つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

街角タイムトリップ。

2017年05月13日 15時04分24秒 | これは昭和と言えるだろう。
JR七尾線・本津幡駅近くに、かつて1軒の洋菓子店があった。
そのお宅の娘さんは同級生で、小・中と学び舎を共にした。
背が高く、活発で、カッコいい女の子だったと思う。
小学生の頃、彼女の生家へ何度かケーキを買いに行った事がある。
僕を出迎えてくれたのは、娘とよく似た親父さん。
立派な上背で目が大きく、柔和な笑顔。
白いコックコートには、クリームや砂糖の甘い匂いが染みついていた。
「○○(同級生の名前)は、きっと毎日、美味しいお菓子が食べられるんだろうな」
…と考え、心底羨んだものである。

そんな思い出の店が幕を下ろして、随分と時間が経つ。
散歩の折に前を通りかかっても、引き戸の扉は閉じたまま。
内側にカーテンがかかり、中の様子は窺い知れなかった。
そして、先日ついに、取り壊しが始まった。

きっと、程なく姿を消すだろう。
跡には、見ず知らずの人が住む家が建つのだろう。
寂しさを禁じ得ず中を覗くと、天井も壁も剝がされ、木枠や柱が露出。
余計に寂しさを募らせていると、小さな色褪せたポスターに目が留まった。

「HI-C(ハイシー)サンフィル グレープフルーツ」。
「HI-C」とは、「ビタミンC含有量のレベルが高い(HIGH) 」から名付けられた、
コカ・コーラの果汁飲料だ。
昭和48年(1973年)にオレンジ味、翌年にアップル味をリリース。
昭和55年(1980年)に飲み味を軽くするため果汁50%から10%に落として、
「HI-Cサンフィル」となった。
画像の缶サイズが250mlで、お値段90円の案内から想像するに、
上記のブランドリニューアル直後のものだろうか?

もう一つ、「ロッテ チウインガム」の広告もあった。
モデルさんの左手に握られた商品は2つ。
昭和35年(1960年)発売のロングセラー「クールミントガム」と、
昭和38年(1963年)から売り出した「ジューシーフレッシュガム」。
前者のパッケージデザインが、ペンギンや氷山などのイラストである事。
後者をメインに選抜している事。
上半身を露にした「山本リンダ」似のメイクや全体の色使い。
更に「チューンガム」以前の表現から察すると、こちらは70年代の代物だろうか?

ひとしきり感慨に浸った去り際、改めて現場を振り返ってみる。
そこには、ケーキが並ぶショーウインドウや、嬉しそうに品定めをする人の幻が。
「HI-C」と「チウインガム」の広告が掲示されたばかりの40年前が、
ぼやけて見えた。

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GWの津幡町はAW。

2017年05月07日 19時45分23秒 | 草花
平成29年のゴールデンウィーク最終日の終盤。
拙ブログをご覧の皆様はいかがお過ごしでしょうか。
幸い、概ね好天に恵まれたお陰で、日中から散歩に興じる事が出来ました。
初夏の頃、眼福は「ツツジ」であります。

過去に何度か投稿しましたが、ツツジはわが町の「町花」。
公式HPによれば、制定の理由は以下のとおり。

『町内に生育している紅白のつつじは清楚で美しく、
 源氏の白旗・平家の赤旗が連想され、
 倶利伽羅合戦で名高い津幡町にふさわしい花です。
 公募により(昭和48年4月24日に)町花に選ばれました。』

目立った名所はありませんが彼方此方(あちこち)で、その美しい姿を散見できます。
幾つかご紹介しましょう。

<津幡町役場の生垣>

染井吉野ほどではありませんが、わずか1日で随分と様相が変わります。
満開まではあと一息といったところでしょうか。

<本津幡駅のホーム>
ツツジ咲くホームで赤い車両を出迎えるメロディは「春の小川~ピアノバージョン」。
やがて「我は海の子」→「もみじ」→「雪やこんこ」へと移行。
草花や木々の変化と同じく、これもまた散歩の折に季節を報せてくれます。

<民家の塀を超えて枝を伸ばす>
狸の置物も花を愛でているよう?!

<とある街路にて>
毎年、この時期に道往く人々を見守る。

<大西山にて>
他界した先達も見守る。

町花だけあって、何だか近しい気がします。
それに美しい。
改めて思います。
「小林一茶」は、旨いこと言いました。

『百両の 石にも負けぬ つつじ哉(かな)』

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郵便局に関する一考察。

2017年05月05日 15時19分22秒 | 日記
「津幡郵便局」の窓に、こんな告知が貼り出されていた。

「浅田真央・リカちゃん人形セット(記念フレーム切手セット付き)」予約受付中。
大人気なのだそうだ。

今年発売50周年を迎えた「リカちゃん」と、
フィギュアスケーター「浅田真央ちゃん」、人気者同士のコラボ商品だ。
@スペシャルBOX入り リカちゃん人形
(人形×1体、花束×1個、スケートシューズ×1足、スタンド×1個)
@フレーム切手(シールタイプ82円切手5枚×1シート)
@フレーム切手ホルダー×1個
これがセットになって、お値段12,000円。
2017年3月のリリース直後は、高嶺の花だったが、
彼女が現役引退を発表した先月半ば以降、注目が集まっている。

「リカちゃん人形」は、先ほども触れた通り、昭和42年(1967年)に誕生。
僕が、怪獣ソフビ人形に血道を上げていた横で、女子達が楽しそうに遊んでいた。
正直、その魅力は当時の僕には理解不可能だったが、
半世紀の時間を耐えたロングセラー&ヒットという事は、称賛に値する。
男子アイテムでは…「プラレール」しか思い付かない。

さて、そんな国民的玩具が世に出た頃、郵便局は「官営」だった。
現在は株式会社になり、日本の全ての市町村に置いた拠点総数は2万4千局。
コンビニ各社や、銀行の拠点数を軽く凌駕する、国内最大のネットワークである。
こうした組織が完成するまでは、紆余曲折があった。

明治4年(1871年)、官営郵便事業が開始された当初、
東京・京都・大阪に政府直轄の「郵便役所」を、
東海道の各宿駅から順に、主要都市へ「郵便取扱所」を設置していった。
しかし、明治政府はカネがなく、全国にあまねく窓口を設けることができない。
そこで一計を案じる。
地元の名士…庄屋や名主などから土地と建物を無償で提供してもらい、
協力の代償として「郵便取扱役」に任命。
準官吏の身分と「公務」に携わる名誉をプレゼントした。
お陰で、郵便網は短期間のうちに全国津々浦々へ拡大したのである。

…ここからは、まったくの想像だが、
わが津幡町の郵便局も同様の成り立ちだったのではないだろうか。
かつての局舎の場所は、当時の町長宅で元・造り酒屋の隣。
当たらずといえども遠からずと考える次第だ。

昨今は、ネット通販の拡大により物流の在り方が問題になっている。
充実したサービスを維持する民間企業の限界が見えてきた。
郵便事業の存在感が、ますますクローズアップしている気がする。

(※2010年6月29日に関連記載アリ)
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憧憬、初恋?!~ ウルトラ警備隊・アンヌ隊員。

2017年05月04日 05時58分46秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載、第四十三弾は、ウルトラ警備隊隊員「友里(ゆり)アンヌ」。

ちょうど今から半世紀前に放送が始まった「ウルトラセブン」。
当時、僕はまだ幼く、記憶の襞(ひだ)の奥に隠れた同作の詳細は判然としない。
しかし、幾つかのシーンやカットは、案外と鮮明だ。

@「モロボシ・ダン」がウルトラアイを装着するや、
 閃光眩しく「デュワッツ!」と「セブン」に変身するシーン。
@メトロン星人、チブル星人、イカルス星人、エレキングといった怪獣・星人たち。
@そして、ウルトラ警備隊の紅一点、美しき「アンヌ隊員」である。

円谷プロによる「空想特撮シリーズ(ウルトラシリーズ)」に登場する女性陣の中で、
個人的な美女ナンバー1は、文句なしに「友里アンヌ」。
演者の「ひし美ゆり子(ひしみ・ゆりこ)さん」の右に出る者はいない。
(…と、思う。完全な独断。)

彫が深く、蠱惑的な顔立ち。
均整の取れたスタイル。
…を、包み隠したユニフォーム姿!
いやぁ、(またもや)萌えます。
少年時代、再放送のブラウン管に登場するのを今か今かと待ちわび、画面に釘付け。
恋していたと言っても過言ではない。

今回のイラストは、憧れの「アンヌ隊員」と、
セブンに登場した中で、取り分け不気味な印象の「ピット星人」を組み合わせてみました。
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憧憬、南洋。~ 昭和東宝映画ヒロイン2。

2017年05月03日 12時34分14秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載、第四十二弾は、インファント島の「小美人」。

ご存知の通り、西太平洋・赤道近くの海原に浮かぶ島々…
現在の北マリアナ諸島、パラオ・マーシャル諸島、ミクロネシア連邦は、かつて日本が治めていた。
20世紀初頭はドイツ領だったが、第一次世界大戦後、戦勝国となった日本が委任統治。
「南洋庁」を置き、海軍の停泊地を整備し、数万人の邦人が移住。
太平洋戦争の際には激戦地となり、数多の血が流れた。
およそ四半世紀に亘る紆余曲折の歴史から、思い入れが育まれた事は想像に難くない。
故に、映画「モスラ」が公開された昭和36年(1961年)当時、
製作陣や観客が、作品の舞台、南洋諸島にあるという架空の島…インファント島に、
ある種のノスタルジーを覚えたとしても不思議ではない。

リバイバル上映の観客席に座った僕に、郷愁を味わう素地がなかったのは残念だが、
代わって、エキゾチックな世界を堪能した。
霧に隠された絶海の孤島。
昼なお暗いジャングル。
洞窟の奥の神殿。
褐色の肌の原住民達。
打楽器を多用したサウンドと共に繰り広げられる儀式。
スクリーンに映るこれらの考証は、お世辞にも正確とは言えないだろう。
何しろ演じ手は日本人ばかりだし、ステレオタイプの演出だ。
しかし、小学生の心を虜にするには充分だったのである。
そして、身長30センチ、双子の「小美人」と「モスラの歌」だ。

♪モスラヤ モスラ
 ドウンガンカサクヤン インドウムウ
 ルスト ウイラードア ハンバ ハンバムヤン
 ランダ バン ウンラダン トウンジュカンラー カサクヤーンム♪

いやぁ~萌えました…「ザ・ピーナッツ」!
彼女たちが唄う「モスラの歌」、作詞は「由紀こうじ」。
映画プロデューサー、監督、脚本家3人の共同ペンネームである。
作曲・編曲は「古関裕而(こせき・ゆうじ)」。
全国高等学校野球選手権大会の大会歌「栄冠は君に輝く」、
阪神タイガースの応援歌大阪「六甲颪(おろし)」、
ジャイアンツの応援歌「闘魂こめて」、
東京五輪の「オリンピックマーチ」などを手がけた大家だ。

絶妙の美しいハーモニーで呼び覚まされた島の守り神は、
大きな羽から七色の鱗粉を散らしながらゆっくりと宙に浮き、
やがてマッハのスピードで空を駆けていった。
コバルトブルーの大きな複眼に見詰められ、
僕はすっかり「モスラ」ファンになっていたのである。
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