つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

A Day trip 鯖江。

2022年04月09日 17時00分00秒 | 旅行
                    
先日、福井県・鯖江(さばえ)市へ足を延ばした。
わが津幡町からは、高速経由で片道1時間少々のドライブである。
鯖江市は福井県のほぼ中央に位置し、北は福井市、南は越前市、西は越前町に隣接。
東西約19.2km、南北約8.3km。
人口は令和4年3月現在、7万人弱。
この町を象徴する地場産業がコチラ。



同市公式HPに“めがねのまちさばえ”とある通り、
眼鏡枠では、国内生産シェア約90%を誇る。
農閑期の手仕事から始まった鯖江のフレーム作りの歴史は1世紀を超え、
世界的に見ても、ベッルーノ(イタリア)、中国と並ぶ産地の一つとか。
時代は巡り、取り巻く状況は変容しているだろうが、国内ではブランドである。



現市域の元になったのは、享保5年(1720年)に設立された「鯖江藩」。
それ以前は、福井藩の分家といえる「吉江藩」が置かれた。
往時の面影を遺す街並みが、上掲画像の「七曲り通り」。
いい雰囲気である。

昔は「葦(よし)」などが生い茂る湿地だったことから
「吉江(よしえ)」の名が付いたという。
天守をいただく城郭はなく、侍屋敷を中心に幾つかの町人町が形成された。
船出から程なく、初代藩主が本家の後を継いだため、
僅か30年に満たず短命に終わり、幻のように消えてしまった「吉江藩」。
しかし、ここで生を享けた人物の偉業は、今も燦然と輝きを放っている。





「近松門左衛門(ちかまつ・もんざえもん)」。
江戸時代前期から中期に活躍した職業作家だ。
武士や貴族を主人公にした江戸期以前の物語---“時代物”。
町人を主人公に市井の義理人情を描いた物語---“世話物”。
幅広い作風で手がけた数は、浄瑠璃なら130作以上、歌舞伎狂言は30作あまり。
後に、多くの傑作を世に送り、時代の寵児となる「近松」は、
承応2年(1653年)、吉江藩士の次男として生まれた。
本名を「杉森信盛(すぎもり・のぶもり)」という。
多感な少年時代を過ごした吉江での日々が与えた影響は小さくないと思う。

まるで世界が寝静まったような雪深い冬と、
水温み、草木が芽吹き、花開く春の鮮やかな対比は、特に心に残っていたようだ。
また、越前発祥の芸能「幸若舞(こうわかまい)」も原風景の一つ。
源平合戦などの軍記物語を鼓に合わせて謡い、扇で手の平を打ちながら舞う。
そのステージ観賞は、きっと心躍る体験だったろう。
エンターテイメントに身を投じるキッカケの一つになったかもしれない。



--- 「近松」もここを歩きながら物思いに耽ったのかな---
などと考えながら巡った、ほんの半日あまりの小旅行。
若かりし「近松門左衛門」の足跡を訪ねようと思い立ったのは、
拙ブログ不定期イラスト連載で、彼の代表作「曾根崎心中」を選んだからだ。
それは、明日、投稿したい。



さて、実はもう一つお楽しみがあった。
鯖江のお隣、越前市・武生(たけふ)地区のご当地メニュー「ボルガライス」である。
ご飯、鶏卵、トンカツ、カレー以外のソース。
これらを使った料理が何故「ボルガ」?
ロシアの卵料理由来説。
イタリア地方名由来説。
ボルガ川の風景連想説。
命名には様々な説が飛び交い判然としないそうだ。





お邪魔した洋食とケーキのお店「マイルイ」のそれは、
薄味ピラフにふんわり卵、揚げたてトンカツにデミグラス。
ボリューム満点。
旨かった!
大満足!
ごちそうさまでした!


                   
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サイタ サイタ、桜が咲いた。

2022年04月03日 23時00分00秒 | 日記
                  
前回の投稿から2日が経ち、わが津幡町の桜が咲いた。



毎年、鑑賞するのを楽しみにしている、本津幡駅前の「一本桜」。
開き具合は、三~四部咲きといったところか。



<花は桜木、人は武士>

--- とは、室町時代のお坊さんが遺した言葉。
とんちの「一休さん」としても知られる、
「一休宗純(そうじゅん)」の口跡。

花の中で最も散り際が美しく潔いのは桜。
人の中で心根が清く優れているのは武士。
瀬戸際でも誇りを失わずに美しくいたい。
日本の「古来の死生観」に合致する例えと言えるかもしれない。
しかし、その言葉がクローズアップされたのは、案外、古くないかもしれない。

今や桜の代名詞となる「ソメイヨシノ」が、
品種改良によって誕生したのは、江戸末期。
全国各地へ拡大したのは、明治になってからと聞く。

<貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く
 咲いた花なら散るのは覚悟 みごと散りましょ国のため>


有名な軍歌に代表される「軍国主義時代の流れ」が、
ソメイヨシノの普及と、一休さんの言葉の浸透に一役買っている気がする。
一斉に咲く姿は確かに華やかだが、
一斉に散り去る様は儚く、寂寥感を覚えるのは僕だけだろうか。

--- ま、しばらくは花を愛で、目で春の訪れを味わうとしよう。
                   


津幡銀座商店街のワンコディスプレイも、
桜をバックに新入生たちの行き来を見守り祝っている。
                     
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新年度に寄せて。

2022年04月01日 08時00分00秒 | 日記
                       
新年度である。
いつもと同じ一日という方もいれば、
“新生活”に感慨を抱いている方もいるかもしれない。
拙ブログをご覧の皆さまは、いかがお過ごしだろうか?

まったくの私事ながら、僕は節目を迎えた。
本日(2022/04/01)、32年前の事業開始時に就職した会社が移転したのだ。
やる事は変わらないはずだ。
目にする顔もあまり変わらない。
しかし、色んな意味で働く環境が大きく変わる。
自分自身の人生の今後を考える機会になった。
そう遠くない将来、僕も変わることになるかもしれない。



--- さて、この時期を象徴する花「桜(ソメイヨシノ)」。
お隣の金沢では、先日、開花宣言が出たものの、
わが津幡町のそれは、まだ概ね蕾。
膨らみ、綻び始め、そう遠くない将来の花笑む時を待っている。
(※上掲画像/今朝、大西山・忠魂碑前で撮影)
                   
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