つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

昭和のカワイイ怪物。~ピンク・レディー。

2016年08月04日 08時17分03秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載第十四弾は「ピンク・レディー」。

かつて、こんな記事を投稿した。
『昭和51年(1976年)「ペッパー警部」でデビュー以降、
 世の中を席巻したスーパーアイドルと言えるだろう。
 ヒット記録・受賞歴は、前述の「キャンディーズ」を大きく凌駕。
 更に、音楽界の枠を大きく飛び越えていったからだ。
 当時、2人の姿をプリントしたキャラクター商品が幾つあったことか。
 玩具・衣料・文房具・食品・食器・自転車等々…枚挙に暇がない。
 「ピンク・レディー」という“市場”があったのだ。
 また、作品に合わせた衣装を身にまとい、毎回違ったダンスを披露。
 彼女達の歌や踊りを覚えようと練習するファンが大勢いた。
 身近でいて巨大な存在だったのである。』
(※2012年9月29日投稿「津幡の街角で見つめた70'Sの偶像達。」より一部抜粋)

今年はデビュー40周年。
その間、解散と再結成を繰り返してきた2人が刻んだ記録は、頭抜けている。

ヒットチャートにおけるそれは、オリコン・シングル連続ナンバー1が「9曲」。
ミリオン(100万枚超え!)セールスは、連続「5曲」。
米ビルボード総合チャートで、最高「37位」を獲得。
(⇒1979年の事、現在の音楽界における価値と比ぶべきもないのは明らか)
所属事務所の業績は、デビューから半年の決算が、4,600万円。
翌年には、6億4,000万円。 
さらに1年後は、18億9,000万円を叩き出した。
40年が経った現在の価値に換算すると、どれほどになるのだろう。
こうした数字を並べても「ピンク・レディー」が、
いかにモンスターだったのか、金の成る木だったかが窺い知れる。

しばし過去の記憶を掘り起こし、
初遭遇の瞬間を思い出そうと試みたが、見当がつかない。
でも「ペッパー警部」「SOS」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」「UFO」「サウスポー」。
今でもみんな空で歌える。
それだけ、空気のように巷に溢れていたのだ。

身長165センチの「ミー」と、163センチの「ケイ」。
当時としては大柄でダイナミック、均整の取れた肉体を持つ2人が、
歌って、踊って、日本中を釘付けにした数年間が、確かにあった。

2012年9月29日
2012年11月17日
※関連記載アリ
コメント
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