つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

恋する巨匠。~ ベートーベンと女性たち。

2020年12月26日 14時55分00秒 | 手すさびにて候。
      
僕が「津幡中学校」の生徒だった頃、印象に残る音楽教師の話から筆を起こす。

名前は「西尾先生」。
彼は吹奏楽部の顧問でもあった。
同部の校内演奏会での一幕 --- 照明を反射し、ピカピカ光る管楽器が並ぶステージ上、
登壇したセンセイは、口を真一文字に結び、眉間にシワを寄せ真剣そのもの。
視線を落とし、周囲を一瞥もせず中央へ歩み出ると、サッとタクトを構えた。
やや伸び加減でウエーブがかかった髪を振り乱しながら指揮を執る様子を見て、
僕は、音楽室に飾られた“楽聖”の肖像画を連想した。

日頃、クラシック音楽に縁の少ない方にとっても、
「ベートーベン」は覚えがある音楽家の1人ではないだろうか。
巨匠の生年月日は1770年12月16日。
今年は生誕250年の節目にあたる。
コロナ禍でなければ、今頃はもっと盛んに「第九」が歌われていたはずだ。

「ルートビッヒ・ヴァン・ベートーベン」が生まれたのは、ドイツ中西部の町「ボン」。
宮廷歌手「ヨハン」と、母「マリア」の長男として生を受ける。
「モーツァルト」のライバル「アントニオ・サリエリ」に師事し、
熱狂的なスタイルを築き上げ、「モーツァルト」没後、ウィーンのアイドルに。
多くの聴衆が彼に賞賛を惜しまず、貴族夫人や令嬢のピアノ教師として引っ張りだこ。
人気者になった「ベートーベン」を、しかし、苦難が待っていた。

彼が聴力障害を患ったのは、キャリア絶頂期に差し掛かった28歳の頃。 
最初は左、やがて右、10年後には絶え間ない耳鳴に襲われた。
同時に難聴も進行して、45歳頃には完全に聴力を消失。
--- 音楽家にとって致命的に思えるが、ここから本領を発揮する。

元々、他人の作品や評価に影響を受けにくい性格でもあり、
外界の雑音を遮断した事で、己の内なる宇宙と向き合い、
交響曲第3番「英雄」、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」など、傑作を完成させた。
“音のない世界”に生きながら、最晩年まで創作の量と質を維持し続けたのは、
やはり強い精神力を備えた、天才ならではのミラクルと言っていい。

そんな、偉業の原動力が恋だったことは、よく知られたエピソードだ。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載 第百六十一弾は「ベートーベンが恋した女たち」。



数多或るピアノ曲で最も有名な作品の1つ「エリーゼのために(LINK有)」。
そのモチーフになったのは、懇意にしていた医者の姪「テレーゼ」。
「ベートーベン」は彼女に求婚したが、
貴族階級との身分違いの恋は成就しなかった。
明るく楽しい雰囲気で始まるも、途中、物悲しく激しく転調する構成は、
叶わぬ思いの吐露なのか?
本来の曲名は「テレーゼのために」。
悪筆で解読不可能などの原因で「エリーゼ」になったという説が有力だ。

また「テレーゼ」の妹、「ヨゼフィーネ」との恋に邁進していた頃の作品が、
交響曲第4番(LINK有)」。
「ヨゼフィーネ」は、出会って程なく27歳年上の伯爵と結婚するが、
お相手はわずか4年足らずで他界。
未亡人になってしまった「ヨゼフィーネ」に宛てて情熱的なラブレターを贈り、
2人は恋人関係に。
「交響曲第4番」は、前後を挟む第3番「英雄」、第5番「運命」に比べ、
何とも穏やかで優しい。
しばらく蜜月が続いたものの、彼女は別の男爵と再婚。
またも、恋は破れてしまうのである。

ピアノソナタ第14番「月光(LINK有)」は、
ピアノを手ほどきしていた伯爵令嬢「ジュリエッタ・グイチャルディ」に捧げられた。
「月光」の題名は、後に詩人が付けたもので、静かな月の夜を思わせる第一楽章を指す。
第二楽章以降は、恋するオトコの胸の内を表すような、激しい舞曲が展開。
静から動、動からテンポアップしていくピアノソナタは、当時画期的だったという。
元々「ベートーベン」は「幻想曲風ソナタ」として発表していることから、
2つの題名を融合させ「月光ソナタ」とも呼ばれる。

この様に「ベートーベン」には、階級社会の時代における身分差、
年齢差(年下)のある女性に熱をあげ、失恋を繰り返した一面がある。
天才は惚れっぽかったのかもしれない。

--- さて、冒頭に書いた「西尾先生」だが、
記憶が正しければ僕の同級生と結婚したはずだ。
確か、彼女は吹奏楽部員ではなかっただろうか。
“津幡中学校のベートーベン”は、教師と生徒という立場の違いを乗り越え、
推定20年余り年下のお嫁さんを射止めたのだ。

その後、どうしているのだろう?
今のセンセイの暮らし向きは、存じ上げない。
     

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2 コメント

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りくすけさんへ (Zhen)
2020-12-28 15:15:30
とても読みごたえのあるブログでした、素晴らしいです。

中学、高校時代の教師というものは、意外なところで、生徒の記憶に残るものですね。僕もそうです。
メッカ巡礼の旅を熱く語った“ヒッタイト××”(僕ら悪ガキがつけたあだ名、伏字は教師の姓) など、何十年かの時を経てイスラム圏を旅する僕の心中で復活しています。(笑)

今後とも、宜しくお願い致します。
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Zhen様へ。 (りくすけ)
2020-12-28 16:06:30
コメントありがとうございます。
また過分なお褒めに与り恐縮です。

記憶に残る学校の先生は何人かいらっしゃいますが、中学時代のそれが、一番鮮烈かもしれません。中学生は、心も体も半分オトナ、半分コドモ。自意識過剰だった頃ですから外界に対して敏感だったのでしょう。

それにしても「ヒッタイト先生」とは、なかなかセンスのいい穿ったネーミングですね。どんな先生だったのか気になります。いつか機会があれば「Being on the Road」でも紹介してくださいませ。

では、また。
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