“シリーズ母校への惜別”。
「今日の一枚」は、旧校舎裏のグラウンドに設置された「雲梯」。
撮影日時は、2010年8月13日・午前9時1分。
シャッターを切ってからおよそ2年が経った今、既に失われた風景だ。
また、僕が小学生だった頃の景観とは異なるだろう。
当時のデザインは、波打っていなかった。
多少高低差を付けて傾いていたかもしれないが、鉄のパイプは直線だったはず。
水平方向に設置された梯子にぶら下がりながら、
勢いをつけ、猿のように手を伸ばして移動したものだ。
…と、そんな40年前の記憶を手繰れば、僕の脳裏にはあるメロディが流れてくる。
『何かで燃やすのが 若いいのち
何かに賭けるのが 一度の青春さ
コートの中には 涙もあるけど
それは胸にしみこむ 熱い涙
…(中略)…
全てがミュンヘンへ 続く道
全てが栄光へ つながる道なのさ
コートを転がる 若者6人
誰の胸の中にも 明日の希望』
(※唄:ハニーナイツ 作詞:阿久悠 作曲:渡辺岳夫)
アニメドキュメント「ミュンヘンへの道」の主題歌である。
当時、個人的にはバレーボール競技自体に深い思い入れはなかったのだが、
(天井サーブの猫田選手は好きだったが…)
日本国内における人気は高かった。
ブラウン管では、日本の五輪代表チームの動向が取り上げられ、
ラジオのスピーカーを通じて、この歌を耳にしたのである。
そして、津幡小学校の校庭でも
ラッパスピーカーから流れる「ミュンヘンへの道」が鳴り響いていた。
あれは昼休みだったか…?それとも放課後だったか…?
インストだったか…?ボーカル入りだったか…?
少々不透明な部分はあるが、懐かしい光景とリンクする。
更にもう1つ。
ミュンヘン大会については、パレスチナゲリラ「黒い九月」が思い浮かぶ。

ゲリラは、選手村に滞在中のイスラエルのコーチと選手の2人を射殺。
9人を人質にすると、イスラエルに投獄されている仲間の釈放を要求。
流血の惨事となり、オリンピックは一時中断。
世界中が事件の生中継に目を見張り、行方に注視した。
…事の顛末を知ったのは、もちろん何年も後。
ただ、立てこもる覆面姿の犯人像は、幼かった僕の脳裏にもクッキリと刻まれている。
これを境に、大会の警備費用はうなぎ上り。
ロンドンでのそれは、15億ポンド(およそ1,800億円)。
ミュンヘンの800倍あまりに相当する額だ。
確かに、連日、警備に動員された英国軍の様子や、
スタジアム周辺に配備された地対空ミサイルなどが報道されている…。
度々投稿してきたとおり、
僕が、初めて鮮烈な印象を受けたのは1976年のモントリオール大会。
しかし、初めて記憶に残ったのは、
津幡町・旧校舎の光景とセットになったミュンヘン大会。
果たしてロンドン大会は、どんな記憶を残してくれるのだろう?
何はともあれ「悲劇」だけは願い下げである。
<※7月27日:追記>
サッカー日本代表、アベック勝利!おめでとう!!
「今日の一枚」は、旧校舎裏のグラウンドに設置された「雲梯」。
撮影日時は、2010年8月13日・午前9時1分。
シャッターを切ってからおよそ2年が経った今、既に失われた風景だ。
また、僕が小学生だった頃の景観とは異なるだろう。
当時のデザインは、波打っていなかった。
多少高低差を付けて傾いていたかもしれないが、鉄のパイプは直線だったはず。
水平方向に設置された梯子にぶら下がりながら、
勢いをつけ、猿のように手を伸ばして移動したものだ。
…と、そんな40年前の記憶を手繰れば、僕の脳裏にはあるメロディが流れてくる。
『何かで燃やすのが 若いいのち
何かに賭けるのが 一度の青春さ
コートの中には 涙もあるけど
それは胸にしみこむ 熱い涙
…(中略)…
全てがミュンヘンへ 続く道
全てが栄光へ つながる道なのさ
コートを転がる 若者6人
誰の胸の中にも 明日の希望』
(※唄:ハニーナイツ 作詞:阿久悠 作曲:渡辺岳夫)
アニメドキュメント「ミュンヘンへの道」の主題歌である。
当時、個人的にはバレーボール競技自体に深い思い入れはなかったのだが、
(天井サーブの猫田選手は好きだったが…)
日本国内における人気は高かった。
ブラウン管では、日本の五輪代表チームの動向が取り上げられ、
ラジオのスピーカーを通じて、この歌を耳にしたのである。
そして、津幡小学校の校庭でも
ラッパスピーカーから流れる「ミュンヘンへの道」が鳴り響いていた。
あれは昼休みだったか…?それとも放課後だったか…?
インストだったか…?ボーカル入りだったか…?
少々不透明な部分はあるが、懐かしい光景とリンクする。
更にもう1つ。
ミュンヘン大会については、パレスチナゲリラ「黒い九月」が思い浮かぶ。

ゲリラは、選手村に滞在中のイスラエルのコーチと選手の2人を射殺。
9人を人質にすると、イスラエルに投獄されている仲間の釈放を要求。
流血の惨事となり、オリンピックは一時中断。
世界中が事件の生中継に目を見張り、行方に注視した。
…事の顛末を知ったのは、もちろん何年も後。
ただ、立てこもる覆面姿の犯人像は、幼かった僕の脳裏にもクッキリと刻まれている。
これを境に、大会の警備費用はうなぎ上り。
ロンドンでのそれは、15億ポンド(およそ1,800億円)。
ミュンヘンの800倍あまりに相当する額だ。
確かに、連日、警備に動員された英国軍の様子や、
スタジアム周辺に配備された地対空ミサイルなどが報道されている…。
度々投稿してきたとおり、
僕が、初めて鮮烈な印象を受けたのは1976年のモントリオール大会。
しかし、初めて記憶に残ったのは、
津幡町・旧校舎の光景とセットになったミュンヘン大会。
果たしてロンドン大会は、どんな記憶を残してくれるのだろう?
何はともあれ「悲劇」だけは願い下げである。
<※7月27日:追記>
サッカー日本代表、アベック勝利!おめでとう!!