つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

大西山で垣間見た津幡町の今。

2020年01月26日 21時27分25秒 | これは昭和と言えるだろう。
北陸は、暖かな冬が続いている。
春を思わせる陽気に誘われ、大西山へ足が向く。

よく晴れ渡った青空を見上げつつ坂道を上ると、
石垣の向こうから、子供たちの掛け声が聞こえてきた。

20~30人くらいが声を合わせ、元気に小学校のグラウンドをランニング中。
やがてシートノックやバッティング練習へと移っていくのだろう。
手前に陣取るのは父兄の皆さんか?
日曜日らしい光景を微笑ましく見守りながら思う。

「・・・参加人数が少なくなったなぁ。」

僕が子供だった昭和の頃、野球はスポーツの花形だった。
ブラウン管に映るナイターゲームは家族団らんの定番であり、
グローブやバットは遊びの必需品。
もっと沢山の野球少年たちがいた。

地上波TVから野球中継が消えた今、競技人口も減ったと聞く。
野球は誰もが親しむスポーツではなく、やりたい人が打ち込む競技に。
お茶の間のセンターではなく、好きな人が観るスポーツになった。
そして、少子高齢化が追い打ちをかける。
これも時代である。

グラウンド横では、放課後児童クラブ建築工事の真っ最中。
大西山の麓にも学童保育施設はあるが、
そこが手狭になり、もう一つ必要になったらしい。
共働き、核家族、母子・父子家庭の増加。
就労時間の多様化。
地域連帯の希薄化。
理由は様々あれど、これもまた時代である。

この児童クラブについての記載は、
「津幡ふるさと歴史館」の館長さんと交わした会話が元になっている。
大西山への散歩は、同所訪問も目的の1つだった。

・・・明日に続く。

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