長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第28回 『第4次モーニング包囲網。 2001~AKB以前』

2011年07月05日 23時15分41秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 どうもこんばんは~、そうだいです。こっぺりお~ん。
 風があるのでさほど暑くは感じないんですけど、やっぱり基本的に体力を消耗する日々が続いておりますなぁ。水分と塩分はコンスタントに摂っていきましょう。

 またAKB48関連で新たな動きがありましたね。「新たな」っていうか、なんか恒例になるみたいですけど。


《AKB48またじゃんけん選抜! 9月に武道館》(日刊スポーツ.com 2011年7月4日の記事などより)

 AKB48が、今年12月に発売する24枚目のシングル曲を歌う選抜メンバーを、再びじゃんけんで選ぶことになった。
 前田敦子(19歳)VS 前田亜美(16歳)の「前田対決」や、大島優子(22歳)ら上位メンバーの早期敗退など、波乱が相次いだ昨年のじゃんけん大会。今年はよりスケールアップして帰ってくる。
 3日、東京・有明の東京ビッグサイトで開催された『Everyday、カチューシャ』握手会の最中に2年連続のじゃんけん大会実施がサプライズ発表された。イベントに参加していた前田敦子や大島ら中心メンバーは、急報に「えーっ。」と驚きの声をあげた。
 今年6月9日に行われた「選抜総選挙」同様、勝ち上がった上位メンバーは最新シングルを歌う選抜入りを果たし、1位はセンターの位置をゲットできるというサバイバル戦だ。人気に関係なく、じゃんけんの実力だけで選抜メンバーを決めるだけに下位メンバーにとっては絶好の下克上の機会となる。
 昨年9月に日本武道館で開かれたじゃんけん大会では内田真由美(17歳)が勝ち抜き、12月発売の『チャンスの順番』でセンターポジションを獲得。内田は第1回、第2回の総選挙ともに圏外のダークホースだったが一躍脚光を浴びた。
 今回も日本武道館で9月20日に行われ、AKB48メンバーと予備選を勝ち抜いた研究生3名のほか、姉妹グループのSKE48とNMB48からも予備選を勝ち抜いた5名ずつの計71名が参戦する。AKB48は、先日の選抜総選挙の結果を反映した22枚目のシングル『フライングゲット』を8月24日に発売し、10月には23枚目のシングルをリリースする予定。AKB史上最大規模のじゃんけん大会となるだけに、前回大会を超える名勝負が繰り広げられることは間違いなさそうだ。

 
 楽しそうでよろしおすなぁ。なるほど、無名のメンバーにチャンスを与えるという新奇さもいいんですけど、こういう形で加熱スケジュールにあえいでいる人気メンバーに休みをあげる方法もあるんですねぇ。さすがは秋元神先生。
 でも、そうやってセンターになったからといって、やはりファンの目や芸能界の荒波は思ったよりも甘くはないようで……内田さんももう一度圏外から這い上がれぃやァ!!
 ただ、なんかじゃんけんには「運」だけじゃなく「技術」もあるようで。私、むかし『笑っていいとも』で、少なくとも放送中には100%の確率でじゃんけんに勝ち続けていたバーのママが出てたのを見ましたよ。あれは相手の視線なのか手の動き方なのか。何回かやってみて相手それぞれの習性をおぼえるんじゃなくて、初戦から勝っていくんだぜ!? 不思議だなぁ~。いいともレギュラー全員もスタジオも「ええ~!!」と大騒ぎしている中で、ひとり「ほほほ……」と静かに笑っていた美人ママのほほえみが恐かった恐かった。


 さぁさぁ、今日もまた新世紀「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の続きに入っていきたいのですが、今回はいよいよAKB48が登場してくるあたり、それ以前にちょっと早く登場した他のアイドルグループのみなさんをざざーっとならべていきたいと思います。

 いやー、今回のモーニング娘。包囲網はすごいですよ……なんてったって、脈絡がまったくと言っていいほどありません。日本のアーティストじゃない方々もいるし。しかもほっとんどが哀しい結果に……
 もうズバズバいっちゃおう! 2000年代前半のハロプロ以外のアイドルグループのごった煮、なつかしさのラタトゥイユをめっしあっがれ~いっと。


ZONE(ゾーン 1997年12年~2005年4月)4人組ガールズバンド
 9~12歳(1997年の結成時)
 メンバー全員が北海道札幌市出身で、もともとは8人組の小学生ヴォーカルダンスグループだった
 ※同じ「北海道出身のガールズバンド」ということで、2000年に『夏祭り』でブレイクしたwhiteberryとよく比較される
 1999年12月のインディーズデビューから4人体制となる
 2001年8月にリリースした3rdシングル『secret base 君がくれたもの』から、全員ヴォーカル兼任のガールズバンド体制に転身する
 その『secret base』が大ヒットして全国的知名度をえる(オリコンチャート最高2位)
 ※『secret base』はラブソングではなく、小学生男子どうしの友情をえがいた名曲
 2005年4月1日の東京・日本武道館コンサートをもって解散する
 解散後にリリースされたベストアルバム『E』が自身唯一のオリコン1位を記録する
 現在はギターの長瀬実夕、ベースの舞衣子、キーボードの西村朝香が音楽活動を継続している
 2011年8月に1ヶ月間限定で再結成する予定(長瀬・舞衣子・西村の3名で)

推定少女(2001年8月~06年年7月)デュオ
 どちらも14歳 リノとリサ
 ミニスカ制服がユニフォームで、パンチラが武器
 9枚のシングルと2枚のアルバムをリリースするがヒットせず

BOYSTYLE(ボーイスタイル 2001年4月~07年7月)4人組
 全員14歳 村川絵梨(14歳)ら
 村川以外のメンバー3人は沖縄アクターズスクール大阪校の生徒だった
 ※村川のみ大阪のヴォーカル&ダンス学校「キャレス」の出身
 主に大阪を拠点に活動
 グループ名が「BOYSTYLE」に決定して音楽活動を開始したのは2002年から
 同じ事務所だったPerfumeやBUZY(2002~06年)とも一緒に活動していた
 8枚のシングルと1枚のアルバムをリリースするがヒットせず
 2005年7月にメンバーの1人が脱退し、村川が2005年下半期のNHK朝ドラ『風のハルカ』の主役に抜擢されたため、事実上の活動停止状態となる
 そのまま個々のソロ活動が進み、2007年7月に正式に解散が発表される
 現在は村川絵梨、田野アサミ、上原香代子の3名が女優・タレントとして活動している

t.A.T.u(タトゥー 1999~2011年)ロシアのポップデュオ
 正確にはプロデューサー・作曲家・作詞家・マネージャーを含めてのグループ名が「t.A.T.u」
 色白のほうがリェーナ(初来日時19歳)で、色黒のほうがユーリャ(初来日時18歳)
 リェーナとユーリャはもともと同じ児童合唱団に所属していた
 最初はリェーナのみのソロプロジェクトだったが、2000年にユーリャが加入してデュオとなる
 プロデューサーのイワン=シャポヴァロフが発案した同性愛をにおわせるような演出で大ヒットするが、本人たちはイヤだった
 2002年にヨーロッパ各国やアメリカでも大ブレイクし、翌03年に日本で人気沸騰となる
 日本では2003年3月に発売されたデビューアルバム『t.A.T.u』が売り上げ200万枚の大ヒットとなる
 ※日本のオリコンチャートで、海外アーティストのデビューアルバムがランキング初登場1位を獲得したのはタトゥーのみ
 熱狂的な人気のなか2003年6月に初来日を果たすが、音楽番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日)への出演ドタキャン騒動が物議をかもす
 ※この来日時には2人はすでに同性愛路線を放棄しており、ユーリャはノドの不調を訴えて満足な歌唱ができない状態にあった
 話題づくりのためには出演拒否も辞さないイワンのあこぎな商法があだとなり、日本でのブームは2003年内に急速に沈静化する
 2004年にプロデューサーのイワンを解雇し、以降は堅実な歌手活動に徹する
 2011年に解散

女子十二楽坊(2001年6月~)13~20名
 中国の女性古楽器演奏グループ
 中国国内の古楽器(二胡・琵琶・揚琴など)演奏の第一人者たちで結成
 楽曲は主に中国伝統音楽や西洋クラシック、日本のポップスなどのカヴァー
 グループ名の「十二」というのは縁起の良さからつけた数字であり、実際のメンバー数はもっと多い
 2002年に中国国内でブレイクし、翌03年に日本に進出する
 2003年7月にリリースされた日本版1stオリジナルアルバム『女子十二楽坊 Beautiful Energy』が売り上げ200万枚の大ヒットとなる
 ※アルバム『女子十二楽坊』は、日本で初めて「特典DVDつきCD」というセールス法を成功させた
 2004年には日本で武道館コンサートや全国ツアーを成功させ、2ndオリジナルアルバム『輝煌 Shining Energy』も大ヒットする
 2005年にはアメリカにも進出し、アジア人アーティストとして最大のヒットを記録
 現在はメンバーの交替をへて中国国内を中心に活動している

Springs(スプリングス 2002年10月~03年9月)3人組
 伊藤彩華(15歳)・平野綾(15歳)・吉田有希(13歳)
 3人とも子役出身であり、伊藤はミュージカル、平野はTVCM、吉田はTVドラマで活躍していた
 フジテレビの深夜番組内オーディションで結成され、『深夜戦隊ガリンペロ』(毎週土曜深夜2時から・2002年10月~03年3月放送)のエンディング曲を担当する
 ※『深夜戦隊ガリンペロ』はかつての『オールナイトフジ』と同じ土曜深夜の生放送番組だったが、内容は特撮作品でブレイクしたイケメン俳優を司会に起用した女性向けのものだった
 結成当初のグループ名は「ユニット名未定」だったが、2003年2月の放送中にさまぁ~ずが命名した
 楽曲は洋邦ポップスのカヴァーが中心
 4枚のシングルと1枚のアルバムをリリースするが話題にならず自然消滅
 現在、伊藤と吉田は歌手として活動しており、平野は言うまでもなく2006年から声優として大ブレイク中

SweetS(スイーツ 2003年8月~06年6月)5人組
 12~13歳 瀧本美織(12歳)ら
 全員が平成うまれのヴォーカルダンスユニット
 エイベックスのオーディション合格者により結成
 2003年4~9月に放送されたテレビ東京のドキュメントバラエティ番組『プラチナチケット』(毎週日曜夜10時から)の企画で、もう2人を追加加入させてからCDデビューする予定だったのだが、番組の人気不振からの企画打ち切りにより5人のままでデビュー
 11枚のシングルと3枚のオリジナルアルバム(ミニを含む)をリリースするがヒットせず
 メンバーの学業専念などの理由により2006年6月のラストシングルのリリースをもって解散
 現在は元リーダーの柏木亜季子がダンサー、吉村綾花が歌手、瀧本美織が女優として活動している
 瀧本は2010年下半期のNHK朝ドラ『てっぱん』の主役に抜擢される

Negicco(ねぎっこ 2003年7月~)3~4人組
 12~15歳 Nao☆(15歳)、Megu(14歳)、Kaede(12歳)
 新潟のローカルアイドル(ロコドル)グループ
 新潟県産の長ねぎ「やわ肌ねぎ」のPRキャンペーンのために4人組で結成
 「やわ肌ねぎキャンペーン」終了後もグループの活動は地元新潟を拠点に継続
 2004年9月に放送されたNHKの音楽番組『ポップジャム』に出演して全国的な知名度を得る
 2008年5月からは3人組となる
 2010年12月に開催された「U.M.Uアワード2010 全国アイドルお取り寄せ展」のグランプリに輝く
 ※「U.M.U」とは「Under Major Unit idol」の略(要するにマイナーなアイドルグループのこと)
 8枚のシングルと1枚のミニアルバムをリリースしている
 2011年7月(今月)には、タワーレコードのアイドル専門レーベル「T-Palette Records」から待望の2ndミニアルバム『GET IT ON!』をリリースして本格的な全国進出を狙う

美少女クラブ21(2003年8月~06年12月)21人組
 12~19歳 原幹恵(16歳)、森田彩華(15歳) ら
 オスカープロモーションの「第8~10回 全日本国民的美少女コンテスト」入賞者によって結成
 2004年10月には福田沙紀(14歳)ら10名が追加加入して「美少女クラブ31」に改称する
 2003年10月~06年9月に放送されたテレビ東京のバラエティ番組『GIRLS A GOGO!』(毎週土曜夕方4時半から)を中心に活動していた
 2枚のシングルをリリースするがヒットせず
 「森田クラブ」、「D.D.D」、「ティーンエイジクラブ」など6つのグループ内ユニットも活動していたがさほど話題にならず
 2006年いっぱいの活動をもって自然消滅

PARADISE GO!!GO!!(2004年8月~06年8月)7人組
 13~18歳 松本美咲(13歳)ら
 関西出身のメンバーによるヴォーカルダンスグループ
 全員が大阪のヴォーカル&ダンス学校「キャレス」の出身(ボーイスタイルの村川絵梨の出身校)
 2004年に東京進出を果たし8月にエイベックス所属でCDデビューする前から、「9SOULS」というグループ名で大阪を拠点に活動していた
 6枚のシングルと1枚のアルバムをリリースするがヒットせず
 2006年8月のライヴDVD発売記念イベントへの出演以降は活動が一切なくなり自然消滅
 現在は松本美咲と藤田ハルカのみが歌手として活動している

80_pan(ハレパン 2004年4月~09年6月)2~3人組
 小笠原朋美(19歳 ヴォーカル担当)と奥菜真子(19歳 ラップ担当)が一貫して所属
 京都を拠点に活動していたが、2005年8月のCDデビューから全国進出する
 グループ名は結成当初は「ハレンチ☆パンチ」だったが、2007年3月から「80★pan!」、さらに08年4月からは「80_pan」に改称される
 ギター担当の大空さや(16歳 2005年5月~07年10月在籍)が珍しいメガネキャラだった
 「ハレンチ☆パンチ」時代は正統派アイドル路線、「80★pan!」時代はガールズバンド路線、「80_pan」時代はニューレイヴロック路線をとっていた
 5枚のシングルと3枚のオリジナルアルバムをリリースするが、方向性の迷走によりヒットせず
 2009年6月に解散

AAA(トリプルエー 2005年4月~)男5名と女2~3名の男女混合グループ
 17~23歳 宇野実彩子(19歳)、伊藤千晃(18歳) ら
 エイベックスの各種オーディション合格者で結成されたヴォーカルダンスグループ
 エイベックスの創業者・MAX松浦こと松浦勝人の総合プロデュース
 メインヴォーカルは宇野と男子2人の3人体制
 グループ名の「AAA」は、「Attack All Around(全方位攻撃)」の略
 ライヴでは歌とダンスの他にアクロバットや演劇も上演する
 2005年4月にメンバー7人で結成され、6月に伊藤千晃(18歳)が加入したことにより8人編成となる
 グループとしての歌手活動と並行して、メンバーそれぞれも俳優として積極的に活動している
 2007年6月の後藤友香里(19歳)の体調不良からの脱退により、7人体制になって現在にいたる
 2005年5月のCDデビュー時からオリコン上位の常連だったが、2008年1月の17thシングル『MIRAGE』で初めて1位を獲得する
 2010年5月にリリースされた24thシングル『逢いたい理由』からは小室哲哉が楽曲をプロデュース
 脱退した後藤は現在はタレントとして活動


 いや~、ほんとに脈絡がありません。
 現在も現役バリバリで活動しているグループももちろんあるんですが、全体的な印象は……「死屍累々」? 「国やぶれて山河あり」?
 トリプルエーは女性アイドルグループではないのですが、エイベックス関連で小室さんのプロデュースを受けているところから見ても、かつてのtrfをほうふつとさせるものがあったので取り上げておきました。
 でも今回調べてみてびっくりしたんですけど、トリプルエーのみなさんも実はそう若くはないのね。いや、20代ですけど。

 なつかしいのは2003年のタトゥーと女子十二楽坊ですよね! アイドルじゃないけど。
 残念ながら、小学校の教室で、
「おまえ、リェーナとユーリャのどっちが好き!?」
 とか、
「おれは揚琴のホイちゃんもいいけど、つきあうなら独弦琴のシャオイェンだなぁ。」
 という会話はなかったと思うのですが、2010年代の韓流アイドルグループブームの予兆となる部分もあったような気がしたのでピックアップしてみました。考えすぎ?

 村川さんや瀧本さん、それに平野さんと、のちに個人でブレイクした方はいらっしゃるのですが、アイドルグループとしてはもう惨憺たる状況のものがほとんどでしたね。
 美少女21(31)は「大人数」に「グループ内ユニット」に「夕方のレギュラー番組」と、なんか前にも何回か聞いたことのある条件がそろっていたのですが、驚くほどパッとしませんでした。全員かわいくても、やっぱりメンバーのグループにかけるやる気みたいなものがなければいけないんでしょうね。アツさは大事だ!
 推定少女は海外ではやっていた頃のタトゥーから着想を得たんでしょうか。ニューレイヴ路線のハレパンは、やっぱり同時期に念願のブレイクを果たしたパフュームのテクノ路線に影響されてのことだったのかしら。でも、結果はどちらも対照的なものになりました……
 結論としては、やはりハロプロ勢に太刀打ちできた勢力はまったくなかった、ということで。

 私としましては、現在進行形で今年これから大きな動きがあるというゾーンとねぎっこに注目していきたいですなぁ。


 ってなわけで、次回はまたモーニング娘。の悠久の歴史にもどりま~っす。
 ハバナイスデ~イ。
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第27回 『モーニング黄金期。 2001~02 雑想編』

2011年07月03日 22時10分47秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 どうもこんばんは~。そうだいですだすまんねん。
 いやぁ、今日は私、日曜日にふさわしいまる一日の休みだったんですけどねぇ。

 イエ~イ、なんにも遊ぶ気がしねぇぜ~い。ずっと家でのべ~んとしてたぜぇ。

 やっぱり、基本的に蒸し暑いっていうのは、体力を知らず知らずのうちに消耗してるんでしょうかねぇ? なんかダルいんだよなぁ。ま、休みだから休みますけど。
 なんだかわかんないですけど、最近いきなり「かわきもの」にハマってしまっているのも塩分不足のためなのか!? 酒なんか一滴も飲まないのに、やたらと肴はあぶったイカでいいモードなんですよ。
 どうでもいいんですけどスーパーをうろついてて知ったんですが、近ごろの「よっちゃんイカ」って、なにあれ、白いの? 赤く着色されてなくて真っ白のまんまの「よっちゃんイカ しろ」っていうのがあんのね。
 着色料を使ってないっていうのはいいことなのかもしれませんけど、なんかよっちゃんイカが白いっていうのは、私個人はちょっとピンとこないなぁ。あれはやっぱり赤くないと。みなさんも、シン=マツナガ専用とシャア=アズナブル専用がならんでたら、どっちかっつうとシャア専用の「うすい朱色」のほうがいいですよね? そうそう、よっちゃんイカの「赤」って、まさにシャアの「赤」で、ジョニー=ライデンの赤じゃないのよねぇ。あっ、「三杯酢」使用だし。うわ~、もう誰かとっくの昔に気づいてそう!
 さらにどうでもいいんですけど、よっちゃんイカを世に出している大企業「よっちゃん食品工業」って、山梨県の中央市にあるんですね。海辺じゃねぇんだ……

 ところで、山梨県の「中央市」って……ねぇ。

 別に悪く言うつもりはないですけど、そんなにセンターにこだわんなくてもいいんじゃないですか?
 「集英高校」とか「講談組」じゃないんですからね。もうちょっと、他のアピールポイントを押してもよかったのでは? 完全無欠の余計なお世話でした。


 さてさて、今日も今日とて「ざっくりすぎるアイドルグループ史」でございます。今回は、前回にズラズラッとならべたモーニング娘。まわりの2001~02年に起きたいろんな出来事についてのざっくりした考察をば。

 1999年のごっちん加入と『LOVEマシーン』以来、じょじょにその体質を変容させていき、2000年の辻ちゃん加護ちゃんら個性のやたら強い第4期メンバー4名の加入と出す曲出す曲の大ヒットによって「ひとり勝ち時代」を築きあげたモーニング娘。だったのですが、それに続く2001年もまた、その勢いを衰えさせることなく進めつつも、さらなる変革を求めていくアグレッシヴな年となりました。

 2001年に起きたことで忘れてならないのは、まずはなんと言っても結成メンバーの中核にして栄光の前期をささえた初代リーダー中澤裕子(27歳)の卒業と第5期メンバー4名の加入ですね。
 中澤さんの偉業のほどは、モーニング娘。という存在の隅から隅までにその影響を与えているその「まとめっぷり」が第一に挙げられるかと思います。年齢が自分の半分くらいしかない子といっしょに仕事をするって、これ以上のプロ修行があるでしょうか。おたがいにとってね。
 モーニング娘。史上初のソロ活動を担当したのも中澤さんだったのですが、ソロ1st『カラスの女房』を聴いてみてもわかるとおり、その歌声は思いのほか正統派で繊細。それこそごっちん加入前の「コーラス重視」のモーニング娘。に最適な人材ではあったのですが、その後のモーニング娘。独自の「ディスコ・ザ・つんく♂」の繰り広げるハチャメチャ路線の中では影が薄くなりがちなところもありました。ダンスもなかなかしんどそうだったし。
 そんな中でついに発表されたリーダーの勇退だったのですが、今回の卒業は、以前に卒業した誰よりも「卒業っぽくなく、かつ卒業らしい」卒業だったのです。なにこの日本語。

 中澤さんは4月に卒業した後ただちに、今度はモーニング娘。を含めた「ハロー!プロジェクト」全体の初代リーダーに就任しており(ハロプロ初代サブリーダーは元・太陽とシスコムーンの稲葉貴子)、以前にモーニング娘。を卒業した3名とちがってモーニング娘。とはその後もさまざまな番組やイベントで共演することがしょっちゅうでした。このブログを読んでいるみなさんの中には、あるいは現役時代よりもこの卒業後の「司会の中澤さん」のほうが記憶に色濃いという方も多いのかもしれません。
 つまり、中澤さんの卒業は他のメンバーにとっても多くのファンにとっても、それまでにあったような別れの哀しみや実感は比較的わかない「卒業っぽくない」ものだったのですが、それだけに「脱退じゃなくて、卒業。」というハロプロオリジナルの解釈をはじめて強く物語るものとなったのです。

 それまでのメンバーの卒業は、そのまま(一時的にせよ)その人の芸能活動の停止を意味しており、その点では「脱退」と言い換えてもなんの問題もないもので、実際に「卒業」と「脱退」のどちらを使ってもいいような状況が続いていたのですが、中澤さんのハロプロ内での活動継続という選択によって、「モーニング娘。の卒業」は普通のニュアンスでいう「脱退」とはまったく色合いの異なるものとなったのです。ここにまず、モーニング娘。独自の、他のアイドルグループにはまったく見られなかった「卒業システム」が誕生しました。前提としてここに必要なのは、卒業したメンバーの新たな活躍の場となる「ハロー!プロジェクト」というもうひとまわり大きな場ですね。スケールがでかいなぁ!

 そして、2001年には「卒業」と同時にモーニング娘。にとってもうひとつ重要なシステムが転機を迎えました。出るものがあったら入るものもなくてはならない。「追加加入」システムですね。
 こちらは、オーディションの結果が発表される番組が古巣の『ASAYAN』でなくモーニング娘。メインの特別番組やレギュラー番組になったという変化はありましたが、一般公募するというシステム自体は1998年の『(第1回)追加メンバーオーディション』からほぼ変わっていません。
 私が言いたい、追加加入にかんする2001年の変化というのはむしろ外側から見たアピールの仕方の点でして、この年に加入した「福井の革命児」こと高橋愛をふくめた4名のメンバーから、積極的に「第~期」という呼称が頻繁に使われるようになったことです。
 たとえば、この時期のモーニング娘。はメンバー全員の写真集を順ぐりに出版していく「第1次モーニング娘。ソロ写真集シリーズ」(ワニブックス社)というプロジェクトを組んでおり、その最後に位置するものとして2002年の8月に出版された第5期メンバー全員がモデルとなった写真集のタイトルはまんま『5』です。

「『5』!? 4人しか写ってないのに『5』!? 俺に見えないもう1人がいるのか? ああ、撮ってるカメラマンもあわせて『5』ってことなのか。」

 という壮烈な勘違いをした人は……いませんよね。
 ま、とにかくこの時期からモーニング娘。の中で「第~期加入メンバー」という言葉が一般化していき、それが世間にも広まっていったわけなのですな。これはつまり、「モーニング娘。は定期的に新しいメンバーが加入していくアイドルグループなのね。」という認識が定着されていったということになります。

 「卒業」と「加入」があって当たり前のグループということはつまり、誰がメンバーになっても、あるいは誰がメンバーでなくなっても「モーニング娘。」という名前に影響はないということになります。これってつまりは……永遠。
 奇しくも、モーニング娘。はこの黄金期に当たる2001年の10月に男装歌劇をイメージした13thシングル『Mr.Moonlight 愛のビッグバンド』をリリースしており、そのつながりであの宝塚歌劇団との共演を果たしています。なるほど……モーニング娘。もゆくゆくはそっちらへんのエターニティをもった名前にしていきたい、という考えもあった上での、あのよっすぃ~の男装だったというのか。


 2001~02年のモーニング娘。は、楽曲でいうと初めてリリースした中澤リーダー時代を網羅したベストアルバム『ベスト!モーニング娘。1』で自身最高の226万枚の売り上げを記録しています。女性アイドルグループでは最高のアルバムセールスとなったSPEEDのベスト盤『MOMENT』には、惜しくもあと5万枚とどかなかった! ま、どっちにしろ今から見ると夢のような数字なんですけど。でも、楽曲アルバム全体での最高記録となった宇多田ヒカルさんの1stアルバムは860万枚だっていうんだぜ!? どんだけ~。

 中澤時代に一区切りをうったモーニング娘。は、ごっちん在籍時代に12~15thシングルをリリースし、2002年最後のシングルとなる10月リリースの16thシングル『ここにいるぜぇ!』では、ごっちんという強力なエースの去ったあともモー娘。健在なりというパワフルな12名の勇姿を見せてくれています。さすがにミリオンというわけにはいかなかったのですが、引き続きこの時代のモーニング娘。も、「黄金期」と言ってさしつかえのない楽曲世界を展開していました。
 とにかく「10名以上いる」という声のぶあつさに、モーニング娘。ならではのアイドルグループらしからぬ迫力があっていいのですが、個性のガッチリついてきた1~4期の面々がほんとにバラエティ豊かで楽しいです。さすがに第5期はまだ見習い中といったところなのですが、高橋さんをはじめとして基礎はしっかりしています。
 ただ、だんだんとつんく♂ワールドが複雑になっていく傾向に入り、単純で口ずさみやすかった中澤時代にくらべておぼえにくい作品が続いた、ということはあったかしら。もちろんテンションの上がるダンスチューンもしっとり唄うバラードも変わらずツボをおさえてはいるのですが、まさに「集団戦法」といった感じで、悪く言うと「曲も歌い手もみんなが目立ちすぎてかえってみんなの印象がなくなる」という飽和状態に入っていたかと。歌ってむずかしいですね~!

 実際にごっちん最後のモーニング娘。時代の楽曲となるヒップホップを導入した15th『Do it Now!』では久しぶりにオリコン順位トップをのがしているのですが(次作『ここにいるぜぇ!』では再びトップに返り咲いている)、こういったことがあると「かれこれ3~4年続いたモーニング娘。の天下も、そろそろ……?」という空気が流れてしまうものです。

 しかし、ここで機能してくるのが、モーニング娘。ならではのバックアップシステム「ハロー!プロジェクト」なんですねぇ!
 要するに、モーニング娘。以外のハロプロ内アーティストを伸ばすことによって、それとの競合でモーニング娘。の人気とクオリティを維持し、最終的にはハロプロ全体のレベルを上げていくというシステムですね。
 こう言うと、大ブレイクしたアイドルグループの「妹分」アーティストをいっしょに売り出すというそれまでの他の芸能事務所のやり方といっしょですし、実のところ2000年までの時点でのハロプロも、モーニング娘。だけへの人気の一極集中におちいっている状態になっていたのです。

 ところが、2001年に歌手デビューしたあるハロプロ所属のソロアイドルのブレイクによって、状況は一変します。運命の神はハロプロにほほえんだ!

 はい~、言うまでもなく、あやや!! 松浦亜弥さんの登場でございますなぁ。

 前年2000年に開催された「第4回モーニング娘。&平家みちよ妹分オーディション」に優勝した松浦さんは約半年の準備期間をおいて2001年4月に1stシングル『ドッキドキ!LOVEメール』でデビューするのですが、携帯電話のメールのやりとりにおける恋愛の多幸感+ちょっぴり不安を見事に堂々と唄いきったその姿は実に鮮烈で、モーニング娘。の狂騒ともとれるにぎやかさについていけなかった人にもやさしいその単純明快さは大いにウケました。同じつんく♂さんのプロデュースなんですが、あややのほうが日常生活の描写でつづる歌詞が多くてわかりやすいのね。この時期のモーニング娘。は「愛」とか「平和」とか、ちょっと話がでかすぎかと。
 松浦さんのブレイク時期はだいたい2005年まで続くのですが、10代とは思えない肝の据わったパフォーマンスと歌唱力はまさに「THE アイドル」といった感じで、モーニング娘。以外としてはハロプロ初のビッグアーティストの登場となりました。

 でも、今回調べてみて気づいたんですけど、松浦さんって、シングルもアルバムもすべてあわせて、オリコンチャートで1位を獲得した経験がないのね(2011年6月時点)……心の底から意外でした。
 それでも、私は松浦さんにたいする「ソロとしては今のところ日本最後の国民的アイドル歌手」というイメージがものすごく強力にあるんですよね。
 「スターは記録じゃない」ってことなんですねぇ。ものまねもめちゃくちゃされてたし。主に男にだけど。

 このモーニング娘。との両輪体制となった「ハロプロソロアイドル路線」はあやや以降も続いていき、あややデビューの翌2002年には「スケートをしないほうのミキティ」こと藤本美貴も歌手デビューしているのですが、こののちミキティはあややよりももっと直接的な方法でモーニング娘。にかかわっていくこととなります。その手があったか。


 まぁこんなわけでして、いかに永久機関を目指すといえどもモーニング娘。の人気だけではそのシステムの生命線となる「追加加入オーディション」の求心力を維持することには不安があり、そのためにはあややのようにハロプロをささえてくれる第2第3の人気アーティストが不可欠だったわけなのです。

 そう考えてみると、この2001~02年から本格的に始まった「辻ちゃん加護ちゃん」のかわいい路線や子供向けレギュラー番組『ティンティンTOWN!』の開始など、一見「幼稚になった」ともとられたモーニング娘。の小学生向け戦略も、実はのちのちハロプロの直接の戦力になってくれるアイドルの卵を育てるという、十二分に重要な意義のある仕事だったわけだったのですな。
 実際にさっそく2001年に加入した第5期メンバーは13~15歳という低年齢でしたし、おかげで第5期の4名が加入した時期のモーニング娘。は平均年齢15歳という状況になりました。
 また、2002年6月に結成された小学生グループ「ハロー!プロジェクト・キッズ」も、ハロプロ研修生といった役割でのちに「Berryz工房」や「℃-ute」というアイドルグループに成長していますし、このころのハロプロは常に将来の展開までを視野に入れた活動をおこなっていたと見ていいでしょう。

 そして、その流れの一環として起こったのが2002年の7月末日に発表された「第1次ハローマゲドン」(これは通称で、発表したアップフロントエージェンシー自身がそう呼んでいたわけではない)だったわけなのですが、エースごっちんとサブリーダー保田の卒業にまだまだ活躍できる余地のあったタンポポやプッチモニの大幅な人員整理と、これはずいぶんと唐突で強引な改革であるように見えました。
 だいたいはごっちんのソロ活動だったりタンポポやプッチモニにココナッツ娘。やメロン記念日のメンバーが加入するという、いわば2000年から始めて好評を博しているシャッフルユニット企画のような、モーニング娘。の大人気をハロプロ全体に分散させる戦略の拡大版だったわけなのですが(「チャーミー」こと石川さんのカントリー娘。テコ入れ作戦もまさにそう)、結局はごっちんの卒業後最初の本格的な活動が「ごまっとう」だったためにソロ歌手としてのインパクトが欠けてしまったり、保田さんの主な卒業理由が扁桃炎の悪化だったことを公表しなかったために無用な憶測を呼んでしまったりして、どうにもよくない印象の残る改革となってしまいました。
 あと、それぞれ第3期メンバーに改編されたタンポポとプッチモニが以前ほど目立った活動をせずに自然消滅に向かっていったのも、なんとなくそれまでのモーニング娘。やハロプロの流れにいったんのピリオドをうつものとなったことは間違いありません。
 平家さんも、ひっそりとハロプロを去っていきましたしね……いろいろと大変だったろうのう。


 こんなわけで、依然として続くモーニング娘。の黄金期にのって、ハロプロ全体の世代交代と「モーニング娘。」というアイドルグループの永久機関化をくわだてるアップフロントエージェンシー。
 このあとはいったいどんな変革の路をたどっていくのでありましょうか? 以下次回!

 あやや、カムバ~ック。
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第26回 『モーニング黄金期。 2001~02 資料編』

2011年07月02日 23時39分32秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 はいどうも~、そうだいです。始まりましたね、7月が! でも、2日目の今日、私の町はなんだか涼しいです。ほっとひと息って感じでありがたいですねぇ。

 ぜんぜんくわしいことは知らないんですけど、ケータイのニュースをながめてたら、なんか山形のだんご屋で食中毒が発生したとか? 80名くらいの人が倒れて亡くなる方も出てしまう大事件になったようです。
 だんご屋ですか……そんなに悪くなるものもなさそうなのにねぇ。そういえば、この前に会った友だちも、レバ刺しが食べられないってなげいてたな。
 今年の夏はなにかと気をつけないとね。特に私、実は食中毒にあたった経験がないので、ついつい調子に乗って自分の胃腸に根拠のない自信を持っているところがあるから。
 「これは大丈夫だろ~。」とか言ってヤバイのをぱくっといってころっといく、なんていうことにならないようにしなければ。もう若くもないんだしネ!


 よっしゃ、したらさっそく、今月も勇気をもって雄々しく邁進してまいりましょうか、「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の続きを!!
 終わりは見えてきたぞ~。なんてったってもう21世紀なんですから。ゴールまであと10年だいっ。

 1970年代の草創期から連綿と日本の芸能史をささえ続け、その時代その時代の若者たちの夢をはぐくみ続けてきた「アイドル」。その中でも、ソロでは容易につくりえない、観る人々に現実を忘れさせるようなめくるめくあま~い空想パノラマを展開させることに特に有効だった集団戦法の「アイドルグループ」。
 キャンディーズ、ピンク・レディー、おニャン子クラブ……それぞれの時代の需要にあわせたそれぞれのアイドルグループが歴史に残る活躍をみせ、アイドルというものの意義や世間の見方の変化によってグループのレベルや業界全体のスケールもさまざまな浮き沈みをみせることとなりました。
 そして、「アイドルっぽい=ダサい、かっこわるい」というイメージが定着しつつあった1990年代末期にブレイクし、アイドルの復活を高らかに宣言したモーニング娘。の単独首位によって、アイドルグループ史の20世紀は幕を閉じることとなりました。

 んで。当然のように次なる21世紀の始まりはそのまんまモーニング娘。の天下の状態でスタートするわけなんですな。

 前回までもつらつらとつづってきたように、一般的な知名度、わかりやすいところでいうと「楽曲CDのオリコンチャート順位」という点では、はっきり言ってモーニング娘。をおびやかすことのできる女性アイドルグループはまったくいない、という状況が続いていました。
 ちなみに、当時の音楽業界ではディーヴァブームいらい絶大な人気を得るようになっていた宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、椎名林檎といった面々が、アイドルではないもののアイドル的な注目を集めており、いっぽう、歌手でない女優というジャンルでは深田恭子や上戸彩といったピッチピチな方々が脚光を浴びていたのです。

 そんなわけで、2001年以降もモーニング娘。のひとり勝ち状態は依然として続いていたのですが、翌2002年の夏に事態は意外な急展開を見せることとなりました。
 そのへんもからめまして、今回は2001~02年のモーニング娘。まわりの出来事をあつかってみることにいたしましょう。

 じゃあまず、年表にしてみましょっか。


モーニング娘。円熟の2001~02年
2001年
1月
・モーニング娘。初のベストアルバム『ベスト!モーニング娘。1』がリリースされ、自身最高の売り上げ枚数226万枚(オリコン調べ)を記録する
 ※女性アイドルグループ史上最高の売り上げ枚数を記録した楽曲アルバムは、SPEEDのベストアルバム『MOMENT』(1998年12月)の231万枚(オリコン調べ)
・昨年に結成されたモーニング娘。第3のグループ内ユニット・ミニモニ。のデビューシングル『ミニモニ。ジャンケンぴょん!』がリリースされオリコン1位を獲得する
・安倍なつみ(20歳)が日本テレビのドラマ『向井荒太の動物日記 愛犬ロシナンテの災難』に出演する
 ※以降、2001年は飯田佳織・加護亜依・後藤真希がテレビドラマに出演している
・モーニング娘。の『うたばん』や『めちゃ×2イケてるッ!』への出演回数が激増し全国的知名度があがる

3月
・後藤真希(16歳)が『愛のバカやろう』でソロデビューしオリコン1位を獲得する
 ※ハロー!プロジェクト陣営では唯一、ソロ名義でオリコン1位を獲得したシングル
 ※モーニング娘。のメンバーのソロデビューは1998年8月の中澤裕子の演歌『カラスの女房』が初
 ※ごっちんはモーニング娘。在籍中に4枚のシングルをリリースしている(アルバムリリースは卒業後)
・モーニング娘。の初代リーダー中澤裕子(27歳)が翌4月での卒業を宣言する

4月
・モーニング娘。初のゴールデンタイム看板番組『モー。たいへんでした』(日本テレビ毎週木曜夜7時から)が放送開始される(翌2002年3月に終了)
 ※多忙のためメンバーがあまり番組に出演できず人気低迷
・石川梨華(16歳)がカントリー娘。(当時はメンバー2名)のメジャーデビューシングル『初めてのハッピーバースディ!』に参加しオリコン4位のヒット
 ※その後、石川は2003年までカントリー娘。の活動に参加する
・15日のライヴをもって中澤裕子がモーニング娘。を卒業し、飯田佳織(20歳)が2代目リーダー、保田圭(21歳)が初代サブリーダーとなる
・前年6月の「モーニング娘。&平家みちよ妹分オーディション」で優勝した松浦亜弥(15歳)が『ドッキドキ!LOVEメール』で歌手デビューしブレイクする
 ※松浦はすでに前年10月のテレビドラマ出演で芸能界デビューはしていた

6月
・モーニング娘。の第5期メンバーを募集する「LOVEオーディション2001」の告知が開始される

7月
・モーニング娘。21世紀初の12thシングル『ザ☆ピ~ス!』がリリースされオリコン1位を獲得
 ※第5期メンバー加入前の9名編成としては唯一のシングル
・夏恒例のハロー!プロジェクトシャッフルユニット企画が発表され、「三人祭」「7人祭」「10人祭」それぞれのシングルがリリースされる
 ※参加したのはモーニング娘。、カントリー娘。、ココナッツ娘。、メロン記念日、平家みちよ、松浦亜弥ら
 ※オリコン順位では三人祭(石川・加護・松浦)の『チュッ!夏(サマー)パ~ティ』が5位でトップとなる(7人祭が6位、10人祭が7位)

8月
・モーニング娘。が日本テレビ恒例の『24時間テレビ』の総合司会に抜擢される(翌2002年も続投)
・テレビ東京の特別番組で「LOVEオーディション2001」最終審査のもようが放送され、第5期追加メンバー4名が決定する
 高橋愛(15歳)、紺野あさ美(14歳)、小川麻琴(14歳)、新垣里沙(13歳)
 ※オーディション総参加者数は前回とほぼタイの約2万6000名で、里田まいやのちの美勇伝の2人、木下優樹菜もいた
 ※のちに第6期メンバーとなる田中れいなもいたが、規定年齢に満たない小学生だったことが発覚し涙をのんでいる
 ※第5期メンバー4名の加入により、この時期にモーニング娘。メンバーの平均年齢は、2011年6月までの時点で史上最年少の「15歳」となる

10月
・史上最多のメンバー13名体制となって初の13thシングル『Mr.Moonlight 愛のビッグバンド』がリリースされオリコン1位を獲得
・モーニング娘。の「第1次ソロ写真集シリーズ」(ワニマガジン社)が開始され、翌年までメンバー全員の写真集が連続刊行される
 ※モーニング娘。のメンバーで初めて写真集をリリースしたのは1999年12月刊『ナッチ』の安倍なつみ
・前年の「モーニング娘。第3回追加オーディション」で最終選考に残りハロプロ研修生となっていた藤本美貴(16歳)が、テレビドラマ出演で芸能界デビューする

2002年
2月
・モーニング娘。の14thシングル『そうだ!We're ALIVE』がリリースされオリコン1位を獲得する

3月
・藤本美貴(17歳)が『会えない長い日曜日』で歌手デビューする
・ハロプロ初の小学生ダンスグループ「ハロー!プロジェクト・キッズ」のオーディション告知が開始される
 ※おもな活動内容はハロプロアーティストのバックダンサーや自分たちのレッスン
・モーニング娘。生誕のいしずえとなったテレビ東京のオーディションバラエティ番組『ASAYAN』が放送終了となる
 ※モーニング娘。はすでに2000年ごろから活動の重心を『ハロー!モーニング。』などの自身の看板番組にうつしていた

4月
・日本テレビでモーニング娘。による子ども向け番組『ティンティンTOWN!』(毎週金曜夕方4時から)が放送開始される(2004年3月まで)

6月
・約2万8000名の応募者の中から合格した15名の小学生により「ハロー!プロジェクト・キッズ(以下ハロプロキッズ)」が結成される
 ※このハロプロキッズから、のちの「Berryz工房」と「℃-ute(キュート)」が生まれる

7月
・13名体制での最後のシングルとなる15th『Do it!Now』がリリースされ、オリコン最高3位を記録する
 ※ひさびさにオリコン首位をのがす
・夏恒例のハロー!プロジェクトシャッフルユニット企画が発表され、「ハッピー7」「セクシー8」「おどる11」それぞれのシングルがリリースされる
 ※参加アーティストはモーニング娘。、カントリー娘。、ココナッツ娘。、メロン記念日、平家みちよ、松浦亜弥、藤本美貴ら
 ※オリコン順位ではセクシー8(矢口・後藤・石川・吉澤・平家ら)の『幸せですか?』が2位でトップとなる(ハッピー7が3位、おどる11が4位)
・31日に、アップフロントエージェンシーからハロー!プロジェクト内の大幅なメンバー改編(俗に言う第1次ハローマゲドン)が発表される
 1、後藤真希と保田圭のモーニング娘。からの卒業
 2、モーニング娘。のグループ内ユニット「タンポポ」「プッチモニ」「ミニモニ。」のメンバー改編
 3、矢口真里をリーダーとしたハロプロキッズによるユニットの結成(翌年のZYXのこと)
 4、平家みちよのハロプロからの卒業
  など
 ※ごっちんの卒業は約2ヶ月後だったが、保田さんの卒業は翌2003年の5月という異例の「卒業宣言期間の長さ」(10ヶ月)となった
 ※ミニモニ。の具体的なメンバー改編は翌年のこととなる

8月
・後藤と保田が在籍していた時代のプッチモニのベストアルバム『ぜんぶ!プッチモニ』がリリースされオリコン1位を獲得する
 ※前月の「ハローマゲドン」により、吉澤・小川・アヤカ(ココナッツ娘。)による第3期プッチモニは発足していたが、この第3期の新曲はリリースされていない

9月
・横浜アリーナでのライヴと17歳の誕生日をもって、後藤真希がモーニング娘。から卒業する
・石川、紺野、新垣、柴田あゆみ(メロン記念日)による第3期タンポポ唯一のシングル『BE HAPPY 恋のやじろべえ』がリリースされる(オリコン最高5位)

10月
・ごっちん卒業後の12名体制での16thシングル『ここにいるぜぇ!』がリリースされ、オリコン1位を獲得
・モーニング娘。の第6期メンバーを募集する「LOVEオーディション2002」の告知が開始される(翌年1月に新メンバー決定)

11月
・ハロプロのソロ歌手である後藤・松浦・藤本による年内いっぱいの期間限定ユニット「ごまっとう」が結成され、シングル『SHALL WE LOVE?』がオリコン1位を獲得
 ※後藤真希のモーニング娘。卒業後初の歌手活動となる
 ※松浦と藤本は、このシングルではじめてオリコン1位を獲得した(ソロ名義ではどちらも首位になったことはない)
・平家みちよ(23歳)がハロー!プロジェクトから卒業する(歌手活動は継続)

12月
・ハロー!プロジェクト陣営が総出演した映画『仔犬ダンの物語』(監督・澤井信一郎)が全国上映される
 ※主演はハロプロキッズの嗣永桃子(10歳 のちのBerryz工房メンバー)で、子役が中心となった教育映画的な内容の作品だった
 ※同時上映は『ミニモニ。じゃムービー お菓子な大冒険!』


 ギャ~!!
 2年ぶんをまとめようとしたらとんでもない情報量になっちゃった。
 でも、モーニング娘。の歴史をかんがみますと、2001年と2002年の彼女たちをブツ切りにして別々に考えるわけにはいかんのですなぁ。
 ということで、今回はもう充分すぎるほどの分量に達してしまいましたので、まずは年表を提示するだけにとどめておきまして、具体的なもろもろは次回に考えてみることにいたしましょう。

 いろいろありますが、ポイントは「モーニング娘。単体からハロー!プロジェクト全体への拡大・拡散」といったあたりでしょうか。
 そんなんで、ひとつ!


 あ~……やっぱ今月も大変だわ。
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2011年6月度版 そうだい短期観測調査(そうだい短観)、もへったくれも……

2011年07月01日 13時55分32秒 | 日記
 どぉーおもこんにちは! そうだいです。

 いやーついに始まってしまいました、7月がね。梅雨あけてないのにあっちーですあっちーです。夕方に近づくにつれて少しずつくもりがちになってきてますけど。
 今月どんなことになっちゃいますかねぇ。こわいね~。うちの昭和扇風機が天寿をまっとうしてしまったら、私はHA☆ME☆TU。サンヨー万歳!!

 それじゃあね、今回もいさぎよくきたるべきHOT SUMMERにおもむいて行けるように、6月をチャチャッと整理しておきましょうかね。

 2011年6月の『長岡京エイリアン』全18回。ラインナップは以下のようになりました。


アイドルについて
 「ざっくりすぎるアイドルグループ史」(12+AKB総選挙回)
体験記
 桜木町恨道中2011狂風&『さや侍』・「アイドルグループ史」はやっぱりつかれる・1人カラオケ
マンガについて
 アメコミのバットマン5作


 こんな感じですか。
 
 今月もシンプル……

 やっちゃいましたね、今月も。しかもまだ終わってないというね。1ヶ月かけて10回やって進んだのが10年分ですか。なんか公務員みたいにかっちりしたすすみかたですね。
 まぁ……今月もブログじゃない内容と文章量になりましたね!
 8回で終わった「ざっくりすぎるアイドルヌード史」の続編が25回やって終わってないとは。なんというアンバランスゾ~ン。
 でも、もうちょっとなんですよ、たぶん! のこり10年分くらいなんですから。AKB48はほら、もうすぐそこに。イヤッホ~!

 でもねぇ~、アイドルのことしか考えてない日々が前準備からあわせてかれこれ数ヶ月続いてるわけなんですが、これが終わったら私、どっちになってますかねぇ、アイドルがますます好きになってるのか、アイドルの「ア」の字も見たくなくなってるのか。楽しみですね~。

 さぁさぁ、もうAKBまでいっちゃおうやっちゃおう! 早く追いつかないと向こうも進んでっちゃうんですから。もうすぐ新曲もでちゃうんでしょ? 早くすませてプールいこ、プール。

 「桜木町ハイキング」はどんどん楽しくなってますね~。そしてどんどん気温も上がってきてますね~! いちおうルールとして「出発点はやるたびに1駅ずつゴールの桜木町に近づく」ということにしているのでだいたい1キロくらい歩く距離は短くなっているはずなのですが……それに反比例して内容がキツくなっているような。
 まぁ、それが醍醐味なんだけどよう。脚も着実にたのもしくなってきてるしね。とにかく行き倒れにだけはならないように、人様に迷惑をかけない程度にエンジョイしよう。
 ああ、「あのお店」の中に入ることができるのはいつになるのやら。早く目的を済ませてこの『長岡京エイリアン』でその経緯を説明したい~。


 こんな感じなんですけど、今回も6月中に読んだ本とバットマン以外のマンガもあげておきましょっか。


三島 由紀夫    『にっぽん製』(1953年)                角川文庫
            『愛の疾走』(1963年)                 角川文庫
島本 理生      『生まれる森』(2003年)               講談社
            『ナラタージュ』(2005年)               角川書店
辻村 深月      『ツナグ』(2010年)                  新潮社
荒俣 宏       『パラノイア創造史』(1985年)            ちくま文庫
J君(じゃまおくん) 『なんだ!?このマンガは!?』(2010年)     彩図社
新人物往来社編   『日本史有名人の死の瞬間』(2009年)        新人物文庫
ASIOS        『謎解き超常現象 コンビニ編集版』(2011年)     彩図社
三才ムック      『放送禁止作品 封印解除』(2011年)         三才ブックス
月刊Newtype編   『キャラクターボイスコレクション 女性編1』(1994年) 角川書店


行徒      『学園革命伝ミツルギ・なかよし 第1巻』(2011年) スクウェアエニックス
行徒妹     『くのいち一年生 第1巻』(2011年)         双葉社
日野 日出志 『鱗少女』(1996年)                   蒼馬社
SABE      『さべちん』(2009年)                  ワニマガジン社


 まぁこんな感じでした。
 マンガのほうのメンツのしめっぽさが尋常じゃないんですけど、梅雨らしくていいじゃないの。
 角川文庫の三島先生はほんとつまんな……いや、味わい深いですねぇ!
 肩の力どころか、全身のどの力も入れていない三島文学の「パセリ」みたいな部分をしつように文庫化する角川書店のねらいとはなんなのか。ま、いっか。それはそれでしっかり読めるんだから。


 さぁさぁ、7月も引き続いてがんばっていくぞ~いっと。
 ぱっぽろり~ん。
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