僕の記憶は総じて「朧気」である。
いい例が「風景」だろう。
わが津幡町は、北陸の片田舎。
変化のスピードは緩やかながら、見慣れた場所でも建物が壊されたり替わったりすると、
以前の様子は曖昧模糊に。
拙ブログタイトルに付随した概要記載『いつか、失われた風景の標となれば本望』とは、
自分自身へ投げかけたメッセージでもある。
その意味で「記録」は大切な記憶装置。
特に、繰り返し観察・考察できる記録---「文章」や「写真」「絵画」は、
脳の奥、海馬に眠っていた過去を呼び覚ましてくれるのだ。
上掲は「津幡中学校」旧校舎の一部。
体育館と教室棟をつなぐ渡り廊下だ。
紅白枠で囲まれた横一文字看板には「祝 津幡町合併十周年」。
2度目の合併により現在の町域が整い10年の節目を迎えた昭和41年(1966年)、
同校で開催された記念式典のスナップである。
思えば少年時代、ここを何度往復したことか。
ある時は笑いながら、ある時は走りながら、ある時は隊列を組んで。
また、剣道部員だった僕は、残存木造校舎・板敷きの武道場へ行き来するため、
毎放課後、竹刀片手に刺子半纏・袴履きで歩いたものだ。
変わっては「昭和のつばたまつり」2枚のスナップ。
どちらも昭和47年(1972年)夏に撮影。
最初は津幡中央銀座商店街。
歩行者天国の告知が手書きなのが時代を感じる。
通りを跨ぐ横断幕に「村田英雄ゴールデンショー」の文字。
演奏会場は「津幡小学校」とある。
また、かつて小学校の体育館では、祭り期間中に他の催しも行われた。
ぐるりと暗幕を張り巡らせた、埃っぽく蒸し暑い空間で、
怪しげなマジックショーや、アマチュアバンドのコンサートなどを観た。
2枚目は小学校前の通り。
狭い道の両脇に、スマートボール、ひよこ売りに、金魚すくいなどの露天商が連なる。
その間を肩触れ合いながら歩くのは、実にワクワクしたものだ。
写真中央に上半身裸の男性が写っている。
「全国選抜社会人相撲選手権大会」の出場力士かもしれないが(詳細不明)、
このスタイルで街中を闊歩するシーンは、今時まずお目にかかれないだろう。
今投稿の画像は『津幡町ふるさと歴史館 れきしる』で12月22日(日)まで開催中の企画展
「写真で見る津幡町の移り変わり」にて展示されているものの極々一部だ。
町に所縁のある方なら忘れていた記憶を手繰るキッカケになるだろう。
そうじゃなくても懐かしい昭和の風景を想い起こす機会になるはず。
都合と時間が許せば、一度足を運んでみてはいかがだろうか。
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