つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

夢見る少女じゃいられない。

2022年06月05日 08時00分00秒 | 手すさびにて候。
                            
「短歌」は、五句三十一音の定型で作る短い抒情詩だ。
かつては「和歌」と称されたそれは、日本が西欧化の道を歩み始めた明治を境に、
姿を大きく変えたと言っていいだろう。

五・七・五・七・七の構成は同じながら、性質が別物。
少々乱暴に色分けするなら、
和歌は「詠み手の心情を花鳥風月に託し、文語体でつづるファンタジー」。
短歌は「詠み手の生きざまを写実的に切り取った、口語体のリアリティ」。
--- とでもなるだろうか。

その“革新運動”の中核を担った1つが、
明治33年(1900年)創刊の文芸誌「明星」。
そこに掲載された“新しい短歌”の中で、
取り分け「与謝野晶子(よさの・あきこ)」の歌はセンセーショナルだった。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百二弾は3連作形式の試み「みだれ髪の世界」。

次に掲載するイラストを添えた歌は、全て「与謝野晶子」の筆。
続けて、僕「りくすけ」の意訳を載せる。



身体の奥にゆうべの余韻を感じながら
乱れた髪を 京風の島田に結い直した
自慢の黒髪を見てもらいたいたくて
アナタを揺すって起こす朝の愛しさ




大地から湧く温かな泉を満たした湯舟につかる
ゆらゆらと蠢(うごめ)いてみえる滑らかな肢体
その付け根に開いたはなびらは一輪の百合のよう
今 私は美しさの絶頂にいると悟った はたちの夏




柔肌に秘めた女の情熱を知らぬまま
道理を語るアナタはわかっていない
理屈だけではだめ
それでは足りない
それで満たされることはないの


歌集『みだれ髪』が出版されたのは、明治34年(1901年)夏。
和歌の歴史で、これほど赤裸々に性愛を綴った前例はなく、
激しい非難にさらされたという。
「男女同権」「ジェンダー平等」など影も形もなかった頃。
温厚で従順、身持ちが固く控えめな良妻賢母こそ女性の美徳とされる世において、
前述のような歌は、破廉恥に感じられただろう。

反面、賛同する動きもあった。
生々しくも美しい。
粗削りだが清々しい。
これこそ新しい文学の誕生だ。
そんな論調も少なからず。
賛否両論の騒ぎは無名の女性歌人を、一躍文壇のスターダムへ押し上げたのである。

--- さて、彼女の歌が、
「明治の新しい女性像」というパブリックな意味合いを持つだけではなく、
「人間・与謝野晶子」のパーソナルな情念を投影しているのは有名な話だ。

時計の針を『みだれ髪』出版の1年前に戻そう。
21歳の「晶子」は、地元の大阪・堺で行われた歌会で、
文芸誌「明星」を主宰する歌人「与謝野鉄幹(てっかん)」に一目惚れ。
2人は関係を持った。
しかし、男には内縁の妻も子もいた。
更に、彼女は、同じ男に惹かれた親友と恋の鞘当ても演じた。
この不倫と三角関係を巡る一連は歌として誌上に掲載され、歌集にも収められた。
『みだれ髪』は、熱い思いを詰め込んだラブソング集なのである。
                             

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