つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

赤いクスリのハナシ。

2020年12月27日 15時22分40秒 | これは昭和と言えるだろう。
      
ここ最近、石川県内では「ドラッグストア戦争」が繰り広げられている。

地場資本の雄は、石川県・白山市(はくさんし)に本社を構える「クスリのアオキ」。
「青木さん」が興した「青木二階堂薬局」に始まり、
薬類に加え、生活用品や飲料、生鮮食品も取り扱うドラッグストアへと業態変化。
今では石川県内~中部・関東・近畿・東北にまでチェーン展開していて、
東京証券取引所第一部に上場する程、大きくなった。

しかし、ライバルが次々と参入。
愛知県の大手ドラッグストア、スギ薬局。
岐阜本社のVドラッグ。
九州を地盤にするコスモス薬品らの店舗も増え、鎬を削る様相になっている。
僕は、業界の事情や商売の仕組みはよく分からないが、
それぞれの会社の方々は大変だろう。
そして大資本攻勢に煽りを食うであろう
「街のクスリ屋さん」のご苦労もいかばかりかと想像する。



画像は「津幡銀座中央商店街」にて撮影。
やや右手の茶色い建物は「クラチ薬局」。
(おそらく)店じまいしたと思われる。
いつも扉は固く閉じたまま。
ショーウインドウ内のディスプレイは取り払われて久しい。
錆びの浮いた「Happy Family Life」の自販機が物悲しさを誘う。



さて、そんな身近な話題に加え、先日、淋しさを覚えるニュースを耳にする。
東京・世田谷区の「三栄製薬」が、
2020年12月25日包装分をもって「赤チン」製造を終了。
国産の歴史に幕が下ろされた。
昭和時代、子供たちのひざやヒジを赤く染めていた薬には、
僕も随分とお世話になった。



正式には「メルブロミン」という有機水銀の化合物。
安価で手軽な消毒薬だが、製造過程で発生する水銀が問題視され、
昭和30~40年代に100社あまりあったメーカーは、年を追う毎に減少していった。
更に昨年、厚生労働大臣が定める医薬品規格基準書「日本薬局方」から削除され、
姿を消すことになったのだという。

赤チン以前、消毒液の主流は「ヨーチン(ヨードチンキ)」。
成分にアルコールが入っていたので、傷口に沁みた。
対する“赤いヨーチン”は、沁みにくく、効き目が穏やかで長時間持続。
広く日本中に流通していたのも今は昔である。

ありがとう、赤チン!
さようなら、赤チン!

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2 コメント

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Unknown (作業員)
2020-12-28 07:21:06
「赤チン」懐かしいですねー(^^)
ガキの頃、ギリ使った記憶あります!

我が家はその後すぐに
シュワシュワするヤツに
変わりました。

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作業員様へ。 (りくすけ)
2020-12-28 10:45:24
コメント、ありがとうございます。

作業員さんは、ギリ赤チン世代でしたか(^.^)
僕の少年時代は赤チン全盛期。
すり傷、切り傷んにベタベタに塗ったものです。
水銀のせいなのか?赤チンが光が当たると金属の光沢みたいに反射したことを思い出します。

では、また。
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