2007年10月23日、平日だが会社を休んでちょっと走りにでかけた。
行き先は漠然と静岡方面。いつもの通り逗子から海沿いのR134を西へ向かう。ここは江ノ島入り口。遠くにうっすらと富士山が見える。天気予報は晴れだが青空は見えない。
R134は休日と違いトラックが多い。江ノ島入り口から相模川を渡る直前までは片側2車線の快適な道。いつものように、新湘南BPと合流する柳島交差点を頭に、500mほどの渋滞がある。相模川を渡って平塚市に入ると、ノロノロ状態から次第に速度が上り、花水川橋を渡るころには快適な速度に戻ってる。
西湘BP・箱根新道を通り、R1を三島におりていく。その先の沼津BPは、信号が多いせいかあまり好きな道ではない。時間は10時を過ぎて通勤割引にはならないが、沼津から東名に乗ることにする。そして、最初の愛鷹PAで休憩。時間はそれほど早くないので、大井川でもさかのぼって、寸又峡温泉にでもはいろうか。
東名は清水でおりた。静清BPは片側1車線で、大きな橋や長いトンネルが続くため、ちょっと交通量が多いとすぐノロノロ状態になる。丸子を過ぎた最初の道の駅「宇津ノ谷峠」で休憩。この峠も東海道の難所だったようだ。ちょっと寄り道となるが、旧道のトンネルを通ることにする。このトンネルも古いがそばには、さらに昔のトンネルもあるそうだ。
その先は快適に走り、大井川を渡ったところでR1を離れ、大井川鉄道に沿ったR473を走る。目指す北の方は青空だが、依然として曇り空だ。道は大井川鉄道に沿って進む。適度なコーナーの連続ですいているのだが、今ひとつ気分が乗ってこない。多分天気のせいだろう。遠くは青空だが頭上は曇り。
大井川の川沿いから離れ、峠をひとつ越える。深い深い山の中へ来たようだ。寸又峡温泉という名はよく聞くが、こんな山奥とは知らなかった。
13時半を過ぎて、やっと寸又峡温泉に到着。平日のためか人がいない。駐車場にバイクを停め、ちょっと歩いてみる。日帰り温泉施設は見当たらず、温泉に入るには旅館しかないようだ。あまり気が進まないので、今日は温泉をあきらめる。
来た道をちょっと戻り、大井川の上流方面へ行ってみる。すぐに大きなダムと湖があった。湖畔の駐車場にバイクを停めて湖を眺めてた。
すると、列車がやってきた。びっくりするほどの急勾配を登ってくる。電気機関車がゆっくりゆっくり客車を押し上げてくる。
そして駅に入ってきた。駐車場から急いで駅へ向う。
無人駅のホームへのぼってみると、電気機関車が切り離されたと同時に、反対側から別の列車がやってきた。どうやら、この機関車を別の列車に連結するようだ。
そして、機関車をつけ終わると、この列車は下り坂へ向けて走り出していった。
ここは長島ダム駅。大井川鉄道の駅だ。あとで調べてみると、昔の碓氷峠と同じアプト式鉄道とのこと。日本にまだこの方式の鉄道があるとは知らなかった。
一日に6本ほど列車がくるらしい。
3時を過ぎ、やっと青空が見えてきた。それにしても南アルプスは深い山だ。
帰りは千頭まで大井川沿いに走り、そこからR362に入り山を越えて静岡市内へ向う。途中まで快適な山岳道路だったが、細い山道へと変わる。かなり山深い道できついコーナーとアップダウウンが続く。
急に見晴らしがよくなり、小さな集落と茶畑のある斜面をくだっていく。そしてやがて谷底までおりていき、細い沢に沿って走るようになる。やがて川幅は広がり、まわりも水田や畑が広がるようになる。暫く走ると静清BPにのることができた。
そのあとは、清水から東名道に入る。既に通勤割引が使える時間だ。
東名に入ってすぐの由比PAで煙草休憩。青空に、藤色の富士山がクッキリ浮かび上がっていた。
東名道を大井松田でおり、曽我を通って国府津からR1、橘ICから西湘BPにのる。ここからだと、タダだ。そしてR134を東へ走り、19時に家へ到着。走行距離は470Km程度。
たまには、会社を休んで平日に走るのもいいもんだ。そうだ。今日は美味しそうなラーメン屋が見つからなかったので、昼食を食べそびれた。
3月もまだ半ばだというのに、陽気は春爛漫です。花粉も黄砂も空が霞むほど大気中に蔓延してますが、家でじっとしている陽気ではありません。日曜日の昼頃にティッシュをたくさん持って、家内とドライブに出発しました。今日は湘南国際マラソンがあるので、R134を走るのは止めて横須賀ICから横浜方面に向かって横横を走り始めました。
行先ですが、首都高から東北道や関越道方面に行くにはちょっと遅いので、保土ヶ谷BPから東名道にのることにしました。御殿場から山中湖方面・富士から朝霧高原方面・厚木から丹沢方面など、候補はあったのですが、小田原厚木道路、通称「おだあつ」を通って箱根・伊豆方面へ向かうことにしました。
東名道を厚木ICでおります。ここは厚木出口の直前圏央道とのジャンクション予定地です。圏央道が全て完成すると、ここから中央道の高尾へつながり、反対方向へいくと新湘南バイパスへ通じることになります。
厚木ICからは、そのまま「おだあつ」にのることができます。この道、料金所が2箇所ありそれぞれ350円ずつかかるため、結構高い道だと思いますが、終点の小田原では西湘BP・箱根新道・ターンパイクともつながっており、便利といえば便利です。
途中、国府津付近では満開の曽我の梅林を望むことができました。そして、「おだあつ」の終点からは、直通する箱根新道に入ります。このころ時間は13時過ぎ。あまりの暑さに冷房を入れたくなりますが、燃費が落ちるので標高が上がるまで我慢です。箱根を登り終えると、箱根峠を左折して十国峠へ向かいます。よく考えると、横須賀ICから十国峠レストハウスの駐車場までノンストップでした。
この時点で、目的地は漠然と伊豆の西海岸です。ルートは伊豆スカイラインを冷川まで走り、湯ヶ島から山道に入り仁科峠から海沿いに降りようと思ってました。
ここからは、家内が運転します。有料なのでめったに走らない伊豆スカイライン。でも伊豆の山々や相模湾に浮かぶ初島、駿河湾・富士山までもが望むことができ、ドライブ・ツーリングルートとしては最高だと思います。ところどころ、眺めの良いところには展望台も備えてます。
玄岳をすぎたところ、ちょっとだけ正面に富士山が見えました。
伊豆スカイラインも、景色の良いところは亀石峠のあたりまでで、あとは普通の田舎道になります。そして、冷川で伊豆スカイラインを離れ、湯ヶ島方面へ直通する県道を進みます。道が狭くなってきたので、家内から運転を交替しました。この道、細い箇所がいたるところにありますが、小さな集落・畑・雑木林・小川など、のどかな景色を堪能することができました。そして、河津桜でしょうか、ピンクの鮮やかな花が満開です。
R414にでたところで、時間は既に15時。西伊豆は諦めました。西伊豆で美味しい海の幸を、と思っていたのでお腹がすいてます。道の駅「天城越え」が近くにあるので、そこへ向かいます。
空腹に耐え切れず、早速レストランへ。これは家内が頂いた猪そば800円です。チャーシューのような肉がのってました。一切れもらいましたが、思いのほか美味しい肉でした。
僕が食べた椎茸そば580円です。乾し椎茸を戻したものを使っているようです。空腹だったためか、大変美味しく頂きました。
そしてもう一品、わさびごはん300円です。この鼻に抜ける辛さが独特でした。
この道の駅、この辺にゆかりのある作家や文学作品の展示スペースがありました。それを見て、昔読んだ井上靖の小説を思いだしました。作者が伊豆湯ヶ島で過ごした、幼少の頃の物語です。家にあるはずなので、今度久しぶりに読んでみます。
せっかく天城まできたので、伊豆の踊り子などで有名な旧天城トンネルに行ってみることにしました。道の駅の案内で聞いてみると、車でいけるとのことでした。教わったとおり、国道を河津方面へ走り途中、左へ入ります。すぐにこのようなダートになりました。このような道を5分ほど走ると、目的のトンネルです。
テレビや映画などではよく見ますが、実物を見るのはこれが始めてです。思いのほか大きいトンネルでした。僕たちの他には、山道を歩いてる卒業旅行と思しきお姉さんの五人組だけで、他には誰もいません。思ったより静かな、寂しいところでした。このトンネル、通行に規制はなく、一般車でも通り抜けることができます。
時間は既に16時。湯ヶ島の温泉に向かいます。以前、バイクできたことがあるいづみ園です。静かで空いてるところが気にいってます。
今回も、日曜の夕方にもかかわらず、ほぼ貸切でした。川のせせらぎを聴きながらゆっくり露天風呂につかり、畳の休憩室で横になってうたた寝し、夢と現実とを行ったり来たりする時間。最高でした。何回かそれを繰り返し、長湯の家内が出てくるのを待ちます。
帰りはR414とR136、一部修善寺道路などを使って三島へ。いつものセブンイレブンで休憩しR1・箱根新道・西湘BP・R134を通って帰ってきました。21時前に家へ到着。
全工程で300km、燃費は14.5km。
一番お金が掛かったのは、行きの高速代でした。今度ドライブに行くときは通勤割引が使える時間に出発しようと思います。
この水道みちを逸見から鎌倉の途中までたどってみました。
逸見の浄水場の入口から東京湾方面を見下ろしてます。この急な坂道の下に水道が走り、水はこの急坂を駆登ります。どうしてかというと、この坂の頂上よりこの水道の取水口の方が標高が高いからです。水道みちはこの道の下をまっすぐいき、京急のガード下・鹿島神社脇を通り、R16に突き当たったところの汀橋、ちょうど天空の街(遠くに見える高層マンション)の前を左へ曲がり、暫くR16の下を進みます。

水道みちはR16の下でトンネルを五つ越え、JR横須賀線と交差したちょっと先、この地点で再び左へ曲がります。ここは田浦です。田浦の市街地は、JR田浦駅と京急田浦駅のちょっとJR寄りにあります。駄菓子屋さんとかがあり、なかなか雰囲気の良い街です。今頃は梅が満開でしょう。ここからは、三浦半島の中央部を横断する山越えルートです。

R16を離れるとJR横須賀線としばらく並行します。緩やかな坂を登り、京急の下をくぐります。そして勾配はだんだん急になります。この写真でいう右側の斜面に高射砲があったと聞きました。また、このそばの横須賀線の踏切を越えると、そこにはゴーストタウンがあります。

そしてここで道は通行止めですが、水道はこのトンネルの中を行きます。ちょうど三浦半島の背骨を越えるトンネルです。断面積は小さいですがレンガ作りの重厚なトンネルです。

そのトンネルの反対側です。場所は田浦の配水場の脇になります。

水道みちは横横と田浦と逗子を結ぶ県道24号線を横断して、横須賀線に沿って緩やかな坂を下って行きます。(実際、水は逆に登ってますが)この先で水道道は斜めに横須賀線の南側へ出ます。

そしてちょこっと、この県道24号線の下を通り、ここで斜めに曲がって東逗子駅前へ向ってます。水道みちは向こうからやってくる白い車の下を通ってます。

東逗子駅をすぎても水道みちは、まっすぐに進みます。県道24号線と横須賀線に挟まれた道です。

京急逗子線の踏切を越えて、JR逗子駅の方に向ってます。京急の新逗子駅はここのちょっと左側です。

そして、JR逗子駅前広場を横切ります。ここは近年改修工事が行われ、きれいになりました。逗子駅前にタクシーはいっぱいいますが、金曜日の最終電車で到着すると、タクシーに乗るまで1時間以上待つこともあります。

駅前を通過してこの一方通行の商店街の下を進みます。この商店街にある不動産屋さんで、僕は昔、小坪のアパートを借りました。20年ほど前のことです。

池田通りの信号を渡り、県道311号線の下をいきます。この道、海沿いのR134が「湘南道路」だったころは、国道134号線でした。そして水道は相変わらず横須賀線と並行です。道は緩やかな上り坂になり、そして名越の切通しと並行した小坪トンネルを越えます。県道とは別の水道専用トンネルです。この小坪トンネル、幽霊が出ることで有名ですが、僕が小坪に住んでた約2年間、一度もお目に掛かったことはありませんでした。

トンネルを越えると下り坂で、鎌倉市街へ入っていきます。この先、県道は右に折れ横須賀線の踏切となりますが、水道みちはそこを直進し、材木座方面へ向います。

材木座一丁目には水道路という交差点があります。そして、滑川を渡ります。水道管が始めて姿を現しました。

水道みちは、この先江ノ電の由比ガ浜駅前を通り、長谷寺の前を直角に曲がりの大仏の脇を通ります。藤沢の手広あたりから右へカーブしそこからきれいな直線になります。ひたすらまっすぐです。いすず自動車のテストコースの下を通り、東名高速を海老名SAあたりで横切り、相模川を渡ります。そして、進路を北に変え、中津川沿いを進み宮ヶ瀬ダムの手前に取水口があります。
滑川から先の半原までのルートは、もうちょっと暖かくなったら辿ることにします。
JR横須賀線で横須賀駅にひとつ先、終点の久里浜駅のひとつ手前の衣笠駅です。普通、三浦半島では、JR横須賀線と京浜急行が競合してますが、衣笠地区は横須賀線しか通ってません。この駅を中心としたバス路線も充実してるため、三浦半島中央部に住んでる方の大半がこの駅を利用してます。
横須賀駅を発車した横須賀線は長い横須賀トンネルに入り、三浦半島の東京湾沿いから内陸部へ入っていきます。トンネルを出て左へカーブしたところに衣笠駅があります。JR横須賀線は、横須賀から先は単線です。久里浜との中間にあるこの駅は、上下線の交換駅でもあります。
駅前のメイン通りです。片側2車線の道ですが、上下線とも駐車車両が多く車線幅も狭いため、実質的には片側1車線と同じです。三浦半島中央部を東西に走る主要道路のため交通量が多く、現在この道の西側に並行する道路を作ってます。横横の横須賀ICと衣笠ICとを直接結ぶ道路で、昨年半分が完成しました。横須賀ICから秋谷・芦名・林方面へ行くには大変便利になりました。全通はまだまだ先でしょう。
駅のホームと平行して商店街があります。アーケードのある商店街としては、横須賀中央の三笠町通り、京急久里浜駅前の商店街に次ぐ規模です。横須賀でアーケードのある商店街は、あとは船越ぐらいでしょうか。この商店街、大手スーパーは西友のみで、大半は個人商店です。けっこう、活気があります。このような地元主導の商店街は、今後も発展してほしいものです。
商店街を抜けた先にあるのが、ここ衣笠十字路です。三浦半島中央部の交通の要所です。ここを真っ直ぐ行けば久里浜、左折すれば横須賀中央、右折すると横横衣笠ICと、その先は相模湾沿いの林、後ろへ戻ると池上経由で、逗子・鎌倉方面と横横の横須賀ICに繋がってます。夕方などは、各方面からこの交差点へ向けた渋滞が激しくおこります。
この交差点の先に、昔Aボウルというボーリング場がありました。営業を止めて、三浦半島でボーリングができるのは、汐入のショッパーズだけになりました。若いころはよく衣笠まで遊びに行ったものです。
そして、ここが衣笠十字路の真下、歩行者のための地下道です。4方向全てに通じてます。この地下道がなければ、車道の横断歩行者のため、衣笠十字路の渋滞は尚、激しいことでしょう。
この衣笠十字路と西海岸の林とを鉄道で結ぶ話があり、戦時中に建設が行われていたと聞きました。林は今でも自衛隊の要所です。当然、軍事目的だったのでしょう。
このバイクに強く惹かれたところはこの色です。色に魅せられました。どうしてかというと、多分これが原因だと思います。マクラーレン・ホンダのMP4シリーズです。

マクラーレン・ホンダは、最強のチームでした。ドライバーは、プロストとセナ。そしてエンジンはF1界最高のホンダです。このチームは年間16戦のうち、15勝した年もあったほどです。あまりにもホンダエンジンが強すぎて、ターボ禁止となりましたが、それでもホンダエンジンは強かった。
F1のレギュレーションでターボ禁止が決まったとき、当時のF1プロジェクトリーダーがF1をやめるつもりで、本田宗一郎さんに相談にいったとか。すると、宗一郎さんは「それはうちのエンジンだけに適用されるルールか?でなければ馬鹿だな、そのルールをつくったやつは。ルールを変えてもうちが勝つに決まってるじゃないか。で、相談はなんだ?」その言葉でホンダはF1レース活動継続を決めたそうです。
マクラーレン・ホンダ最後の年は1992年で、ちょうどCB1000SF発売の年にあたります。この年、マクレーレン・ホンダはチャンピオンになれませんでしたが、モナコでセナがウイリアムズ・ルノーのマンセルを抑えきったとか、見せ場をつくってくれてます。
「世界最高のホンダ」といえば「色は赤白」、というイメージが僕のなかでできあがってました。
ホンダがどうして、この赤白のカラーリングでビックバイクを開発・発売したかは分かりませんが、僕はF1が影響してると思います。もしホンダのエンジン供給先がマクラーレンに変更されず、ウイリアムズ・ホンダのままだったら、CB1000のカラーリングは紺・黄・白だったかもしれません。