことと考えてみると、どれもどうしようもなくリアルな「非日常」だと思いませんか? 「はなばなしく死亡!」とか「ヒーローが解決!」とかがないフツーの日常だからこそ、ここらへんのニキビのようなモヤモヤ感がいちばん厄介なんじゃないでしょうかね。

 たいていのメディアでアナウンスされているように、この映画の主演は「妹」のほうの初音さんとなっているし、いちばん出番が多いのも確かに彼女なのですが、ちょっと映画を観ていただければわかる通り、むしろ映画全体の問題の発生源となっている存在は「姉」の石橋さんのほうです。私の観た印象では、キャラクターとしても俳優としても観ていていちばん面白かったのは石橋さんでしたね。

 具体的な内容はぜひともみなさま、各自そのおまなこで映画を観ていただくとして、2人暮らしをするにはちょっと広すぎる邸宅に住んでいるこの姉妹には、別の場所で健在の両親と同居するわけにはいかない感情の障壁があり、そんな親の都合で住み慣れた邸宅を売らざるを得なくなったという話に、特に妹の方はそうとうな不満を持っているようです。親とは口もききたくないといったかたくなな姿勢ですね。

 とはいっても、事情はなんであれ邸宅の法律上の持ち主は親であるわけですから、最終的にはその判断に従わざるを得ないわけで、やるせないストレスを常にためている妹さんは、大学もそろそろ卒業で将来のことを考えなければいけないし、できれば「フリーカメラマンになる」という夢をかなえたいんだけれども応募してもはかばかしい結果は帰ってこないし、最近好きだった彼氏とも音信不通になっちゃったし、そうこうしてるうちに自分に好意を寄せているらしい気持ち悪い男(演・三浦俊輔)につきまとわれるようになってきちゃったし……とにかく面白いように運気が下がりっぱなしなんです。

 さて、そんなどうしようもない状況のフラフラ妹を横目にして、中堅の商事会社に就職してOL となっている姉のほうはちったぁマシなのかといいますと、確かに働いて経済基盤を確保しているという点ではマシなのですが、勤め先の上司(演・古舘寛治)とのただれた不倫関係が公私ともに隠しようのない状況にまで悪化してしまっている、ある意味で妹以上に笑えないドン詰まりにおちいってしまっているのです。結果、姉は強引に言い寄り、上司に本妻との離婚を決意させることに成功します。

 まぁ~、それぞれの事情で、姉妹はどっちもキッツい非日常のフルコースにあえぐこととなってしまってるんですな。

 こういった言い方でズラズラと内容を説明してしまいますと、「なんだよ、ただの不幸博覧会じゃんか。」「そんなのをわざわざお金を払って映画館で観るなんて……やっぱりそうだいは変態ね。フケツ!」と思われる方もおられるかと思うのですが、この映画『ミツコ感覚』の真の価値は、それらの情景の全てが、


ほほえましく、時には大爆笑をさそう「血のかよった生のいとなみ」に見えてきてしまう。


 ということなんですねェ~!! ほんとにおもしろいんですよ。人のダメさがたまらなくいとおしい。

 さきほどにも言ったように、この映画のいちばんのトラブルメイカーは、これはもうどうしても、親のいない邸宅でいっぱしの社会人として、夢見がちな妹の教育者とならなければならないはずの姉です。
 ところが! そんなオトナであるはずの姉が、オトナはオトナでも夜のオトナ関係が高じてしまったために八方ふさがりになってるんだからどうしようもねぇ。潔癖性というわけではないのですが、そんな姉の姿に過去の嫌な記憶をダブらせてしまう妹は姉をひたすら嫌悪してしまいます。
 しかも、「不倫相手の離婚」という、ある意味での勝利を目前にした姉のほうも、「じゃあ上司と結婚するの?」「同棲するの?」「上司の本妻とは会ってけじめをつけるの?」「もう小学生になってる上司の子どもの将来はどうなるの?」といったもろもろの現実問題に直面してかなり顔色が悪くなっています。
 「いや、そこまで考えてたわけじゃないんだけど……」という本音をどこにも吐き出せない頭パンパン状態になっているんですね。マリッジブルーとはまるで重みが違うよ~。

 結果、妹以上に精神がフラフラになった姉は、妹につきまとう怪しい男を警察に突き出すという判断もできなくなり、「わたしの幼なじみかも知れないから、許してあげてよ!」とビックリするような主張を展開してしまうのです。

 私のまずい文章でどこまでわかっていただけるのかは不安なのですが、このへんの「非日常と日常とのまじりぐあい」「とんでもない不幸の連続のナチュラルな入りかた」が実にうまいんですね、『ミツコ感覚』は!
 も~う大爆笑なんですよ。「他人の不幸は蜜の味」なんていう下世話な笑いではないんです。「他人事」とは片づけられない、ちょっとしたボタンのかけ違いを気づかないままにしてしまったら、もしかしたら明日にでも自分自身の身に降りかかってしまいそうなリアリティがこもっている、本当に恐ろしい不幸の足音がスクリーンいっぱいに迫ってくるから笑うしかなくなってしまうんです。

 つまりこの『ミツコ感覚』の笑いは、あの世界ホラー映画界の最高峰とも言われる歴史的傑作『悪魔のいけにえ』(トビー=フーパー監督 1974年アメリカ)を目の当たりにしてしまったときの、

「ひ、ひえ~!! あ、あは、あはは……もうどうしようもねぇ~。」

 といった笑いと軌を一にしたものがあるのです。危険だ! あまりにも危険すぎるおかしさです。


 雑誌などでのさまざまな前情報をご覧になって、もしかしたら『ミツコ感覚』のことを「ぬるいニヤニヤを楽しむ映画なのかな?」と思ってしまう方も多いかも知れません。

 とォんでもない……非日常を自分自身の力だけでどうにか日常に消化しようとため込んでしまった姉妹、特に姉のほうは、最終的にはけっこう最悪な目にあってしまいます。その上で、いよいよ行き詰まってしまった姉妹ははじめてまともに対峙し、お互いのたまりにたまったフラストレーションのガチンコ対決としゃれこむのでありました。そんな極限のやり取りが用意されているはずなのに、それまでの道のりがどうにもおかしくていとおしい!

 映画『ミツコ感覚』は、とにかく笑える作品です。それはもう、姉妹を演じた石橋・初音ペア、姉妹につきまとう男どもを演じる古舘・三浦ペアのとてつもなくハイレベルな演技合戦のたまものでもあるのですが、そんなみなさんのやり取りの妙を楽しむだけでもいいですけど、もみあいながら一緒にドン底のドン底にまで堕ちきってしまった姉妹が、そのドン底でしゃがんでから「せーのっ。」でビヨーン! と上を目指してジャンプするその瞬間、2人の決意の表情をもって終わっている「再生の映画」であるという点でも、充分に完成されている作品なのです。

 おもしろいんだけど、それだけじゃない映画なんですね。強くおすすめします。

 ところで、私が観たクリスマスの回は、いかにも「通!」といった感じのシブいおっさんの1人客だけしか集まっていませんでした。ペアは1組もいませんでしたね、見事に。
 上映中も野太い「ガハハ!」という笑い声が聞こえてきたりして、ずいぶんオトナっぽい客層だなと思っちゃいましたね。

 いやいや。もっと多くの人が『ミツコ感覚』を観ればいいんですよ。珍味じゃないんですから。

 もっと多くの人に知っていただきたい。
 今、日本には「石橋けい」という、世界一「どうしよう……」という表情の似合う女優がいると!!

 ミス・困り顔・オブ・ザ・イヤー!! ゴッデス・オブ・苦笑!! もう、だいっすき。


 山内ケンジさんは長編映画としてはこの『ミツコ感覚』が初監督ということなのですが、次回作が大いに楽しみですねぇ~。
 山内さんが作・演出をつとめる演劇の公演も私は大好きでして。いつも大爆笑させていただいております。

 山内さんの演劇も『ミツコ感覚』に劣らず面白いのですが、「キャラクターのクローズアップ」ができるという映画の特性をフル活用した『ミツコ感覚』は、映画ならではの傑作になっていたと思います。


 いや~、どうしようもない不幸のオンパレードでしたが、ちゃんと救いも用意されているという、2011年の見納めに最もふさわしい作品でしたね。

 みなさんも、今年中に早く『ミツコ感覚』を観て、すっきりした新しい気分で新年を迎えましょう。

 君もあなたもアンタもボクも、いっしょにドン底を蹴って上がってこうぜぇ~! おっぺーい!!
コメント (2)
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