日本の国土を地形別に分けてみると、山地と丘陵地を合わせおよそ7割。
標高500m以上の地域が国土全体の4分の1を占める。
また、国土のおよそ3分の2が森林。
世界の森林率(国土面積に占める森林面積)の平均は30%程度だから、
日本は“山と森の国”と捉えていいかもしれない。
わが津幡町の最北部に位置する「河合谷(かわいだに)」は、その典型の1つ。
車でわずか30分余り。
面積の8割を森林が占める山村地域には、街中とは趣の違う世界が広がる。
一般社会から隔絶した異界としての高山という訳ではないが、
山と森に守られたような地形と景観は、やはり独特の雰囲気を有しているのだ。
そんな河合谷は、実りの季節を迎えようとしている。
日中の暑熱はまだ高いが、風が孕む湿度は左程でもない。
棚田の四方をぐるりと囲む山から降り注ぐ蝉の声。
首を垂れ黄金色に染まる稲穂の上空はアキアカネの群舞。
去りゆく夏。
忍び寄る秋。
2つの季節が融け合って醸し出す空気は、今だけのものである。
そして、民家の周囲に植えた栗の木から大地に落ちた毬栗が、時節を教えてくれる。
栗の雌花にあるトゲの部分---- 総苞(そうほう)には、
やがて種となる子房が、通常3つずつ入っている。
受精すると総苞はイガに、子房が栗となり、
イガの中に3個の種を抱えた「三つ栗」が出来るのだ。
秋晴の ひかりとなりて 楽しくも 実りに入らむ 栗も胡桃も
明治15年(1882年)山形県に生まれた歌人、「斎藤茂吉(さいとう・もきち)」の歌だ。
晴れ渡った空から降り注ぐ光の質感や、おそらく漂う風の具合により秋の訪れを実感。
そろそろ実りの季節をむかえる頃を題材に詠んだと思われる。
「楽しくも」 「栗も」 「胡桃も」 と並べた言葉遣いはリズミカルで調子がいい。
同類の事柄を並列・列挙する意、驚き・感動の意を表し明るく屈託のない印象。
しかし、歌の背景には「敗戦」があった。
作歌時期は、終戦の日から間もない昭和20年8月のある日。
「秋晴の ひかりとなりて 楽しくも」は、
打ちひしがれたとはいえ戦争終結後の未来に対する希望を。
「実りに入らむ 栗も胡桃も」は、
重い現実を乗り越え、やり直し、再び実を結ぶ決意を。
一足早く秋めく東北の山間に佇み、作者はそんな感慨を抱いたと推測する。
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