つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

然(さ)もありなん。

2021年02月20日 17時34分31秒 | 日記
       
寺院の門前掲示板には、よく「格言」が貼り出されている。
先日、散歩途中に通りかかった津幡町中心街・津幡川沿いに建つ「徳願寺」には、
こんな言葉があった。



『人生に待ち受けている扉で簡単に開くものはなし
 もし簡単に開いたとすれば
 それはあなたを成長させる節目の扉ではない』


然もありなん。
人生における扉は、仕事、私生活、恋愛など様々なシーンに待ち受けている。
苦労の末に開けたら別の扉が立ち塞がっていた。
開いたと思ったら実は開いてなかった。
なんてことも珍しくない。
枚数も重みも人それぞれだ。

しかし、時代がもたらす「共通の扉」もある。
今なら「新型コロナウイルス」が、その1つ。

2020年1月16日:国内で初めて感染症例を確認。
     1月28日:日本人の感染者一号が発生。
     1月31日:WHO緊急事態を宣言。
     2月 5日:大型客船での集団感染が判明。
     2月13日:コロナウイルスによって国内初の死亡者が発生。
--- 後はご存知のとおりである。

世界で初めてこの感染症の存在が明らかになってからは、2年あまり。
人類が四方八方を扉で取り込まれ塞がれてから、一年あまりが経った。
去年の今頃撮影した町内の写真を、以下に何枚か掲載してみる。







第一波襲来間もない当時、
身の回りから色んなモノがなくなり、色んなコトが中止になったのを思い出す。
そして、世の中は変わった。

きのう(2021/02/19)、石川県内で医療従事者へワクチン先行接種がスタート。
僕たち「一般人」へお鉢が回ってくるのは、早くて5月と聞く。
この重い扉を開けることが出来た暁には、どんな未来が待っているのだろう--- 。
然もあらばあれ。
良きにつけ、悪しきにつけ、我々は生きてゆく。

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2 コメント

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りくすけさんへ (Zhen)
2021-02-20 21:57:55
こんばんわ

僕は「扉」ではなく、「峠」に例えて、困難に立ち向かっています。何に例えて考えるかで、本質は同じだと思います。

峠が険しく、高ければ高いほど、その先には、今まで見たことのない新しい世界が眺められるんだと思って、苦しい峠越えに挑んでいる訳です。

偉そうなことを書きましたが、コロナ禍が始まった頃、諸外国が国民に厳しい行動統制を果たす中で、日本は、あくまでも自粛、個人の良心に任せるやり方を選んだ。その時、僕は、これは日本国民の挑戦だと思いましたが、結果的には、腰砕けになったようにも思えます。

コロナの先に我々人類は、何を見ることができるのでしょうかね。

結論のない、意味不明なコメント、失礼いたしました。

では、また。





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Zhen様へ。 (りくすけ)
2021-02-20 23:39:07
こんばんは。
コメント、ありがとうございます。

>峠が険しく、高ければ高いほど、その先には、今まで見たことのない新しい世界が眺められるんだと思って、苦しい峠越えに挑んでいる。

素晴らしいですね。
努力が全て報われるわけではないが、
報われた人は皆努力している。
Zhenさんこそ、
努力を惜しまない「大人」ですね。

星の数ほどある個人ブログが取り上げた
北陸の片田舎の掲示板が何らかのキッカケになり、感染症がもたらす現在過去未来について考える機会になったとしたら、こんなに嬉しいことはありません。

やがて、Zhenさんの目から見た「大国とコロナ」のお話など聞かせていただく機会があれば幸いです。

では、また。
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