もうすぐ8月が過ぎ去ろうとしている。
今夏は、よくオリンピックをオンタイムで観戦した。
それは、ある意味「ケガの功名」と言える。
フランス・パリで大会が開幕した頃、僕は腰を痛めてしまった。
体を横たえる時、寝た状態から体を起こそうとする時、
激しい痛みに耐えなければならない。
特に辛いのは後者。
うめき声を漏らしつつ四つん這いになり、脂汗を拭いながら辺りの何かしらに掴まり、
2本の足で立ち上がり大きな溜息を突くまで2分間。
毎回なかなかの大仕事。
こうなると寝床に入るのが億劫になり、
一人掛けのソファに身を沈め、目を閉じ、浅い眠りに就くのが常態となる。
幸いと言うべきだろう。
7時間の時差のお陰で、オリンピックが夜通し生中継。
うつらうつらしながら、時折TVに目を遣りつつ過ごした。
各競技の熱戦の合間、表彰式で目に留まったのがメダルと一緒に手渡された「細長い箱」。
中に収められているのは(既に報道などでご存じの通り)、
エッフェル塔・凱旋門・セーヌ川などが描かれた今大会の「アイコニック・ポスター」である。
--- パリにおけるアートポスターの歴史は古く、始まりは今から150年程前。
カラーリトグラフ(多色刷り石版画)の技術が確立し、
街角に現れた華やかなポスターは、消費行動を促すメディアとして定着。
更に、広告媒体の枠を超え、誰もが鑑賞できる芸術作品として親しまれ、
有名なポスター作家たちが登場する。
例えば「シェレ」、「ロートレック」、「カサンドル」、「サヴィニャック」。
そして「アルフォンス・ミュシャ」だ。
ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百三十九弾「極東の美しきハードラー(ミュシャ風)」。
近代オリンピック第1回大会が開催された19世紀末から20世紀初頭かけ、
ヨーロッパは繁栄の時を迎えていた。
発達した資本主義の下で生活水準が向上し、大衆文化が開花。
学校教育の普及、女性の社会的進出も始まる。
フランスの首都・パリは、放射線状に大通りが広がる明るくて開放的な街に変貌。
エッフェル塔も建造され、現在の姿が完成した。
そこで起こった文化運動「アール・ヌーボー(Art Nouveau)」は産業革命へのアンチテーゼ。
身の回りに溢れ始めた安価な大量生産品を批判し、
建築、家具、食器などの工芸、グラフィックデザイン、
ハンドメイドの生活アイテムを美術に負けないアートへ高める“新しい芸術”というわけだ。
花や草木といった有機的なモチーフや曲線の装飾、
木や石と鉄やガラス、新旧の素材を組み合わせた造形が特徴である。
前述した「アルフォンス・ミュシャ」は、
グラフィックに於いて、アール・ヌーボーを代表するアーティストの1人。
温もりや香りまで伝わってきそうな多彩な色使い。
繊細なタッチと曲線を多用したデザイン。
日本の浮世絵を参考にした構図。
モチーフの寓意に込めた古典の知識 等々。
絵画技法や図像学を貪欲に吸収して、
多種多様な要素を盛り込んだスタイルは、実に奥深い。
演劇、鉄道やタバコ、酒など様々な広告ポスター。
挿絵、パリ万博パビリオンの壁画や内装。
「ミュシャ」の元に舞い込む依頼は引きも切らず、稀代の売れっ子に。
創作の時代基盤であるアール・ヌーボーも一世を風靡した。
1914年、第一次世界大戦が勃発するまでは。
諸行無常、盛者必衰は世の倣い。
膨大な血が流れ、硝煙に包まれるうち、社会も経済も人心も変化。
アール・ヌーボーは退廃的と烙印を押され、衰退してゆく。
こうしてブームは過ぎ去ったが、作品は後世に遺る。
そもそもアール ・ヌーボーは“手仕事への回帰”を訴える運動ながら、
「ミュシャ」の歩みは、一足先を行っていた。
機械生産と結び付くことで広まったアートポスターにより、
近代デザインの扉を開いたのである。
--- さて、冒頭で書いた通り、僕は訳あって今オリンピックを観続けた。
微睡みの中でも、幾つか印象に残るシーンはある。
1つに絞るとすれば、
女子100mハードル日本代表「田中佑美(たなか・ゆみ)」さんを挙げたい。
戦績は準決勝止まりも、チャーミングな笑顔、鍛え上げた美しい肢体、
共に忘れ難く筆を執った次第。
彼女は、僕にとってパリのヒロインだ。
巨匠「ミュシャ」の足元にも及ばない今拙作は、
りくすけ的「パリ2024 アイコニック・ポスター」のようなもの。
そう捉えてもらえたら誠にもって幸いなのである。
< 後 記 >
2024年8月31日現在、偏西風に乗れず列島上陸後も迷走を続ける「台風10号」。
各地で影響が長引いている。
拙ブログをご覧の皆さまの周辺はいかがだろうか?大事はないだろうか?
石川県内は、午前中一部で強い雨が降った。
台風10号は、和歌山県沖を東南東に進み、進路を北に変え、
9月2日には熱帯低気圧に変わる見込み。
温かく湿った空気が入り込む今後、
土砂災害、低い土地の浸水、河川の増水などに警戒が必要である。
どうか、ご無事で。
すっかりコメントが遅くなり申し訳ありません。
さて、3年前の東京オリンピック以来、すっかりオリンピックへの興味を失ってしまっています。もちろん、アスリートの価値は不変ですが、問題は、その舞台裏。
ただ、オリンピックの回を重ねるごとに日本選手団が、リラックスして、本番で本来の力を発揮していること、嬉しく思います。
何しろ、僕の現役時代の頃は、日の丸を背負って、悲壮感を滲ませて、身体も心もガチガチで、本来の力を発揮できる訳がなかったと思います。
今、競技を楽しんだと感想を洩らせますが、当時は、そんなこと言ったら帰国できないでしたからね。
ハードラーは、尊敬しますよ。僕も1度400米ハードルの予選に出たことがありますが、とても、とてもでした。もちろん、予選落ち。
では、また、取り留めもないこと書いて申し訳ありません。
では、また
追) その後の腰の具合は? ご自愛のほど
僕もハードラーには敬服します。
スタートラインから、
目の前に連なる幾つもの障害を眺めた時は、
何とも憂鬱な気持ちになったものです。
アレを飛び越えて走るのですから、
特別な身体能力が必要なのは明らかですね。
オリンピックへの幻滅。
確かに東京大会の舞台裏は酷いものでした。
僕もアクシデントがなければ、
これほどパリ大会を観たかどうか。
本文中に書いた通りケガの功名です。
ま、お陰で今投稿が描けましたので良しとします。
腰のその後、まだ張りは残るものの、
ずい分マシになってきました。
お心遣いありがとうございます。
では、また。