つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

Like A Keeping Stone.

2016年02月13日 16時09分57秒 | 自然
Like A Rolling Stone.
「転がる石に苔は生えない」の例えに異なる解釈があるのは有名な話だ。

伝統を重んじて変化を軽んじる英国では、ネガティブな意味。
逆に、停滞せず変化する事に価値を見出す米国では、ポジティブな表現。
…日本人の感性ではどちらだろう?
おそらく、前者に近いのではないだろうか。
その典型にして身近な象徴は「墓石」かもしれない。
 
今朝早く、雨が落ちてこぬうちにと出かけた散歩で、
津幡町営「鷹の松墓地公園」を訪れてみた。

区画整理されたスペースに並ぶ墓石の殆どには、
「先祖代々」とか「○○家累代」の文字が刻まれていた。
つまり、世代を跨いで遺骨を納める場所。
それは、もし一旦離れたとしても死後には戻り、
生まれた土地…一族伝来の地に留まる意思表示でもある。
個々人の考え方次第だが、日本の、取り分け地方では珍しくないケース。
Like A Keeping Stone.
苔むそうとも「動かない石は終の棲家に相応しい」という訳だ。

人間は、何千年にも亘って、石を利用してきた。
ピラミッド、万里の長城、アンコール寺院、パルテノン神殿…。
世界各国に残る建築は、後世に何かを残すために石を使った。
石は、地球が永い時間をかけて生成しただけあって丈夫だが、永遠ではない。
やはり永い時間をかけて、やがて風化し、砂になって、土に還る。
墓石の運命も同じだ。

公園の一角に、こんな場所があった。

どこか一部が欠け落ちたり破損していたり、
見るからに古い竿石が並んでいる。
新しいものと交換した際や、無縁仏となって運ばれたのだろう。

「墓石の墓場」。

ここは、人によって掘り出され、切り刻まれた石達の終の棲家である。
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マチの粉モノ見聞録。

2016年02月11日 18時28分02秒 | 日記
拙ブログの自己紹介欄に記載してある通り、僕は「粉モノ」が好きだ。

お好み焼き(大阪風/広島風/もんじゃ)、たこ焼き、焼ソバといった鉄板系。
うどんにラーメン、ソーメン(冷や麦)、スパゲッティなどの麺類。
スイーツに至っては、焼き菓子全般の幅広さ。
そして、パンもまたバリエーションは無限大。
姿形も味付けも融通無碍だからこそ、
主食になり、ご飯の供になり、酒の肴にもなる。
しかも、お値段手ごろ。
小麦粉を主な原材料とする粉モノ料理は、とても身近な庶民の味なのである。

もちろん、我が町にも取扱店は少なくない。
ただ、多くは大型店フードコート内の立地だったり、
スーパーの惣菜として販売されているのが現実。
チェーン展開ではない独立店舗となると、マイノリティなのだ。
そんなお店の1つがコチラ。
 
「野の花のパンや」さんだ。
以前から気になっていたのだが、なかなかタイミングが合わず、
本日午前の散歩で初の訪問と相成った。
住宅の一部を改装したであろう、こじんまりとしたお店の扉を開けると、
イースト発酵の微かなアルコールの匂いと、生地が焼ける甘い香りが鼻腔をくすぐる。
とたんに腹が減る。
 
店名下の木製看板と店内掲示テラシの「はるゆたか」とは、
北海道産の小麦粉の銘柄。
何でも生産量が大変少ないが、味が良く人気が高いため、貴重なんだとか。
ならばお値段もそれなりと思ったのだが、結構リーズナブルだ。

左は、ふかしたポテト入りのマヨネーズパン。
右は、オーソドックスなアンパン。
いずれも140円。
ミドルエイジの女性店主と一言二言会話と挨拶を交わし、
外へ出ようとして、ハッとする。
「お金払わなきゃ!」
お勘定を済ませていない事に気付き、慌ててポケットの小銭を探った。
「アラホント、こっちもボ~っとしていたわ」
屈託ない笑顔のリアクションが返ってきた。

僕の少し前を歩きながら、時折、物欲しそうな視線を送る愛犬を無視してかぶり付く。
中の具は薄味で、粉の旨味が引き立つ感じだ。
バターや塩、添加物でドレスアップしていない、こざっぱりした生成りの風合い。
インパクトではなく、イノセント。
鑑賞用に栽培された華美に大きな花ではなく、
小さくとも力強く可憐な、野に咲く花のようなパン。
なるほど店名に相応しいと思った。
また寄ってみよう。

ところで、最近気になっている店がある。
それは、津幡町・横浜の粉モノ屋さん「いのうえ」だ。
(※2012年2月26日に関連投稿アリ)
小麦粉をみっちりと固めたタコ焼きが食べたくて何度か足を運んでいるが、
ここ数週間、営業中に行き当たらない。
 
 
まさか…。
しかし店頭に「別れの手紙」は貼り出されていない。
不動産の売り看板も立っていない。
杞憂に終わる事を、心より祈っている。

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りくすけは歩き、語る(後編)。

2016年02月07日 11時51分12秒 | りくすけ
僕の名前は「りくすけ」。
7歳になったばかりの、去勢された雄のチワワだ。
人間界の基準ではシニアの仲間入りになるようだが、
加齢からくる健康面の不安は、特に感じていない。
今回は、僕の散歩の様子を綴る後編にお付き合いください。

きのうの前編は、家を出て「津幡中央公園」に至るまでを紹介した。
少々余談になるが、この公園という所は犬族にとって、情報収集の拠点。
散乱しているマーキングから、犬種、年齢、健康状態、性別などを知り、
ご近所の勢力分布を推し量るのだ。
コレは散歩中も同様で、電柱とか門柱とか欄干とかの匂いを嗅ぐのは、
大切なチェック作業なのである。
…閑話休題、本編に入ろう。

 
ここは津幡町中心部の通称「シグナス通り」。
命名の由来になったのは、画面右の茶色くて四角い建物、
「津幡町文化会館シグナス」だ。
シグナスは、星座の「白鳥座」の意味で、町の鳥・白鳥にちなんでいる。
教育関係の行政窓口、町立図書館、児童センターが一体になり、大ホールのキャパは802席。
開館は平成17年だから、やがて10周年である。
それを記念して、こんなポスターが掲示されていた。
 
♪ドラァ~マァティィィック…レイン!
ご興味のある方は、是非どうぞ。
チケットは1枚5,000円です。

さて「シグナス通り」は、現在のメインストリートだ。
道の両側には様々な店舗が並んでいる。
 
<お好み焼き「道頓堀」前にて撮影>
 
<回転寿司「海王」前にて撮影>
他にも、ラーメン・カレー・カフェ・居酒屋といった飲食関係。
不動産屋、クリーニング店、ドラッグストアにスーパーマーケット、
眼鏡チェーン、学習塾やエステサロン、携帯ショップ、
僕のホームドクターの動物病院などがあり人出も交通量も多い。
一方、かつての繁華街はひっそりとしている。
 
通称「パピィ1通り」(津幡中央銀座商店街)。
金沢・富山・能登、三方向への分岐が交錯した旧・北国街道沿いの商店街だ。
命名の由来は、洪水の発生を未然に報せた津幡町の「忠犬伝説」だろう。
(※2015年9月12日に関連投稿アリ)
飼い主は、この商店街への思い入れが強いらしく、
散歩コースの定番になっていて、いつも盛んにシャッターを切る。
そんな時、上目遣いに観察すると、
少し酔ったような、捉えどころのない表情をしている事が多い。
きっと、頭の中では、時間が錯綜しているのだろう。
網膜に映っているのは現実の風景なのだが、脳裏に浮かんでいるのは昔の面影。
意識が記憶に支配されているのだ。
僕にも分かる。
ふとした拍子に好物のバナナの味を思い出すと、
目を閉じ、無意識のうちに何度も舌を出し入れしてしまう。
追憶に浸っている訳だ。

次の行き先は「白鳥(しらとり)神社」。
案内看板によれば、1800年の歴史と由緒あるお宮。
雨乞いの霊験あらたかで、何度も飢饉のピンチを救ってきたのだという。
(※2010年10月6日に関連投稿アリ)
飼い主は散歩中に、よく神社へ立ち寄りお参りをする。
熱心に何の願い事をしているのだろうと耳をそばだててみると…
『どうか、今日の12Rが的中しますように。』
「何だ競艇か。神頼みかよ。」とは思うが、まあいい。
この人の趣味だ。当たったら奢ってね。
ところで、どこの神社にもある「狛犬」。
犬とは言うが、モデルは猫族のライオンらしい。
親近感が湧かないのも無理はない。
ホラ、似てないでしょ?
 

こうして1時間あまり、アチコチを巡って帰ってきたらお楽しみが待っている。
 
運動の後のミルクが美味い!
この一杯は堪えられませんな。
一心不乱に飲んで、舐め切ったら、しばし放心…。
 
嗚呼、生きてて良かった。

きのう「飼い犬稼業は気楽だ」と言ったが、中には、酷い扱いを受けている奴もいる。
不潔な環境に置かれていたり、世話を放棄して捨てられたり、虐められたり。
幸か不幸かの運命を分けるのは、結局、飼い主次第なのだ。
温かな家に住み、飯は旨いし、散歩は楽しく、安らかに眠れる。
もう、望むものはない。
ここでの暮らしは気に入っている。
…以上、ある冬の日の散歩の巻でした。
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りくすけは歩き、語る(前編)。

2016年02月06日 16時07分54秒 | りくすけ
僕の名前は「りくすけ」。
7歳になったばかりの、去勢された雄のチワワだ。
人間界の基準ではシニアの仲間入りになるようだが、
今のところ加齢からくる健康面の不安は、特に感じていない。
…さて、今回と次回、前後編に分けて、僕の散歩の様子を紹介しよう。
驚くかもしれないが、犬だって人間の言葉や文字は理解できるのだ。
しかし、キーボードを打つ器用さは持ち合わせていないから、
飼い主に代筆をお願いした。

立春を過ぎ暦の上では春になったとはいえ、ここ北陸はまだ寒い。
そして、晴れ間は貴重だ。
  
多少路面が濡れていても、散歩には勇んで出かける。
もう少し天気が好転してからなどと考えていると、手遅れになるから。
それにしても、先々週(1月24日近辺)は、かなりの降雪だった。
さすがに出歩く事は出来ず、ベッドで毛布にくるまって震えていたっけ。
日本の歌によると、犬族は雪が降ったら喜んで庭を駆けまわるのが相場らしいが、
それは、あまりにもステレオタイプというもの。
僕のように中南米原産の犬種をはじめ、冬が苦手な奴も多い。
とにかく、先日の雪の日にはコイツ(除雪機)も活躍しただろう。
  
散歩の途中、最初に立ち寄ったのは「勝崎館(かつざきかん)」。
  
明治22年に開湯した老舗の銭湯だ。
ずっと鉱泉を引いていたが、10数年前に枯渇して以来、井戸水を薪で沸かし、
湯あたりが柔らかいと評判で固定客も多い。
(※2012年2月7日に関連投稿アリ)
画像の奥…本館入口に停まっているのは、津幡町の和菓子処「たかくら」のバン。
  
「勝崎館」は、お風呂だけじゃなく、宿泊、宴会、食事に対応した施設だから、
きっと予約が入っていて懐石の水菓子か甘味でも仕入れたのだろう。
ま、人間の食事とは違ったメニューが常の僕には関係ないが…。
先を急ぐ。
  
津幡川に架かる「住ノ江橋」を超えると、一種の宣戦布告が目に入る。
飼い主も過去に書いていたが、津幡町は流通の激戦区。
その中心部に掲げられた、富山県・小矢部市のスーパーマーケット案内看板だ。
  
わざわざ、ここに設置したのは意図あっての事だろう。
人間界は競争社会で大変だ。
それからコレも。
  
汗水垂らして働いた稼ぎの中から、税金とやらを納めなければならないらしい。
社会生活は大変だと思う。
一方、気楽な飼い犬稼業は「ゲゲゲの鬼太郎」並に、幸せだ。
他のワンコとの縄張り争いとか、お手、お座りとか、それなりの苦労はあるが、
会社も仕事も試験も学校もない。
朝は寝床でグーグーグー、昼はこうしてのんびりお散歩。
但し、お化けと違うところは、夜は墓場で運動会はしない。
寿命がくれば死ぬし病気にもなる。
命は有限なのだから仕方ない。
順調に行けば、飼い主より先に逝く。
その時は、どうか憐憫の情を抱いて欲しいし、タマには思い出して欲しい。
…などと物思いに耽りつつ歩いていたら、公園に到着。
しばしの休憩である。
  
(※後編へ続く⇒)
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