つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

遣る瀬無い現実。

2024年01月06日 15時35分35秒 | 日記
                              
今朝(2024/01/06_5:26頃)、また大きな地震が発生した。
震源は石川県能登地方、マグニチュード5.3、最大震度5強を観測。
僕のいる所も結構揺れた。
気持ちは一向に落ち着かない。
用事で近場へ出かけると、壁が剥がれた土蔵、道路の陥没・ひび割れなど、
町内各所に地震の爪痕が散見できる。







そして「令和6年能登半島地震」による石川県内の死者が三桁に到達。
--- 悲しいことだがそれは想定の範囲内。
まだ安否不明は200名を越えていて、避難者数は五桁。
孤立状態の集落も残っている。
人的被害を表す数字は刻々と変わってゆくだろう。

他方、土砂崩れなどで寸断された道路の一部で復旧作業が進み、
ようやく救援物資の輸送が本格化し始めた。
地域によって差異があり、避難所や孤立地域へ届ける人手や安全な輸送手段も課題だ。

こうした現状を鑑み、石川県は能登半島地震の支援物資受け入れに関して
被災地への直接搬入を控えるよう呼びかけている。
個人からの提供は仕分けなどの手間がかかる。
善意の行動であっても運搬中に車がパンクするなどして交通渋滞が発生すれば、
救命活動などの妨げになりかねない。
現段階、個人については、支援継続の元手になる義援金を送るのが筋。
企業や団体からのまとまった量の支援物資は、県の厚生政策課で受け付けている。
まずは人命第一。
次にインフラを整え被災の影響を「ゼロ」に戻す「復旧」へ進み、
その先に、被災前より「プラスの状態」を目指す「復興」がある。

--- 復興して欲しいと思う。
--- しかし--- 。
TVの被災地報道のインタビューが印象に残る。

取材場所は火災により焼け野原となってしまった輪島朝市通り。
そこに佇んでいた男性にレポーターがマイクを向けた。
彼は地震前、通りで店を営んでいたが、もちろん跡形もない。
焼け焦げた残骸を指さしながらこんな主旨の話をした。

『ここ(朝市で働く人)は高齢化が進んでいる。
 もし10年後に(街が)元に戻ったとしても、
 もう(働いていた人が)戻ってくることはできないだろう』

遣る瀬無いが、これが能登の現実である。
更にもう一つ、遣る瀬無さに拍車をかけるのは「人心の乱れ」だ。
石川・穴水の避難所、40〜50代の集団が自販機破壊し金銭盗む
全力を尽くして助けようとする人がいる一方、
窮地から容赦なく剝奪しようとする輩もいる。
これが浮世の現実なのだ。
                          

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