つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

母校の景趣。

2023年06月18日 20時11分11秒 | 大西山の丘辺に立てば。

わが母校「津幡小学校」の開学は、明治6年(1873年)春。
今も津幡川のたもとに建つ寺院---
「弘願寺(ぐがんじ)」の境内に設置した仮校舎が始まりである。
当時の学年は4ヶ年で、読書、習字、算術などの科目を教えていた。


 
津幡小学校 開学の前年、
近代化を急ぐ明治政府は「国民皆学」のスローガンを掲げ義務教育をスタート。
しかし初期の就学率は、30%程度がせいぜい。
改善すべき点が多かった。
年齢に応じたカリキュラム、教科書を作成。
師範学校で養成した教育のプロ「先生」を派遣。
授業料を無償化するなどして、子供たちが通いやすい環境を整備。
就学率もアップし、いよいよ「大西山(おおにしやま)」に校舎が建設される。



『古城址(こじょうし)に河北の花と 
 大西山の丘辺に立てば
 山はみどりに 潟ひらけたり 
 わが学び舎ここに立てり』

「津幡小学校校歌」冒頭にそうあるとおり、
旧北陸道を見下ろす小高い丘陵地「大西山」は、かつての「津幡城」跡。
ここに木造校舎が建ったのは、明治20年(1887年)夏のこと。
男子・女子がそれぞれの校舎に別れて勉強していたという。
また、赤ん坊を背負った児童が授業を受ける風景があった。
当時、主に女の子が裕福な家の子守役として働くケースは珍しくなく、
それをこなしながら通学できるようにと「子守学校」が開設されていたのだ。

--- とまあ学校初期の姿をざっと書き出すと、そんな感じになる。
そして、150年の時が流れた。





既にこのカテゴリーで投稿してきたとおり、
僕は、母校の「150周年記念事業応援団」の末席に名を連ねている。
この1年余りの間に、担務セクション毎に何度か話し合いを重ねてきたが、
先日、年度替わり経て定まった新体制下での全体合同会議が開催された。





記念式典部会、記念事業部会、記念誌部会、
それぞれの進捗状況の報告と確認があり、内容もかなり具体化してきた。
式典執行は令和5年(2023年)の秋。
然るべきタイミングになれば、拙ブログでも発表致します。

さて、僕の役割といえば---「150周年記念 音声プログラム」を制作するのが1つ。
学校の音楽室で録音した新旧校歌。
過去の校舎へ通学した方へのインタビュー。
明治~大正~昭和~平成・令和、各時代の様子を紹介するナレーション。
こうした要素を織り交ぜたラジオ番組のようなもので、
尺は60分くらいを予定している。
こちらも然るべきタイミングに詳細を明らかにしたい。
                               

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 令和五年 太白祭。 | トップ | 小品、カキとクモ。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿