つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町 ざわめく田園 からみつく花。

2022年05月01日 08時30分30秒 | 自然
                       
大型連休さ中、拙ブログをご覧の皆さまはいかがお過ごしだろうか?
僕はといえば、作文、お絵描き、読書、音楽、競艇、酒。
つまり、相も変わらない時間を楽しんでいる。

さて、本日(2022/05/01)から月替わり。
5月の別名(旧名)は「皐月(さつき)」だ。
この「さ」は、田の神、あるいは、田の神に捧げる稲を表しているとか。
散歩中、田仕事を見かける機会が増えてきた。



田んぼを耕し水を入れ始めたばかりの頃は、
まだ土が見えたり、水が濁ったりしている。
時間が経つにつれ透き通ってきて、
風がないとまるで鏡のように、空の景色を映し出す。





写真ではお伝えできないのだが、辺りは蛙の合唱。
その獲物を狙う、シラサギ、ゴイサギが飛び交う。
人が作る場所に生き物が集い、一つの世界が出現。
それは日本人が長年繰り返してきた美しい営みだ。

大陸から稲作が伝わったのは、
今からおよそ3,000年前の縄文時代後期という。
比較的、栽培作業、調理作業が楽。
生産性が高く、収穫が安定している。
そして、何より「うまい」。
優れた作物「稲」は、各地に広がって定着していった。

稲作の普及は「余剰」を生み出す社会の始まりであり、
物資の生産・蓄積が、流通・交換・分配・消費を生み、
やがて「経済」や「国家」へ繋がったとも言えなくはない。
誤解を恐れず乱暴に表すなら「米は日本の礎(いしずえ)」である。



--- ハナシが飛躍したようだ。
とにかく僕はご飯が大好きである。
熱い味噌汁、少々の副菜、漬物、炊きたての白飯があれば何の文句もない。
そんな食事がいただけるのは、先達が積み上げてきた経験と、農家の方々の努力、
そして、豊かな自然のお陰なのだ。



目線を上げると、杉に絡み付く「ヤマフジ(山藤)」が美しい花を咲かせていた。
日本の固有種で別名は野藤(ノフジ)とも呼ばれる。
花色は、淡い紫が主流。
低い山や林に分布し、繁殖力旺盛。
宿主の光合成を阻害したり、時には締め倒してしまったりすることもあると聞く。
山の中で長い花房が風に揺れる様子は美しく風情を感じるが、
なかなかの猛者でもある。



鴬の 声もさがるや 藤の花  -  加賀千代女

江戸時代の女流俳人「加賀千代女(かがのちよじょ)」は、
松尾芭蕉の『奥の細道』が刊行された翌年・元禄16年(1703年)、
加賀国・松任町(まっとうまち/現:白山市)に生まれた。
最も知られた句は【朝顔や 釣瓶とられて もらい水】。
生涯を北陸の地で過ごし、遺した2,000近くの歌の多くから、
優しく、素朴な慈愛が滲む。
              

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