つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

1984年のマリリン。~マドンナ。

2016年08月18日 07時37分50秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載第十七弾は「マドンナ」。

「マドンナ」こと「マドンナ・ルイーズ・チコーネ」は、
アメリカの五大湖に隣接した町、ミシガン州・ベイシティに生まれた。
両親と8人の兄弟に囲まれた幸せな日々は長続きせず、
彼女が6歳の時に終わりを告げる。
…最愛の母が乳ガンで他界し、程なく父が再婚。
変わってしまった家庭に馴染めず、独りで映画館に入り浸るように。

暗闇の中でシートに身を沈め、
ポップコーン片手に大好きなミュージカルを観るのがお気に入り。
やがて、歌い踊るスター達に憧れ、バレエスタジオへ通い、
練習に明け暮れるうち、憧れは夢に、夢は目標へ。
そして、倍率40倍の難関を突破してオーディションに合格すると、
誘われるまま、単身ニューヨークへと向かった。
大陸横断バスに揺られる事一昼夜。 
辿りついたターミナルでタクシーを拾い、
後部座席から少し小さな声で、行き先をこう告げたという。
 
『世界の中心へ連れて行って。』
 
イエローキャブを降りた場所は、タイムズ・スクエア。 
所持金は、ポケットの中の35ドル。
大都会の雑踏に立つ彼女の中で、孤独な戦いのゴングが鳴った瞬間だった。

道のりは険しく、ダンサーとしては、なかなか芽が出ない。
「スターになるには、歌が一番」と考え、バンド活動をスタート。
もがき、苦しみ、時には体を張って、スポットライトの下を目指して5年、
メジャーデビュー曲「エブリバディ」がスマッシュヒット。
翌年、ファーストアルバムからシングルカットされた「ホリデイ」で、
成功への一里塚を越える。
そして、更に1年後、1984年に「ライク・ア・バージン」の世界的ヒットによって、
トップスターへと登り詰めた。

その時に与えられたキャッチが“「マリリン・モンロー」の再来”。
セクシーで挑発的、刺激的できわどいイメージを押し出した初期の頃は、
大衆から注目を浴びる一方、関係者からは辛らつな見方をされていた。
しかし、彼女はへこたれなかった。
曲によって、時代によって、自らのイメージを変え、
スキャンダルも逆手にとって、エンターテイメントの激流を渡ってゆく。
個人的に好きなのは「ラ・イスラ・ボニータ」。
鍛え上げた肉体と、ラテンのリズム&メロディの組み合わせがいい。

「マドンナ」は、何オクターブもの声域や、群を抜く声量を誇るようなシンガーではない。
また、圧倒的なテクニシャンでもない。
でも、彼女のようなアーティストは他にはいない。
真骨頂は、セルフ・プロデュース力。
自己を冷静に分析し、どう魅せればいいのかを考え、常に話題を絶やさない。
大衆を、名人芸で翻弄している彼女は、一昨日、58歳になった。
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哀愁の夏、2016。

2016年08月15日 09時19分34秒 | 日記
僕は、過ぎ去った夏を思い出す時、
強烈な太陽と共に一抹のノスタルジーを感じてしまう。
その理由は、夏が他の季節に比べて、
余りにも輝いているからではないだろうか。

新生活の節目にあたり、希望と不安を胸に抱く、複雑な春。
身も心も自然界も、あらゆるものが燃え上がる、華やかで短い夏。
実りを喜ぶ一方、吐く息の白さに物思いながら、ゆっくりと過ぎてゆく秋。
雪に覆われ、張りつめた静寂が支配する、長き冬。
四季のサイクルを人間の一生に例えるなら、夏は儚い青春の様な季節だ。

そして、日本人には、夏に哀愁を抱く要素が、他にもある。
…「敗戦」だ。
昭和天皇が、玉音放送を通じて国民に終戦を伝えた8月15日は、
日本では長く「終戦記念日」として定着している。
確かに、戦の終わりではあるが、負け戦を認めたというのが正しい。

何百万もの命が犠牲になってから、本日、71回目の夏を迎えた。
昨今は、安全保障関連法の運用や、改憲論議が叫ばれている。
東アジア諸国の武力行動、テロなどに晒される中、
平和の在り方について考え、対応しなければならない時期になったと思う。

また、かなり遠い過去になった戦争体験の継承も切実な問題だ。
あの時代を知る当事者の数が、年々少なくなるのは避けられない。
これからは、戦争未経験者達の感性と思慮が大切。
過去が遺した多種多様な物事から学び、意図を汲み取る必要がある。

…先日、津幡町の「清水八幡神社」境内にて、こんなものを見つけた。

常夜灯の奥、石組の先端の丸い物体を頂く大理石の台座には、
次の文字が刻まれていた。
『奉納 戦艦に積載十五糎砲弾一対
    海軍兵曹長満期記念
    大正十四年十月吉日 ○○○○(人名)
    大東亜戦争に際し国に献納』
…どうも腑に落ちない。
近代の砲弾は、薬莢と弾頭を組み合わせた円錐形。
こうした鉄球弾が現役だったのは、せいぜい幕末あたりまで。
しかも、よく見ると素材は鉄ではなく、石。
表面には、戦地になった太平洋~アジア一帯の浮き彫りが施されていた。

更に、台座の別の面には、こんなメッセージも。
『寄進 平和の記しとして鳩の像
    昭和六十一年十月吉日 ○○○○(人名5つ列記)』
…どう眺めても、球体は鳩の像には思えない。

きっと、かつては本物の艦砲弾が設えていたと推測する。
花崗岩の石組みと、砲弾を置いた大理石は、素材も時代も明らかに別物。
乗せ換えたであろう事は、察しがつく。
最初は、祖国の武運長久を願って。
やがて、敗戦後の倫理感を現して。
モニュメントが現在の姿に落ち着くまでの葛藤や紆余曲折を想像しつつ、
この70余年、日本が歩んだ道のりに思慮を重ねた。
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暑熱の中にも秋有りて。

2016年08月14日 15時28分55秒 | 自然
最近、町内の彼方此方(あちこち)で見かけるのが「蝗(いなご)」である。

体長はおよそ3センチ。
体色は黄緑色。
民家の窓、コンビニの出入り口など、夜間に明かりを灯す場所の他、
エサとなる米にありつけそうな無人精米所付近にて多くの姿を見止めた。

蝗は、初秋の季語。
「正岡子規」の写生句を紹介しよう。

『稲刈りて 鈍くなりたる 螽(いなご)かな』

明治29年(1896年)、
ちょうど今から120年前に詠った十七文字だ。
当時、病魔に冒された作者は、人生の晩年に差し掛かる頃。
激痛から悲鳴を上げる腰をだましだまし、散歩した秋の稲田の景色を、
人生の黄昏に重ねるのは、いささか乱暴だろうか?
夏の間、田圃で元気に飛び回っていた虫の勢いが、
秋の気配と共に削がれてゆく様子を、自身の行く末に重ねていたと考えるのは、
いささか考え過ぎだろうか?

ともあれ、稲を喰い荒らす蝗は、
実りがピークを迎える直前、田圃に棲み付く。
だから、秋の初めを告げる「季節生物」という訳だ。

少々分り難いかもしれないが、赤い丸で囲んだ箇所が、飛ぶ蝗。
実際は、画像の数十倍に匹敵する数を見て取れた。
…「蝗害」などが起きない事を願っている。
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真夏の夜の悪夢(ナイトメア)。~牡丹灯籠。

2016年08月13日 13時40分22秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載第十六弾は「牡丹灯籠」。

ヒロインは、うら若い旗本の娘「お露(つゆ)」。
恋の相手は、裕福な美男子浪人「萩原新三郎(はぎわら・しんざぶろう)」。
お互い、初対面で一目惚れ。
相思相愛のシンパシーを抱きあうが、なかなか再会に恵まれず、
「露」は恋煩いが原因で他界。
以来、「新三郎」は念仏三昧の日々を送っていた。

…ところが、お盆の十三夜。
突然、乳母に伴われた「露」が訪ねてきた。
「新三郎」が狼狽したのも無理はない。
そして程なく喜びが驚きを凌駕したのも当然の成り行き。
何しろ2人は好き合っているのだから。
蛍が飛び交う蚊帳の中で、睦みあう2人。
その様子を覗いていた下男は、腰を抜かした。
男が抱いていたのは女の身体ではなく、骸骨だったのである…。

カラ~ン、コロ~ンと下駄を鳴らし、美しい牡丹を染め抜いた燈籠片手に
「お露」の幽霊が思い人の下へ通うシーンが、つとに有名な「牡丹灯籠」。
これは、江戸から明治にかけて活躍した落語界の大看板、
初代「三遊亭圓朝」が、中国・明の小説からヒントを得て著した大長編ドラマだ。
紹介した「お露と新三郎」を皮切りに、全編22。
中には上下巻に分けて語られる回もあり、
当時は、夏の間を通じて高座にかかる「続き噺」だった。
「四谷怪談」、「番町皿屋敷」、「牡丹灯籠」を総じて
“江戸の三大怪談”と呼ぶが、個人的には、艶っぽい「お露」が好きだ。

…さて、旧盆が迫って来た今回は落語の怪談について投稿してみたが、
今月21日、津幡町で落語の興行がある。

「つばたのお寺 DE 落語」。
津幡町・加賀爪の「弘願時」において、今月21日(日)午後7時開演。
出演は「月亭方正」。
お笑い芸人から転身した人気者である。
ただ、まだ噺は聞いたことがない。
演目の一つは、古典の名作「子別れ」。
もう一つは、当日、明らかになるらしいが、季節と会場を鑑みて怪談がいいなと思う。
共演は「テンプルカントリー」。
津幡町出身のお笑いコンビだ。
ただ、まだ舞台は見たことがない。
楽しみだ。

チケットは1枚2,000円。
番田結納店、岩井商店、倉田美容院、西島薬局、チトセ美容院、弘願寺にて販売中。
…だと思うが、念のため、上記窓口にお問い合わせを。
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山の日、津幡の山裾を歩く。

2016年08月11日 11時05分24秒 | 自然
本日は、国民の祝日「山の日」である。
法規上の制定は2年前、今年・平成28年(2016年)が施行初年。
まだ馴染みはないが、旧盆を控えたタイミングでもあり、
ここを起点に、まとまった連休が始まる方もいるのではないだろうか。

日本の自然環境に係わる祝日としては、
他に「みどりの日」と「海の日」が挙げられるだろう。
それぞれの意義は以下のとおり。
「みどりの日」…【自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ】
「海の日」…【海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う】
新規参入となった「山の日」は、こうなる。
【山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する】

個人的には、どれも言い得て妙だと思う。

亜寒帯の北海道、亜熱帯に属する沖縄や小笠原、温帯ながら積雪の多い日本海側、
雨量が少ない瀬戸内海性気候と中央高地など、日本列島の気候は多岐に亘る。
四方を海に囲まれ、国土の70%が山間地のため植生・生物が多様。
季節風と海流の影響によって湿潤に恵まれ、自然は豊かだ。

つまり「みどり」も「海」も「山」も、この国の値打であり、
「山の日」は在って然るべきではないかと思う。

ちなみに、我が町は、国内屈指の面積を誇る「森林公園」をはじめ、
山の豊かさには事欠かない。
市街地からも、ほんの少し足を延ばせば、山裾に辿り着く。

人が整えた田園と、両サイドを挟む森。
山間の緩やかな傾斜地に拓かれた棚田は、お気に入りの散歩コースの1つだ。
四季折々に違った表情を見せてくれるが、盛夏の今は、稲の緑が濃い。

遠くにローカル線のレール音を聞きながら、しばし眺めて帰路に付いた時、
見慣れぬ看板と拵えを発見。
「電気牧柵」だ。

多くの動物は、まず障害を鼻先で触って確かめるため、
低位置に、弱電流を流した電線を張る。
触れた動物に軽いショックを与えて前進を阻むのだ。
駆除ではなく撃退。
心理的な効果を狙ったものだろう。

実りの時を前にした「山の日」。
人は山の恩恵に感謝しながらも、野生とせめぎ合っているのだ。
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