つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

機音(はたおと)が遠のいた平成。

2016年10月16日 23時59分02秒 | これは昭和と言えるだろう。
津幡町・庄、県道59号線沿いの工場に、
見慣れない看板が掲げられている事に気付いたのは、先週だった。

同社のHPを覗いて判明。
先月「株式会社ダイイチ」から「未来コーセン」への商号変更が行われた。

昭和32年(1957年)「第一撚糸工業株式会社」として創業。
昭和42年(1967年)社名を「第一繊維加工株式会社」に改称。
平成4年(1992年)社名を「株式会社ダイイチ」に改称。
翌年、新社屋完成。
平成26年(2004年)「前田工繊株式会社(福井県・坂井市)」の100%子会社化。
平成28年(2016年)前田工繊の子会社「テクノス株式会社」と合併、「未来コーセン株式会社」発足。
沿革は以上の流れになるが、一つ一つの節目には悲喜交々があったものと察する。

糸をねじり合せ撚りをかける事、または撚りをかけた糸の事を「撚糸」と呼ぶが、
日常生活でしばしば登場する表現、
“腕によりをかける”や“よりを戻す”は、この「糸の撚り(より)」が語源だ。
日本人にとって、いかに密接な産業であるかが分かる。
しかし、近年は縮小の一途を辿っているという。

…思えば、昭和の頃は、身近に沢山の撚糸工場があった。
学校の行き帰りに傍を通ると、規則正しく細やかに動く自動撚糸機の音を耳にし、
建物に人が出入りする様子を目にしたが、今は昔。
町内では静まり返った「跡地」が目立つ。

また、現在、墓地公園になっている高台に、かつて「養蚕」の関連施設があった。
正式な名称は記憶にない。
しかし、登り口に墨文字の木製看板が掲げられた急坂を、
オート三輪がゆっくりと上がっていく様子は、何故だか覚えている。

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天気晴朗ニシテ、空高シ。

2016年10月15日 20時30分13秒 | 日記
今朝の散歩では、定番の立ち寄りスポット、
町中心部の「大西山」を訪問した。

度々述べているが、
ここには、平安末期から戦国時代にかけ「津幡城」があった。
現在は、城郭に代わって小学校のグラウンドと歴史博物館、
日清・日露・大戦の戦没慰霊を願い建立された「忠魂碑」が陣取る。
その一角で、小さな真新しい看板を発見した。

分かるだろうか? 画像右隅。
「津幡城跡 最高地点(物見)標高約16メートル⇒この先」とある。
早速、物見と洒落込んだ。

旧・街道を見下ろす丘陵地は「津幡宿」の要。
かつての標高は、今に倍する高さだったと伝え聞く。
さぞや見晴らしが良かった事だろう。
脳内で、目に映る景色に、藩政期の仮想グラフィックを重ね合わせてみる。
好天のお蔭もあって、しばし、時空を超える旅を楽しめた。

移動性高気圧が大陸から黄砂を連れてやって来る、春。
海で育ち、水蒸気をたっぷりと含んだ太平洋高気圧に覆われる、夏。
混ざりものが少なく濃い青に澄み渡った、秋の晴れ。
実に清々しく、気持ちが良いのである。

さて、天気晴朗なる秋、西から朗報が届いた。

「毒島 誠(ぶすじま・まこと)」、今季初のG1優勝。
レース詳細は割愛するが、実に見事な勝ちっぷりだった。
おめでとう!
なかなか結果が出ずに苦しんできたが、シーズン終盤で遂に萌芽。
グランプリへの視界、秋晴れのように良好だ。
さぁ、行こう!
艇界制覇まで、もうひと踏ん張りだ!
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武と美を兼ね備えたヒロイン。~巴 御前。

2016年10月10日 05時54分01秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載第二十二弾は「巴 御前」。

あなたは「火牛の計」をご存知だろうか?
牛の角に火の付いた松明を括りつけ、敵陣へ突入させる奇策。
日本において、唯一用いられたとされるのが、
今から800年余り昔、寿永2年(1183年)の源平合戦。
現在の津幡町と、富山県・小矢部市の県境で行われた「倶利伽羅(くりから)峠の戦い」である。

その勝者…「木曾(源)義仲」に従っていた女性が「巴 御前」。
「平家物語」によれば「色白く髪長く、容顔まことに優れたり」
             「強弓精兵、一人当千の兵者(つわもの)」との伝アリ。
「源平盛衰記」には、倶利伽羅合戦で義仲軍の一隊の大将として活躍したとの記述アリ。
つまり、美しくて強かったのだ。

巴御前が活躍した当時、戦闘で家を空けがちの男に代わり、
領地管理や使用人の掌握は女性の役目。
夫婦共働きで家を支える女性の地位は、とても高かった。
しかも、彼女は銃後の備えに留まらず矢面に立ったのだから、
そのポジションは推して知るべし。
大変な女傑だったと思われる。

さて、わが津幡町には、そんなヒロインの「ゆるキャラ」がいる。
「ともえちゃん」だ。

女武者の横に並ぶのは、夫「よしなかくん」。
両端で愛想を振りまいているのは、火牛の「カーくん」と「モーちゃん」。
彼らが登場した背景については、以下の文章に説明を譲り、今回の結びとする。

『津幡町では、NHK大河ドラマ化を目指して
 「義仲と巴」の誘致推進を展開しています。
 倶利伽羅が舞台となった源平合戦を通して、
 平家を打ち負かした源氏の武将、木曽義仲と義仲に寄り添い戦功をあげた
 「日本のジャンヌ・ダルク」ともいわれる巴御前の大ロマンスを、
 何とか21世紀のテレビで再現しようとしています。
 そのイメージキャラクターとして「よしなかくん」と「ともえちゃん」が誕生しました。
 (中略)
 「火牛の計」をモチーフにしたイメージキャラクター「カーくん」と「モーちゃん」も誕生し、
 「よしなかくん」「ともえちゃん」とともに大河ドラマの誘致活動で活躍しています。
 津幡町が制作したDVD「義仲と巴」では、
 各地のゆかりの史跡を巡る「義仲と巴の物語」と
 大河ドラマ誘致に向けた「津幡町の取り組み」が紹介されています。』
(※津幡町観光ガイドより抜粋/原文を少々加筆)
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縁は異なもの味なもの。

2016年10月09日 09時48分54秒 | これは昭和と言えるだろう。
拙ブログをご覧の皆さんは、縁起を担ぐ方だろうか?
きっと、大なり小なり気にする場面があるだろう。
僕の場合は、やはり「競艇」だ。
「幸運をこじつける」ために習慣になっているのは、
マークシートに書き込む時の色合わせである。

競艇競技に使用されるボートは、必ず6色に分けされている。
1号艇→白、2→黒、3→赤、4→青、5→黄、6→緑。
目星をつけた舟と同じ色のペグシル(簡易プラスチック鉛筆)を使い、
祈りを込めてマークするのだ。
レース結果とは、何の関係もないのに(笑)。

人は、何かにつけて縁起がいい、悪いと口にする。
それは無事を願う心の現れ。
一寸先は闇。
競艇の勝敗と同じく、未来の事など誰にも分らない。
だから、不安にかられて縁起を担ぎたくなる。
夜に爪を切らない。
夜に口笛を吹かない。
柳の下を通る時は親指を隠す。
こうした「行為」に限らず「数字」の語呂もその対象。
特に「死」を連想させる「4」が敬遠されてきた。

先日、散歩中に「縁起を担ぐ駐車場」に行き当たる。

場所は、津幡川沿い。
住ノ江橋近くの細い車道である。

「4」がない。
一方で、西洋の縁起担ぎ「13」には無関心。

「キリスト」が最後の晩餐の食卓についた時の人数として、
日本に「13」のイメージの悪さが定着したのは、
映画「13日の金曜日」に依るところが大。
作品の公開が1980年(昭和55年)だから、
画像の駐車場が整備されたのは、少なくとも昭和の頃ではないだろうか。

「縁起」は、本来、仏教用語。
「全ての存在は無数・無量の因縁によって在り得ている」という意味だが、
「吉凶の前兆」を指すものとして、大切に意識されてきた。
所変われば担ぎ方も変わるが、縁起のジンクスは世界中にある。
人の営みには必要不可欠なのかもしれない。
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気が付けば、秋の只中。

2016年10月08日 16時38分00秒 | 日記
今朝、津幡町・中須賀にて撮影した柿の木は、
すっかり葉が落ち、代わって果実が鈴なりになっていた。

こんな年は寒さが厳しくなるらしい。

柿が実を結ぶのは、梅雨の頃。
雨が多いと実が落ちてしまい、逆に雨が少ないと枝に留まる率が高い。
梅雨時に雨が少ない年は、夏の太平洋高気圧の勢力が強く、
冬には、寒気を伴う大陸からの高気圧が強くなる傾向だ。

また、柿は身体を冷やす食材の一つ。
豊作で口にする機会が増えると、
体感温度も下がり気味になるのかもしれない。
…「しかし、何はともあれ、今年は柿に困らないな」
…とほくそ笑んで顔を上げた視線の先に、ちょうどバスが停車。

路線バスではなく、貸し切り運行らしい。
行先は不明だが、フロントには「河北郡市消防団連合会」の札。
きっと、慰安旅行(研修旅行)にでも出かけるのだろう。
世間は今日から3連休。
行楽シーズン。
忙しさにかまけて更新が滞っているうちに、
秋はすっかり深まっていたのである。

ところで、季節の移り変わりに合わせ、ご近所に一つの変化があった。

「赤尾音楽院」。
数日前から看板が上がっている事は気が付いていた。
詳細不明ながら、新たな施設の誕生は間違いなさそうである。
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