主張
学徒出陣80年
わだつみの悲劇を胸に刻む時
しの突く雨の中、東京の明治神宮外苑競技場で約2万5千人の男子学生らが学生服に銃剣を担いで行進し、6万人余の父母や女子学生らがスタンドから見守りました。80年前の1943年10月21日、「出陣学徒壮行会」の光景です。
ペンを捨てて剣をとり
学徒出陣とは、第2次世界大戦の日本の戦局悪化に伴い、国民が戦争に総動員される中で、それまで徴兵を猶予されていた大学生や旧制高等学校・専門学校生が陸海軍に召集されたことです。
43年10月、東条英機内閣は、学生の徴兵猶予を取り消す勅令「在学徴集延期臨時特例」を公布しました。さらに、理工系や教員養成系以外の大学・専門学校の満20歳に達した学生・生徒の徴兵を決定し、同年12月に文科系の学生らを陸海軍に入隊させました。
壮行会で東条首相は、学徒出陣について「諸君が悠久の大義に生きる唯一の道」と訓示しました。それにこたえて学徒代表は「挺身以(ていしんもっ)て頑敵を撃滅せん。生等(せいら)もとより生還を期せず」と誓い、命を投げ出す覚悟を表明しました。
学業なかばでペンを捨てて剣をとり、出征した学徒は10万人以上とも推計されます。彼らは短期の訓練の後、中国大陸や東南アジア、南太平洋などの前線に送られました。学問研究への情熱と国家の要請との間で悩みつつ、若い命が奪われていきました。そうした苦悩や葛藤の姿は、戦後出版された戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』に収録されています。
「特攻は命じた者は安全で命じられたる者だけが死ぬ」―歴史学者の直木孝次郎さん(2019年死去)が亡くなる4年前に詠んで朝日歌壇賞を受けた短歌です。直木さんは1943年、京都帝国大学を繰り上げ卒業し、海軍航空隊に入隊しました。同期には特攻隊で戦死した人も少なくありません。その痛苦の体験を踏まえ、戦後、国民を戦争に駆り立てた「皇国史観」を批判し続けました。
憲法学者の芦部信喜さん(1999年死去)は43年、東京帝国大学在学中に陸軍に召集されました。翌年、陸軍特別操縦見習士官の試験を受け、1次試験には合格したものの、目が悪くてレーダー画面が読み取りにくかったため、最終的には不合格でした。それが特攻隊要員だったことを後で知ったと語っています(渡辺秀樹『芦部信喜 平和への憲法学』)。
戦後の46年3月、復員して長野県の実家にいた芦部さんは、日本国憲法の原案を読んで「特に戦争放棄、軍備の撤廃をうたった条項に目を見張った」といいます。
芦部さんが著書『憲法』で「日本国憲法は、第二次世界大戦の悲惨な経験を踏まえ、戦争についての深い反省に基づいて、平和主義を基本原理として採用し、戦争と戦力の放棄を宣言した」と明記したのも、自身の戦争体験に裏づけられたものでした。
戦争起こさせぬ覚悟を
自民党の麻生太郎副総裁が今年8月、対中国を念頭に「たたかう覚悟」を語ったのは重大です。憲法の平和原則を踏みにじるもので、若者を戦場に送った戦時下の政治家の発言を想起させます。
いま日本に必要なのは「たたかう覚悟」ではなく、憲法9条に基づき絶対に戦争を起こさせない覚悟です。学徒出陣から80年、改めて胸に刻みたいと思います。https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009060059_00000
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