つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

紅いシンデレラ。~ソビエトの民草。

2016年08月07日 21時22分33秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載第十五弾に、特定のモデルはいない。
旧ソ連時代の体操競技女子代表チームを思い描きつつ筆を取った。

過去のイラスト連載で、モントリオール五輪体操競技に出場した
「ナディア・コマネチ」について投稿した。
その異名“白い妖精”が、
愛くるしい容姿と史上初のパーフェクト10に起因している事。
また、東欧の小国から現れた美少女に対し、
ミステリアスな感慨を抱いて事は、先に記した通りである。

捕捉の意味も込め、改めて繰り返すが、
ペレストロイカ以前の共産圏は、まさしく「鉄のカーテン」の中。
盟主・ソ連は、不透明で不可思議な国だった。
小学生当時の僕が接した情報は、極めて些少かつ偏狭。
思い付くまま列記してみる。

@200海里経済水域での水産資源をめぐる争い。
@北方領土問題。
@シベリアに抑留された息子の帰りを待つ「岸壁の母」。
@「アンドロポフ」の鉄面皮。
@ゲジゲジ眉の「ブレジネフ」。
@赤の広場で行われた軍事パレード謁見の序列から推測する
 クレムリンのパワーバランス。
@物不足に買い物の長い行列。
@黒パンとボルシチ、キャビアにウオツカ。
@寒冷地の永久凍土。
@暗躍するスパイ。
@KGBと盗聴網に密告社会。
@チェルノブイリ原発事故。
@アフガニスタンへの武力侵攻。
…等々、断片的でネガティブな知識から導き出したソ連の印象は、
「暗く陰鬱で、得体が知れない大国」。
たった1つの例外が、オリンピックだった。

あらゆる競技において、懸命に高みを目指し、
一喜一憂するアスリート達の表情は、皆、血の通った人間のそれ。
特に、体操競技代表チームの笑顔は、
可憐で美しく、一見して肌の温もりが伝わってきた。
紅いジャージに、鍛え抜かれ均整の取れた肉体を包んだ彼女達は、
4年に1度、わずか数日しかお目通りが叶わない、シンデレラのような存在だった。
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気付きは夜、訪れは朝。

2016年08月07日 15時47分18秒 | 日記
昨日、オリンピック開会式のニュースを観ていて、気が付いた事がある。
…確か「ソウル大会」までは「昼間」だったと。

夜間スタートの先鞭は「バルセロナ大会」。
アーチェリーによる劇的な聖火点灯が記憶に残っている。
「アトランタ大会」は、最終ランナーに「モハメド・アリ」登場のサプライズ。
「シドニー大会」では、オーストラリア先住民との融合をアピール。
「アテネ大会」では、発祥の地の威信をかけ古代文明を再現。
「北京大会」は、CGまで織り交ぜ中華思想を前面に押し出した国威発揚。
「ロンドン大会」は、大英帝国が産業革命後に果たした文化面の功績。
そして「リオ大会」。
情熱にあふれた五輪開会式 テーマはブラジルそのもの

1992年以降のオリンピック・オープニングセレモニーで、
光(照明)を駆使した幻想的な雰囲気を映すスクリーンは、全て「夜」だった。
昼は明るい。
しかし、強烈な太陽の光は全てを晒す訳ではない。
白日の下だからこそ隠れてしまうものもある。
闇の中、薄明るい人工の光に照らされはじめて分かるものがある。

…と、そんな物思いをしながらハンドルを握っていた本日未明、
僕はある風景に気が付いた。

そして、今朝、愛犬を伴い訪問。

場所は「IRいしかわ鉄道 津幡駅」の自転車置き場。
日中は屋根の陰に包まれて気が付かなかったが、
ここの壁面には絵が展示されていたのだ。

自転車の鍵かけを促すのは、津幡町のゆるキャラ。
「よしなかくん」「ともえちゃん」、火牛の「カーくん・モーちゃん」。
平成24年に駅近隣の「津幡町立中条小学校5年生」が描いたとの事だ。

津幡駅は国鉄北陸線が高岡まで開通した明治31年(1898年)に開業。
およそ120年余りの歴史を持つ。
上り金沢方面、下り富山、七尾方面と3方向への分岐駅であり、
駅前からは町営のコミュニティバスが発着するなど、利用客も多い。
故に駐輪場の規模も大きい。
立ち寄る機会があれば、前述の壁面画、ご覧になってみてはいかがだろうか?!
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津幡短信vol.22

2016年08月06日 10時57分22秒 | 津幡短信。
自分の目で見た、津幡町に関するごく短いニュースの不定期通信。
今回はコチラ。 

【8月6日の風景。】

遠く地球の裏側、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロにおいて、
オリンピック開会式が始まったのと同時刻、広島は71回目の「原爆の日」を迎えた。
核なき世界へ、勇気を=71回目、広島原爆の日―平和宣言にオバマ氏演説
2016年3月現在、被爆者の平均年齢は80・86歳。
被爆者健康手帳を持つ人は17万4080人。
最多だった1981年の半分以下。
本日、原爆死没者慰霊碑に納められた名簿の人数は30万3195人になった。

おそらく被爆地の他でも、様々な取り組みが行われているだろう。
わが津幡町も例外ではない。





津幡町役場1階ロビーにて「原爆と人間展」が開設されている。
20数枚のパネルを展示した小さな催しながら、
その姿勢は大いに評価したい。
やがては、今春オープンした施設・津幡ふるさと歴史館「れきしる」や
津幡町文化会館「シグナス」あたりで、
戦時中の町の様子などを紹介する機会が出来る事を期待している。

<津幡短信vol.22>
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昭和のカワイイ怪物。~ピンク・レディー。

2016年08月04日 08時17分03秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載第十四弾は「ピンク・レディー」。

かつて、こんな記事を投稿した。
『昭和51年(1976年)「ペッパー警部」でデビュー以降、
 世の中を席巻したスーパーアイドルと言えるだろう。
 ヒット記録・受賞歴は、前述の「キャンディーズ」を大きく凌駕。
 更に、音楽界の枠を大きく飛び越えていったからだ。
 当時、2人の姿をプリントしたキャラクター商品が幾つあったことか。
 玩具・衣料・文房具・食品・食器・自転車等々…枚挙に暇がない。
 「ピンク・レディー」という“市場”があったのだ。
 また、作品に合わせた衣装を身にまとい、毎回違ったダンスを披露。
 彼女達の歌や踊りを覚えようと練習するファンが大勢いた。
 身近でいて巨大な存在だったのである。』
(※2012年9月29日投稿「津幡の街角で見つめた70'Sの偶像達。」より一部抜粋)

今年はデビュー40周年。
その間、解散と再結成を繰り返してきた2人が刻んだ記録は、頭抜けている。

ヒットチャートにおけるそれは、オリコン・シングル連続ナンバー1が「9曲」。
ミリオン(100万枚超え!)セールスは、連続「5曲」。
米ビルボード総合チャートで、最高「37位」を獲得。
(⇒1979年の事、現在の音楽界における価値と比ぶべきもないのは明らか)
所属事務所の業績は、デビューから半年の決算が、4,600万円。
翌年には、6億4,000万円。 
さらに1年後は、18億9,000万円を叩き出した。
40年が経った現在の価値に換算すると、どれほどになるのだろう。
こうした数字を並べても「ピンク・レディー」が、
いかにモンスターだったのか、金の成る木だったかが窺い知れる。

しばし過去の記憶を掘り起こし、
初遭遇の瞬間を思い出そうと試みたが、見当がつかない。
でも「ペッパー警部」「SOS」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」「UFO」「サウスポー」。
今でもみんな空で歌える。
それだけ、空気のように巷に溢れていたのだ。

身長165センチの「ミー」と、163センチの「ケイ」。
当時としては大柄でダイナミック、均整の取れた肉体を持つ2人が、
歌って、踊って、日本中を釘付けにした数年間が、確かにあった。

2012年9月29日
2012年11月17日
※関連記載アリ
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