つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

monotone Journey 5.

2020年05月09日 22時07分15秒 | 白と黒の旅
世界は様々な色に溢れていて、沢山の楽しみを与えてくれる。
しかし、目に映る彩(いろどり)を無くすと「想い描く色」が豊かになる。
階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がする。

散歩中や旅先で撮影した画像を白黒に加工し、思考の旅に出かける試み。
不定期連載「monotone Journey」第五篇。


これぞ「昭和のまま」。
やゞくたびれた瓦屋根。
玄関前に並んだ植木鉢。
木陰を作る立木が2本。
前庭を備えた平屋建て。
今にもドアの向こうから「まる子」が出てきそうな風景。
ぜひ、僕の「終の棲家」はこうありたい--- と願っている。


良く晴れた連休終盤の散歩中に撮影した。
ファミリーマート本津幡駅前店の向かい。
中山石油隣、土建会社前の一角を望む。
ここには、かつてバス停留所があった。

地面は未舗装。
最奥には扉のない大きなバスの車庫。
他に人工物はなく、隅に大きな柳の木が一本。
幼い僕は、今は亡き母に手を引かれ、
そこで度々金沢方面行のバスを待った。
子供の目線で眺めていたためだろう。
記憶の中の風景は実際のスケールより断然広く、空も高い。
だが、色が付いていないのは、画像と同じである。

束の間、時間を遡る思考の旅に出かける事ができた。
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monotone Journey 4.~LOST WORLD~

2019年02月18日 11時07分41秒 | 白と黒の旅
世界は様々な色に溢れていて、沢山の楽しみを与えてくれる。
しかし、目に映る彩(いろどり)を無くすと「想い描く色」が豊かになる。
階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がする。

散歩中や旅先で撮影した画像を白黒に加工し、思考の旅に出かける試み。
不定期連載「monotone Journey」第四篇。


拙ブログに度々登場する「津幡城址」。
かつて津幡宿があった旧北陸道を見下ろす小高い丘陵地「大西山」にある。
津幡城の始まりは、源平合戦・倶利伽羅峠の一戦を前に平家軍が築いた砦とか。
その後、戦国武将「上杉謙信」が陣を張り、加賀藩祖「前田家」が支配し、
「佐々成政」が軍議を開いたという。
それらの遺構・形跡が残っていれば貴重な史料になっただろうが、
津幡小学校旧校舎建築の際、殆どが失われた。
今は、物言わぬ石碑が建つのみ。


地場資本の家具店「KAGUYA」が営業していたのは、20年近く前になるだろうか。
個人的には、CDラックと椅子を購入した事がある。
「寺本家具」の工場が隣接しているから、そこが経営母体と思われるが、
今は、どちらも幕を引いた。


かつて「スペースつばた」というスーパー銭湯があった。
ここも無くなって20年は経つ。
今は駐車所案内看板が残るのみ。
往時は賑わったであろう場所は資材置き場へ転用され、訪れる人影はない。


崩れかけたとある民家の板壁。
建っているのが不思議なくらいの破損度合だ。
今は人の気配はなく、物音一つ聞こえない。
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monotone Journey 3~ 昭和連想。

2019年01月07日 23時10分36秒 | 白と黒の旅
「昭和64年」は、1989年1月1日から1月7日までのわずか一週間。
今日は「昭和の命日」だ。
数ヶ月後には平成も終わる改元前の節目。
身近な風景を通じ時間旅行へ出かけてみようと思う。


まずは、とあるところで入手した白黒画像。
昭和三十年代と思しき「津幡駅」前だ。
停まった車は「日産サニークーペ」だろうか。
マイカーが普及し始めた当時の代表的な大衆車である。
駅正面出入り口には、立て看板。
「十和田と中尊寺の旅」とある。
今と比べ、情報量が乏しく、交通アクセスも時間がかかった頃。
北陸の人にとって、陸奥(みちのく)は異国情緒漂う最果て。
さぞや魅力的に映った事だろう。

さて、ここからは、不定期連載「monotone Journey」。
散歩中や旅先で撮影した画像を白黒に加工し、思考の旅に出かける試み第三篇。

世界は様々な色に溢れていて、沢山の楽しみを与えてくれる。
しかし、目に映る彩(いろどり)を無くすと「想い描く色」が豊かになる。
階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がする。


昭和の面影を残す(閉店した)クリーニング店。
向かって左手、ガラス面の模様は「乳母車と花」か。
反対には「一点一点仕上げの店」とある。
こんな装飾、謳い文句は昭和の定番だった。


津幡町「四ツ角」交差点の飲食店跡。
クリームソーダ。
ぜんざい。
焼き鳥。
ここで食べさせてもらった味は、忘れられない。


これぞ、昭和の「縁側」。
津幡町・横浜「普念寺」の離れである。
長く風雨や雪にさらされているであろう一角ながら、
よく整えられ、掃除も行き届き、往時の姿を留めている。


津幡町・加茂にて撮影。
画像右手のホーロー看板が何ともレトロだ。
かぜトンプク「三十分」仁愛アース本舗クボ。
「トンプク(頓服)」とは、食前や食後ではなく症状が出たときに服用する事。
飲めば30分で立ちどころに効く、という訳か。

最後は、あえてカラー画像。

津幡中学校のナップザック。
オレンジがかった黄色のナイロン生地と真ん中に、黒抜きの校章。
まだ(平成30年撮影)売っているんだ。
おやど商店街「やまもと」の店内にて発見した、昭和を想起するグッズである。

昭和天皇の容態深刻を受け、自粛ムードが覆う30年前。
僕はと言えば、名古屋・今池のバイト先にいた。
崩御の大ニュースを伝えた「ブラウン管」も今は昔である。
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monotone Journey 2.

2018年10月14日 16時22分45秒 | 白と黒の旅
世界は様々な色に溢れていて、沢山の楽しみを与えてくれる。
しかし、目に映る彩(いろどり)を無くすと「想い描く色」が豊かになる。
階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がする。

散歩中や旅先で撮影した画像を白黒に加工し、思考の旅に出かける試み。
不定期連載「monotone Journey」第二篇。


町医者として地域に貢献してきた「酒井医院」が閉院しておよそ1年が経つ。
江戸時代、武士を筆頭にした特権階級の象徴、
「名字帯刀」を許されたことから付いた屋号は「たいとや」。
定めし名家だったのだろう。
道を挟んだはす向かいには、同家所蔵のお屋敷「長寿庵(ちょうじゅあん)」が。
伝統的な日本家屋と日本庭園を護る幅4.3メートルの武家屋敷門は、実に堂々とした構えだ。


「牛村歯科医院」が閉院したのは、もう6年前。
鉄筋コンクリート造の立派な建物と大文字看板は、今も津幡川沿いにある。
前述の「たいとや」と共に、かつては「津幡小学校」の校医。
学校の委嘱を受け、児童の健康管理・検査などを担った。
僕自身も診てもらった記憶がある。


とある民家の庭先にて廃車を見つけた。
あまり詳しくないのだが・・・トヨタ・パブリカ?ホンダS660?
いずれ昭和の自動車だろう。
風を切って走っていた頃の面影はない。


とある廃屋が目に留まる。
障子は破れ、外壁の板はくたびれ、庭は荒れ放題。
なのに、居間には家具が残り、まるで誰かが暮らしているかのようだが、それは錯覚。
主なき家屋は、朽ち果てるのを待っている。

さて、最後にカラー画像を掲載。

現在「津幡ふるさと歴史館・れきしる」にて、特別展が行われている。
「HOME TOWN ~津幡を愛した写真家が残した風景~」。
『バイパスや住宅街、大きな店舗がなかったころ。
 津幡の人はどのように暮らし、どんな風景を見たのでしょう。
 現代のわたしたちが忘れかけたふるさとの姿を、ぜひ一度ご覧ください。』
・・・と紹介されている。
僕も足を運んでみた。
特に「今の津幡町」を知る方にオススメしたい。
同施設と併せて、時間旅行が楽しめるだろう。
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monotone Journey 1.

2018年09月30日 10時02分30秒 | 白と黒の旅
世界は様々な色に溢れている。

空の青、雲の白、夕暮れの紅、若葉の緑、落葉の黄。
それらは、実に美しく、沢山の楽しみを与えてくれる。
しかし、目に映る彩(いろどり)を無くすと「想い描く色」が豊かになる。
階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がする。

新たな不定期連載「monotone Journey」では、
散歩中や旅先で撮影した画像を白黒に加工して掲載。
簡潔な補足文と共に味わい、思考の旅に出かけてもらえたなら幸いです。


住む人いない民家の窓。
目隠しの葉柄入り磨り硝子。
アンティークと呼ぶには憚る量産品だが、子供時代の記憶に残るデザインの一つだ。


とある民家の庭先。
母屋の裏の軽トラック、木造の納屋、柿の木。
兼業農家が多かった昔は、よく見かけた光景。


「舟田商店」店頭に商品が並んでいた頃の様子。
文久2年(1862年)創業。
昭和天皇献上品も手掛けた「加賀マルフネ味噌」の醸造元は、暖簾を下ろした。


津幡川に映る、我が孤影。
古(いにしえ)から変わらぬ水の流れは、平成を越えても河北潟へ注ぐ。
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